** Happy C×2 **
 ●重ねる想い


 気がつけば、どれだけその存在に助けられていたのだろうか。
 自分よりも年下で、背丈も低く身体も細く、かといって特別にすばしっこい訳でもない。どこにでもいる「子供」と「娘」の狭間で存在した「彼女」は、いつでも自分の後を、それこそ雛鳥のように付いてきていた。
 頼まれたから面倒を見た。任務だからこそ、世話を焼いた。
 それ以上でも以下でもないと告げたところで、返ってきたのは笑顔と。
『それでも、実際にそれをしてくださるのは斎藤さんですから』
 だから、ありがとうございます、と。
 高く結い上げた髪が反転するほどに頭を下げられてしまっては、その心に応えたくなってしまう。ただの、一個人として。
 けれど己が属する組織にとって異物でしかない彼女は、いつ排除されるやもしれぬ存在だった。だからこそ妙な情けはかける訳にも行かず、情を移す訳にも行かぬ。
 否、移したところで下知が下れば行動に移すのみだ。己の、心の痛みなど関係ない。
 そう――痛むのだ。
 仲間でも家族でもない、けれど最早他人とも呼べぬ存在になっていた雪村千鶴という人間を失う時。斬らねばならなくなった時。
 その痛みが何と呼ばれる感情に起因するかなど、当時の斎藤にはわかるはずもなかった。

 

 

 

