** Happy C×2 **
 ●響くは君の、

 風が吹いた。
 さらり、と、形のない手が沖田の額をくすぐって去ってゆく。今日も平和だなあ、などと、今しがた人を斬ったばかりの男は仲間と別れ、鴨川の土手沿いを笹の茎を食みながら歩く。
 口ずさむは童歌。母親からついぞ聴いた記憶のないそれは、母代わりの姉がいつも歌っていてくれたもので、独特の単調な曲調がふとした拍子に浮かび気づけば唇を震わせていることが多い。
 目を細めて対岸を見れば、人々がせわしなく行き交い日々をすごしている。隊服である浅葱の羽織は隊士に持って帰らせたから、一見自分を新選組の沖田、と見てわかる人間もそうそう居まい。居るならば見てわかるなりの理由次第で鯉口を切るだけだ。
 童歌の最初から最後までを口ずさみ終わると同時に、咥えていた草を指に持ち替え、くるくると数度回してから土手に捨てた。
 柔らかな草の生える土手に腰を下ろし、なんとなしに鴨川の川面を見つめる。そして再度、平和だなあとつぶやいた。
「あ、いた」
 実は少し前から気付いていた気配は、気付かない振りをしていた自分に遠慮なく近づいてそう声をかけてくる。男子、というにはいささか高い声に初めて気付いた風を装い、沖田は肩越しに振り向いた。
「何。脱走?」
 なら見逃せないなあ、とにこにこ笑いながら言う沖田に、声をかけた千鶴が絶句する。開口一番それですか、とは思っても言わず、ただ「違います」とだけ返した。
「何だ、残念」
「何でですか。そんなに私を斬りたいんですか?」
「ううん別に。ただ居なくなってくれたほうが、新選組にとっては良いとは思ってるけど」
 容赦のない物言いがぐさりと胸に突き刺さるが今更だ。それに、それは事実である以上傷付く必要などないと自分に言い聞かせ、千鶴は遠慮がちに沖田の隣に人一人分を開けて座った。
「で? 脱走じゃないならどうしてこんなところにいるの。お使いでも頼まれた?」
 沖田の至極真っ当な問いに千鶴が口ごもる。巡察から戻ってきた一番組の中に沖田の姿が見えず、預かったと渡された羽織にはわずかに血痕が付いていたの だ。無用の心配だと土方は切り捨てたが、どうにも気になって沖田を探しに行くことを許してもらったわけなのだが、それをどう言ったものか。
 事実、沖田はどこかに怪我を負った様子もなくぴんぴんしている。要するに土方の言ったとおりで、ただでさえ心配などおこがましい立場で突っ走った挙句、自分の実力を馬鹿にしているのかと沖田に非難されても仕方の無い状況だ。
「ええと……」
 千鶴が口ごもった時点で沖田にはこれから彼女が口にする言葉が多分に誤魔化しを含んだものになると予想が付いた。が、面白そうなので最後まで付き合ってみようと耳を貸す。
「屯所にお戻りにならなかったので、どうしたのかな、と……その、井上さんが気にしてらして」
「へえ」
 その方向で来たか、と沖田の目がくるりと光る。この子供なりにいろいろと趣向を凝らしているようだが、まずは駄々もれな表情をなんとかしないとすべて無意味なのだが、教えてやる義理はない。
「預けられた羽織に血が付いていたものですから、もしかしてお怪我でもされたんじゃないかって」
「誰が?」
「ええと……ひじ……、井上さんが」
 土方、と言い掛けて自分でも土方がそのようなことを言うはずがないと気付いたのだろう。あわてて修正を図ったものの、他にも言いそうな幹部が見当たらず に結局井上に落ち着いたらしい。これには堪えきれず、沖田の呼吸が震えを帯びる。が、一杯一杯な千鶴はそれに気付かない。
「ですから、探してきたほうがいいんじゃないかって、ええとええと、ひじ……井上さんが」
「そう……井上さんが」
「は、はい!」
 沖田の相槌とも取れる返事を聞き、騙しきれたと自信満々に千鶴が返事をしたところで沖田がはじけたように笑いだした。あまりにおかしくて腹まで痛い。ひいひい笑いながら腹を抱えて背を丸める沖田に、千鶴が目をぱちぱちさせてきょとんとしていた。
「あの、沖田さん?」
「あー……やっぱり君って最高だよね。千鶴ちゃん、あのさ、鏡見て嘘つく練習したほうがいいよ? ばればれだから」
 途端、千鶴の顔が真っ赤に染まる。まさに一瞬でだ。
「い、いつから気付いてらしたんですかっ!?」
「最初から?」
「ひどいです、気付いてなら仰って下さればいいのに……」
「心外だなあ。嘘付かれたのは僕なんだから、ひどいのは千鶴ちゃんでしょう」
 さりげなく話の主軸をずらせば見事にひっかかった少女がしょんぼりと顔を暗くする。確かにそうだと、謝罪までする少女を仕方のない子だと苦笑して見やりながら、別に怒ってないよと頭をなでてやった。
 だましやすい子供。だまされやすい子供。きっと彼女は、対岸に見える平和な景色にこそふさわしいのだろう。
「心配してくれたんだ。ありがとう」
「いえ……」
 まさか礼を言われるとは思わず、拍子抜けをしてしまうとそれがそのまま表情に出ていたらしい。苦笑した沖田が、邪魔にならない心配まで無下にするほど冷たい人間じゃないつもりだけど、というから慌てて謝った。
