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●ふたりの願い |
「千鶴、ちょっとこっち来い」
新選組から離脱し、永倉ら同士と共に戦場を駆ける夢を諦め唯一人と決めた女と暮らし始めてから暫くの後。
新居を構えた左之助と千鶴は生活をするのに必要な品を揃え、日々を慌しく過ごしており今日も千鶴がばたばたと片づけをしていたところに左之助が声をかける。
先ほど左之助と共に買い物をしてきたばかりの千鶴は、買ったものを分別して片づけをしている真っ最中だったが、自分を呼ぶ声に振り返って左之助のもとへと応じた。
「はい、何でしょうか」
「いいからちと座れ」
ちょいちょい、と手招きされるままに土間から居間にあがり、左之助の前に正座する。自分を呼びつけた人物は、ぐるりと部屋を見渡し、にかりと笑ってからその笑みを少しだけ真面目なものへとかえる。
「ここが、俺たちの家だ」
改めてそう宣言した左之助に千鶴の口元が緩む。そう、この少し古い、けれど二人で住むには十分な長屋の一角が自分たちの家だ。
左之助の夢であり、自分の夢でもある『惚れた相手と日々穏やかに暮らしていく』ことを実現するための本拠地だ。江戸から少しだけ西に下り、左之助の知り合いという人物から紹介を受けたここは、賑やかな町ではないけれど住んでいる人々の温もりがうつったかのようにあたたかな空気が漂っていた。
「家と、必要な家財と、千鶴」
「はい」
「これだけ揃ってりゃ、俺としては万々歳だ」
呼ばれたのかと思って返事をしたら、どうやら違ったらしい。少し恥ずかしくなって視線をさまよわせたら、気付いた左之助が小さく笑う。
「それでだな、ちと真面目な話をするぜ」
あんまこういうのは性に合わねえんだが、とさらに前置きをしてから左之助は言葉を紡ぐ。まっすぐに、千鶴を見詰めたまま。
「千鶴、おまえ赤ん坊はどうしたい」
あまりの唐突な問いに返す言葉を失ってしまう。けれど、左之助の顔は真剣そのものだ。
戸惑う千鶴を左之助はじっと見つめて、言葉の真意を形だけではなく思いとしても伝えようとする。多分この話は、千鶴にとって楽しい話ではない。出来ることなら頭から消してしまいたい『現実』だとわかっているから。
けれど、だからこそこれから二人で生きていくためには避けて通れない問題だった。そして左之助は、その時が来る前にきちんと腹を割って話しておく必要があると思ったからこそ、こうして膝を詰めて話題を振ったのだ。
「まず始めに言っておくが、俺はどちらでもいい。そりゃあ出来れば家族は多いに越したこたねえし、何よりおまえと俺の子だ。可愛くない訳がねえ」
夢にまでみた幸せな家庭。そこにあるのは惚れた女との日々の暮らし。
そこに二人の子どもが増えて家族となる。それは、どんなに幸せなことだろうか。
「それともう一つ。俺に迷惑をかけるとか、子どもの未来がとかそんな事は考えるなよ。俺は、おまえも、そしてガキだって守り通す意思も意地もある」
だから。
「だから純粋に、おまえがどうしたいのかを聞かせてくれ。考えた結果――鬼の血を残したくないというのなら、俺はそれでいい」
いつもどおりの艶やかな声に響く真剣な硬さにようやく千鶴の頭が回り始めた。そして何故左之助が改まってまでこの話を持ち出したのかを理解し、けれど分かれば分かったで色々なものが渦を巻いて答えとしてまとまらない。
二人で暮らし始めること。家庭を築くこと。
夫婦になるということは、家族が増える可能性だってあって。そしてそれは本来なら酷く当たり前であたたかな祝福に包まれるものだけれど――自分は、純潔の鬼だ。