「…………」
 机には、千鶴より贈られた新しい手袋とそれを包んでいた包み紙が置かれている。
 ただでさえ己の身体に頓着しない一に痺れを切らした千鶴が、実力行使とばかりに日々買ったりつくったりしたものを夫である一へと贈り始めたのはここ数ヶ月のこと。
 頓着しない、というよりは、実際に寒さなど感じぬと主張したところで受け入れない千鶴は、拒絶する自分に日々不機嫌さを増していくものだから、一は大人しく彼女からの贈り物を受け取ることになる。
 だがしかし。
 使い込んで手の平の部分が磨り減った手袋を外し、新しいそれを取る。それはいい。
 一の視線が横にすべり、綺麗に折りたたんだ包み紙を見る。
 そして一度手に取った手袋を再び机に戻すと、包み紙の方を手に取り、机の脇に置いてあった文箱を開けた。
「…………」
 困った、と思う。
 開けた文箱を見、手元にある包み紙を見てわずかに一の眼差しが顰められる。さてどうしたものか、といった胸中が見て取れるようだ。
「一さん?」
 その時、襖の向こうから名を呼ばれた。返事を返せばす、っと半尺ほど開けられた一拍の後にすらりと襖が開かれた。
「お食事の用意が出来ましたけど……どうしたんですか?」
 夫の表情に困惑を見つけ、千鶴が声をかける。その夫の目の前にあるのは、先ほど自分が彼に送った手袋だ。
 手袋が目の前にあり、贈られた主が困っている。となれば、その理由など明らかだろう。
「あの、お気に召しませんでしたか? 出来るだけ今使ってらっしゃるものと似たものを選んだつもりだったんですけど」
「いや、違う。そうではない」
 謝罪の言葉を千鶴が続けるよりも早く一が緩く首を振る。そこで初めて、千鶴は夫の向けた視線が手袋そのものではなく包み紙に注がれていることに気がついた。
 廊下から一の部屋へと身を移し、改めて夫を見やる。すると一はその視線を傍にあった文箱に移したから、つられて千鶴もそこを覗き見れば、それは手紙以外のもので溢れ返っていた。
「それ……包み紙、ですか?」
「おまえから貰った品が包まれてあったものだ」
 だが、もう入らぬ、と。困ったような声で告げられてしまっては二の句がつげない。
「ええと、一さん?」
「なんだ」
「文箱は、文を入れる為の箱ですよ」
「別に、文以外のものを入れてはならぬ決まりはない」
「それは、そうですけど」
 問題はそこではなく、何故包み紙などを後生大事に仕舞っているかという点だ。
「あの、一さん」
「なんだ」
「私が一さんに差し上げたのは、中身であって包み紙ではないです」
「だが、これもおまえから貰ったものの一つだ」
 言いつつ、本当に困ったという眼差しをするものだから。
「もうひとつ、文箱を用意するべきか――千鶴?」
 自分の気持ちになど気付かぬと言った態で、何故顔が赤いのだなどと聞いてくる夫が小憎らしく思える。一体、誰のせいだと思って。
 悔し紛れも相まって、千鶴は手を伸ばすと一の手から包み紙を抜き取った。
「包み紙なんて、取っておいても邪魔になるだけです。それに文箱だって、本当に大切なお手紙を仕舞えなかったら意味がないじゃないですか」
 気持ちは嬉しいけれど。本当に、嬉しいけれど。
 困らせてしまうならば、捨ててしまったほうがいい。そう思ってそうした千鶴の腕を、不機嫌そうに一が掴んだ。
「邪魔などではない」
「でも」
「それを言うなら、おまえがずっととっておいてくれたあれも同じことだ」
 結果として形だけの別離となったが、あの当時の千鶴にしてみれば身を切られるようなそれであった時、斎藤からもらった桜の花弁。
 どれだけ、支えになったことだろう。
「花弁など、どこにでもある」
「でもあれは、一さんが下さった大切なものです!」
「これも同じだ。おまえがくれたもので、どこにでもあるものではない」
 だから、邪魔などではないと言い切る一に言葉が続かない。
「俺は一度、おまえからもらったものを捨てたことがある」
「え?」
「昔……雪うさぎを俺にくれたな」
「でもあれは……溶けてなくなるもので」
「だが、耳や目に使った葉や南天は残っていた」
 身体は溶けて水となり消えていったが、窓辺に残された葉と南天はいつまでもそこにあった。
 何故か捨てるのが忍びなく暫くそのままにしていたのだが、やがて正体不明の感情に苛立ち、急かされるようにそれを処分した。そして――後悔したのだ。
 贈り物は心である。それは知っている。形が消えたとはいえ、千鶴が自分に雪うさぎをくれたという事実も、そうしてくれた柔らかな気持ち自体も消えるものではない。
 それでも。その記憶をとどめるものとしての「形」があるのならば、手元に残して置けば良かったと悔いた時にはもう遅く。
 何故彼女から貰ったものを留めておきたいと思ったのか。何故、苛立ったのか。そして後悔したのか。
 今となれば、雪が溶けるよりも自然なものとして受け入れられるのに。
「だから俺は決めた。おまえから貰ったものは、もう二度と捨てぬと」
 例えそれが、他からみれば取るに足らないものであったとしても。
 予想以上の強い眼差しに言葉がつまり、千鶴は俯く。
 つかまれたままの腕から、包み紙がすっと引き抜かれた。だが、再び許容量を超えた文箱に言外の拒絶をされた一の動きが止まったのを見ると、千鶴は再びその手を差し出す。
「一さん」
「捨てぬと言っただろう」
「いいえ、違います。そうではなくて」
 苛立たしさを含む声を正面から受け止め、千鶴は微笑を向ける。
「又、その包み紙で贈り物をします。捨てるのではなくて、とっておくのでもなくて、重ねるならよろしいですか?」
 自分の提案に良人の涼しげな眼差しが見開かれた。
「擦り切れるまで、この紙で贈ります。使えなくなりそうになったら、そちらのものと換えて下さい」
「千鶴」
「だって私、まだまだ沢山、一さんに贈り物をしたいんです。ずっとずっと。なのに全部取っておいて下さったら、文箱なんて幾つあっても足りません」
 だから、重ねていきましょうと。想いを重ねていきましょう、と。
 微笑んだ妻を見て、虚につかれたままだった一の双眸が柔らかさを取り戻す。
 そして手に持っていた包み紙を差し出された細い手に託し、気まずげに咳払いを一つ。自分でも、大人気ないとはわかっているのだ。けれど男としての見得や大人としての良識よりも、千鶴からの想いを残して置きたいという欲求の方が強くあるのだから仕方がない。
 千鶴を得てからの自分は、どんどんと子供返りしている気がするな、と思わなくもない。想いを受け止めてくれる相手がいるということから生まれる心は、果てしなくにごり無い欲求のみを満たそうとする。
 ともすれば浅ましくもなりうる欲望を、けれど彼女は笑って受け止めてくれる。甘えてはならぬ、と思いつつも知らず言葉が、この手が彼女に告げてしまう。何よりも愛しいのはただ、おまえだけなのだと。
 眼差しで伝わらなければ言葉で。言葉で伝わらなければ触れる手の平で。それでも駄目ならばこの身体で。
 その全ての手段が許される関係が、何故に心地よく胸を病んでいくのだろうか。
 愛情は「湧く」ものだとは良く言ったものだと感心する。まさに今の自分のうちに在る千鶴への想いは、湧くばかりで枯れることを知らぬ。そしてそれを注げる先がなければ、自分は呼吸も出来ずに溺れ死んでしまうのだろう。
「お風呂を先になさいますか?」
「ああ、そうだな」
「ちゃんと出たら、湯冷めしないようにして下さいね?」
 家でも外でも薄着なんですから、と、唇を尖らせる様を見て微苦笑をひとつ。
 斎藤から一に変わった呼び名も。何者でもなかった存在から、かけがえの無いそれになった関係も。
 気付かぬうちに贈られた沢山のものが己の中に重なって、愛しさに変わったが故。だからきっと、必然。
 この先に続く二人の道も、最後の日にそうであったと思えるように。

 

 

 

 

Fin

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Comment:

自分なりの「可愛い斎藤さん」って何だろうどこまでだろうと考えてみた。
ら、こうなりました。という話です。

20090902up


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