 そう。邪魔になるかならないか。
 新選組に身をおく自分の安全は、明確なその線引きの上に存在する。沖田の一見穏やかな表情には微塵もそのような冷酷さは見えないが、見えるものがすべてでないことも、逆に変わらない表情だからこそ『怖い』のだということも千鶴はもう知っていた。
 最早用は済んだ、とばかりに沖田の視線が正面を向いた。やがてその唇から歌が紡がれ始め、千鶴は不思議な思いでそれを聞いた。
 聞いたことはないけれど、どこか懐かしさを覚える旋律は眼前に広がる景色にあまりにも相応しいものだった。さらさらと流れる川面に、空気に溶ける日差しの粒子。吹き抜ける風は水場に相応しく適度な湿り気と涼しさを持って自分たちを癒し、包んでくれる。
 この人はわからない。こうしていると、虫一匹ですら殺すのを惜しむようにすら見えるのに、実際は人であれ迷い無く斬り捨てる。
 童歌を紡ぐまろやかな声で、殺すよ、と告げる。ひどく不安定なのにどこか納得してしまう不思議な雰囲気を持つひと。
「そんなに熱く見つめられても困っちゃうんだけど」
「あっ、すみません!」
 己の不躾を恥じ、千鶴が慌てて視線を沖田から外す。水面から反射した光が色素の薄い沖田を彩っていて、思わず見とれてしまっていた。
 新選組の幹部は揃いも揃って独特の色気や美しさを持つものが多いが、沖田の場合はその容貌は然る事ながら、天性とも言うべき漂々とした雰囲気が更にそれに磨きをかけている。にしても、確かに人の顔をじっと見るなど失礼以外の何物でもないので千鶴は素直に反省をする。
 一方の沖田はそれほど気にする風でもなく、萎縮する千鶴に向かって「君は?」と突然聞いてきた。何が、と言葉にするまでもなくやはり表情で先に聞いていた千鶴に、沖田は「何か歌ってよ」と要求してくる。
「え? 歌、ですか?」
「そう。なんでもいいから歌ってよ」
 だって君、僕の歌きいたでしょ。
 それで君が歌わないのは不公平だよね、などと、理に適っているような適っていないような事を言い、けれどそれを沖田に問いただしたところで無駄だと知っている千鶴は、利口にも幼い頃の記憶をたどり始める。
「言っておきますけど、上手じゃないですよ?」
「そんなに期待してないから大丈夫」
「う……わかりました。そうまで言われるなら」
 こほん、とわざとらしい咳払いの後、千鶴の言葉でしか聞いたことの無い声が歌になる。
 千鶴にとって沖田の歌がそうであったように、沖田もまた、千鶴の歌う歌は初めて聞くものだった。なのに不思議と懐かしさを覚える。
 姉の声と似ているわけではない。自分の知っている歌と近いわけでもないのに懐かしい、と思えるのは童歌独特の旋律のせいだろうか。
 それとも、彼女の声で聞く歌だからだろうか。
「……沖田さん」
「ん?」
「そんなに見られると、恥ずかしいんですけど……」
 先ほどと立場が逆ながら同じ会話をする羽目になり、ただ違うのは赤くなるのが見つめられたほうだということだ。
「ああ、ごめんね」
 謝罪するほうはけろりとしており、終わってしまった歌を惜しんでもう一度とねだる。一度歌ったことで羞恥が薄まった千鶴はいいですよと答え、違う歌がいいかどうか確認してから、同じ歌を再び空気に乗せた。
 こうして千鶴の歌を聞いていると、対岸の平和な世界の中に自分もいるようだと沖田は思う。
 分ける必要がないくらい、自分にとっては日常となった新選組としての生き方が、千鶴という存在によってわずかにずれる。きっと、彼女があまりにも平和ぼけしているせいだろうと自分を納得させようとするが、同時に首をひねる自分もいて。
 小さな声で、けれど朗々と響く柔らかな声が心地よい。このまま寝てしまいたいなあと不意に思い、そして沖田はそれを実行した。
「沖田さんっ!?」
 ごろりと頭を千鶴の膝に預ける。傾斜の付いた土手はさもすると転がってしまうから、若干身体を斜めにして寝転がると驚いた千鶴が歌うことをやめた。
「続けてよ」
「え、あの、でも」
 風邪を引きますよ? なんて無粋なことをいう千鶴を無言で見つめ続けると、やがて諦めたように千鶴が歌いだした。両の手で、広く開いた沖田の襟元を引き寄せながら。
 過保護だなあ、と苦笑し、こんなんじゃまるで、本当に僕が子供みたいだと思いながら沖田は双眸を閉じた。
 包み込む風と光と千鶴の声が心地よくて、もう少しばかりこの時間が続けば良いと柄にも無く願いながら。








Fin




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Comment:

自分の思う、沖田総司をちゃんと書いてみたくて書いたお話です。
大好きな人に「大好き!」って言ってもらえた作品なので、思い入れもあったり。
寄稿してから二ヶ月強経過したのでこちらにもup。


20090712up


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