自分の子どもは、確実に自分の中にある鬼の血をひく。それが男であれば人外の強さをもって生まれるだろう。物心つく前にそれをふるえば、異端の目で見られるに違いない。
けれどああ、それでもそれは気をつければどうにかなる問題かもしれないけれど、もし、もし女の子が生まれたら。
至った想像に知らずぶるりと身体が震える。先ほどまでの笑顔はどこへやら、すっかり蒼白になった千鶴を痛々しい眼差しで左之助は見つめ、腕を伸ばしてそっと細い肩を抱き寄せた。
「すまねえな……おまえが、この手の話を嫌がるってのは分かってるんだ。けどな、おまえと俺が夫婦になる以上避けて通れない問題だ。なら、すっきりはっきりさせておいたほうがいいと思う。おまえだって何べんもこんな話したくねえだろ」
「すみ、ません」
「何でおまえが謝る。これは夫婦の問題だろうが」
だから俺の問題でもあるのだと言外に告げてくれる左之助に、改めてこのひとが夫でよかったと千鶴は思う。
適当にごまかすことも出来たはずだ。鬼ということを忘れ、子が出来たら出来たで覚悟を己の内にして暮らしていくことも。
けれど、同時に生まれる不安もあることをきっと分かっていて、だからこそあえて言葉にしてくれたのだとわかる。自分ひとりに抱え込ませることなく、覚悟を己だけするのではなく――夫婦として、共に生きていくものとして同じ覚悟を胸に刻もうとしてくれている。
「最初にも言ったが、俺はこれだけ揃ってれば十分だと思っている。おまえも知ってるだろう? 俺の夢を」
「……はい」
「あとはお互いの寿命まで仲良く暮らせりゃ、夢みたいなもんだ」
「はい」
「それが俺の夢であり千鶴、おまえの夢でもあったよな」
「……はい」
とても贅沢な夢。決して叶う事がないと思っていたのに、それはこうして手のひらのなかにある。
これ以上など望むべくもないのに、目の前の人はそれでも穏やかな眼差しで甘やかしてくれるのだ。
「んで、こっからは『俺たち』の夢の話だ。夫婦二人でつつがなく暮らすもいい、ガキをわんさかこさえて賑やかに暮らすのも一興。だが最低条件として、おまえがきちんと笑顔でいるこった」
だから、どうしたい?
腕の中の千鶴を見つめれば、何かをこらえるように唇を噛む。そんなに噛んだら痛むだろうと親指で結びを解いてやれば、千鶴は恥ずかしそうに頬を染めた。
「わたし、もう十分幸せなんです。本当に、こうして左之助さんと……お慕いする方と一緒になれて、私、鬼、なのに」
「千鶴」
「ごめんなさい、わかっているんです。左之助さんの気持ちを疑っているわけではなくて、ただ、今でも幸せで、なのにこれ以上を望むだなんて罰当たりな気がして」
相変わらず己の幸せに頓着しない千鶴に苦笑する。
「あのな。愛した女に言われるわがままってのは男にとっちゃ最高の贅沢ってもんなんだぜ? それにおまえのわがままなんてのは、数のうちにも入らねえよ」
言い聞かせるように言っても千鶴は大きな瞳を不安そうに揺らせる。何て顔してんだよ、と、顔を上向かせてこめかみに口付けをした。
「聞かせてくれ。おまえの考えを」
甘えては駄目。これ以上を望んでは駄目。
(わかってる)
命をやりとりするような日々から退き、これから迎える新しい日々。もうそれだけで幸せ。だからこれ以上は望まない。
だけど、でも。自分はやっぱり女で、愛したひとの子どもを生みたいという願いは奥底にどうしたってある。
でも生んでしまったら。家族を守るために左之助は文字通り命を懸けるだろう。左之助は自分と二人でもいいと言ってくれている。その人に、さらに守るものを作ってしまうのは許されることなの?
「くだらねえこと考えるなよ? 俺はおまえと決めた時に、おまえの人生丸ごと背負う覚悟は出来てるんだ」
たいせつなひと。
「おまえが望むことならなんだって叶えてやる。だが、おまえが本当に望んでねえことなんざ頼まれたってやらねえよ」
いとしいひと。
「心の奥底からこうしてえってことを教えてくれ。それが夫婦ってもんじゃねえのか」
――いとしいひと
「わたし……わたしも」
「ん?」
「左之助さんと一緒に暮らしていけるならそれだけで幸せです。でも、もし許されるなら、わたし」
――あなたの子どもを生みたいんです
ちいさなちいさなこえの最後が震えた。普通の女なら堂々と口に出せる願いを、けれど千鶴はどんな思いで口にしたのだろうか。
それでも視線を自分から逸らさずにそう告げた千鶴を、左之助は力の限りに抱きしめる。耳元に寄った唇で、吐息ともつかない返事をした。
「馬鹿だな……誰が、許す許さないを決めるってんだよ」
「さのすけさ……」
「俺たちの子だろ? 俺とおまえがいいんならいいじゃねえか。もし生まれてきたガキがおまえに恨み言一つでも言うようなら、俺が拳骨で殴ってやるよ」
「だ、だめですよそんなの」
「まあ、俺たちの子どもなら大丈夫だろ」
きっとおまえに似て、芯のしっかりした優しい子になる。
左之助さんのように、心が広くてあたたかい子になりますよ。
そうなると、いい。
まだ迷う気持ちはあるけれど、この気持ちごと左之助は受け止めてくれるだろう。
堰を切ったように与えられる口付けを受けながら、確信としてそう思う。
「頼むから、悩んだ時は相談してくれ。一人でなんでも抱え込もうとするな」
「はい」
「『わかってください』だの『出て行きます』だのはもう十分だ」
「う……だって、あれは」
「人生で二度も三度も同じ女に振られたくはないからな。たとえ強がりだってわかってても、傷つくんだぜ?」
ふざけたように言った左之助の瞳が、それだけではないと告げているからいたたまれなくなってくる。けれど同時に少しだけ嬉しいと思ってしまうのは許されるだろうか。
「この話だってしなきゃしないでおまえの性格からすると悩むだろ? 挙句一人で育てるとかって家を出て行かれた日にはさすがの俺だって立ち直る自信はねえぞ」
「そ、そんなことは……っ!」
「しないって?」
「し、ない……かな」
想像して、素直に頷けないあたり左之助は自分の性格をよくよくわかっているのだと思う。そして嘘のつけない自分は心のままに返事をし、左之助の眉間に皺を刻んでしまった。
「おまえ……どんだけ懲りてねえんだ」
「ごめんなさい」
「俺はしつこいぞ。おまえが逃げたって追いかけるぜ」
怒られているはずの言葉が甘い。
「一生かけて試せばいい。ガキだって何人も生んで、そのたびに俺が喜ぶ様をずっと傍で見てろよ。おまえが馬鹿だって笑い出すくらい、俺は幸せになる自信がある」
なのにおまえが逃げる理由がまだあるってのなら逃げてみろ。
(お願いだから、もう甘やかさないで)
甘い言葉が胸から酸素を追い出すから息が苦しい。幸せで幸せで眩暈がする。
「逃げないです。だって、私も左之助さんを選んだんですから」
千鶴の言葉に左之助が笑う。柔らかな目元をさらに愛しげに緩め、覚悟を決めた妻に再び口付ける。
「そうと決まれば、今晩から励むか」
途端がちりと固まった千鶴をおもしろげに見やり、何かを言おうとした唇を己のそれでふさぐ。
言葉を封じられた千鶴が抵抗するように手足を動かしたが意に介さず、別に宵を待たずとも構わないかと左之助は千鶴の希望とは逆に考えを働かせて行動に移す。
「ちょっ、さのすけさん!!」
「黙っとけ。俺は心が狭いから、おまえの声を他のヤツに聞かせてやる気なんざ更々ねえんだよ」
日の暮れきっていないこのあたりは、人々がせわしなく行き来する。当然睦言も声が高ければ聞こえてしまうだろう。
「まだ! まだ夜になってないです! 片づけだって残って……」
言葉は左之助の喉の奥に消える。
これからずっとずっと、世界中で一番自分を甘やかせるのが上手なひとに、世界で一番幸せな夢をみせてもらえるのだろう。
つよく抱きしめられながら、自分も左之助にとってそうでありたいと、抱きしめられた腕の強さの分だけ千鶴も又、願ってまぶたを閉じた。
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Comment:
二人で生きていくにあたって、多分避けて通れない問題で、左之さんはきっと腹を割って話をするんじゃないかな
と思ったので。
20090224up
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