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●形無きもの |
屯所に、しかも一室にこもり続けているという生活には限界がある。
気は短いほうではない、と思う(たとえ逃げ出そうとして失敗した挙句、殺すのなら殺せばいいじゃないですかなんて発言をしたとしても)。
けれど仙人や坊主のように達観している訳でもない自分は、何もしないということをするというのは、はっきりいって頭がおかしくなりそうだ。
最初は繕い物を持ってきてもらって、そりゃあもうひたすらにちくちくちくちくと針を進めた。だって、それしかすることがない。
そしてそれすら無くなれば、無意味に部屋の掃除を始めてみたり、それを許される範囲まで広げてみたり。けれどその範囲は本当に限られていて、繰り返すうちに見かねた土方に「逆に床が痛むからやめてくれ」とまで言われてしまった。
「いい天気だなあ……」
開け放した障子戸から穏やかな日差しが降り注いでいる。こんなに天気がいいなら外にでかけたり、お洗濯したり。お布団だって干すのにも十分なのに。
「それすらも出来ないなんて……役立たずにもほどがある」
呟いて抱えた膝に顎をのせてため息。最近、以前よりも独り言が増えた気がする。さみしい。
食客とは居候、の意味だが、自分の場合文字通り食べるだけの客のようなというかそれ以外ないだろう。沖田に言われるまでもなく、最近では御飯すら喉を通らない。
いつかと同じように、斎藤が自分の分は自分で守れ、だの、遠慮などしたほうが負けだのと言ってくれたが、最早遠慮と言う枠を超えて申し訳なさ過ぎて食欲がなくなっている。そもそも動かないのだから腹の減りようもないのだ。
「…………」
しばし考えて。
「あの……今の当番はどなたでしょうか?」
新選組から全く信用されていない、ただの異分子である自分には常に見張りがついている。沖田が自ら明かすまでは全く気付いていなかったのだが、当然と言えば当然のことだ。
恐る恐る、けれどしっかりと隣の部屋とを繋ぐ襖に向かって声をかけると、しばしの後にすっと襖が横に開かれ、気まずげな平助が現れた。
「どした? 何かあったか?」
沖田の当番がほぼ夕刻であるのは知っていたが、彼の一番組が巡察の当番である時にはその順番も当てはまらない。嫌いな人物ではないが、できれば他の人がいいななどと逆らえない本能で考えていた千鶴は、現れた平助にほっと息をついた。
「ううん、何もないの」
「?」
「何もなさすぎるの……何かないかなあ」
縋るような目を向けられ、平助は「あー」と意味の無い音を発する。
千鶴の心境はよくよく分かる。今の彼女の状況を自らに置き換えれば、一日だって耐えられそうにない。
前々から千鶴の置かれた状況を鑑み、まわせる仕事はこそこそと回している。あとはもう、土方の許可を貰って行動範囲を広げてもらわない限りは無理だ。
「ごめんな、やってもらえそうなこと何もねえんだ」
「そっか……ううん、私こそ無理言ってごめんね」
申し訳なさそうに謝る平助に千鶴が笑顔で首を降るがどこか寂しげな雰囲気が漂うのは仕方が無い。元々父親と二人暮らし、しかも実家家業だった千鶴は、暇な時間など中々持つ間もなく家事に父の手伝いにと動き回っていたのだ。
それがここに来て、誰かの手伝いはもちろんの事、食事の支度や家事まで取り上げられた。上げ膳据え膳で、自分はただただ時間を過ごし、食べ、寝るだけ。千鶴の性格からすれば、到底耐え難いものだったが、これ以上迷惑をかけたくないという一心から大人しくしている。
平助もそれがわかるからこそ何とかしてやりたいのだが、土方の命は絶対だ。彼の許可無く判断することも出来なければ勿論勝手に外に連れ出してやることも出来るはずがない。
「あのね、もし良かったらなんだけど、少し話相手になってくれないかな」
だから、千鶴に乞われた願いを断るなどどうして出来ようか。
「俺でよかったらいいぜ。あ、でも新選組に関わることはナシな。又余計なこと口走っておまえがヤバい事になるのもやだし」
失態の数々を思い出したのだろう、平助の視線が床に落ちた。確かに平助の発言によって自分が保護という名目で軟禁されることは確定となり、更に沖田から冷たい言葉を浴びせられるきっかけにもなった。
けれど同時に、歳が近い平助がいるお陰で自分はとても救われている。年齢の事だけではなく、彼の持ち前の明るさや優しさによって。
「千鶴はさ、裁縫とは得意なの?」
「うん。うち母様がいないから、家の事は全部私がやってたの。だから、一通りの事は出来るよ」
隊士の着物に着いている半衿を取り替える作業も、思えば千鶴は実に手際よく片付けた。もっとゆっくりやればいい、と誰かが言ったような気がするが、これでもゆっくりやったんですと言われてしまえば、千鶴が言う「得意」というのも嘘ではないのだろう。
立ち話もあれだと、平助は千鶴の目の前に胡坐をかく。単純に目線が水平に近付いただけだというのに、親しみが増すのが不思議だ。
「平助君は何が得意?」
「オレ? オレはそうだな……剣とか? っつうか、それ以外なんかあったかな」
意外にも真剣に考え始めた平助の答えを千鶴はじっと待った。その間にも平助の表情はくるくると変わる。そんな平助を見ていると、とても彼が剣を振るい人を斬っているのだとは思えない。
眉根に皺が寄った、と思ったら、何かひらめいたように目をくるりと動かす。かと思えば次の瞬間には首をひねり、開いた唇から「あー」という呟きが漏れた。
「……っぷ」
百面相に我慢できず、千鶴が吹き出す。悪いとは思っても、おかしいと思ってしまったら止められない。
「なんだよ、いきなり笑い出して」
「ごめ、ごめんね。でもだって、平助君の表情があんまりに変わるから」
全くの無意識だった平助は、千鶴に指摘されてかっと赤くなる。千鶴は目の前で口元を押さえながら笑い続けている。
「なんだよ、笑うなよ!」
「ごめんごめん」
「千鶴って結構性格悪いのな」
「ごめんってば」
すっかりへそを曲げてしまった平助に謝り、もう一度「ごめんね?」と少し真面目な声で謝ると、とたんに「別に……いいけどさ」ととがったままの唇が赦しを告げる。きっと、さっきまでも怒ってなどいなかったのだ。すこし気恥ずかしかったから怒ったふりをしただけ。
そういうことも分かるから、自分は平助といるときが一番安心するのだと思う。
「結局剣以外に得意なもん見つけられなかったじゃんか。まるでそれしか能がねえみてえ」
剣が得意、というのは自分にとって誇りだが、そればかりではまるで剣術馬鹿のようだ。
千鶴のまえで格好をつけたかった気持ちも正直あったので、平助はぶつぶつと不満を漏らす。けれど、千鶴はそんな平助を見てふ、と優しい笑みを浮かべた。
「あのね、平助君って人の気持ちを明るくするのが上手だと思う」
「へ?」
「原田さんや永倉さんと一緒にいる時、お二人も凄く楽しそうだもの。他の人たちもそう。平助君が傍にいると、皆楽しそうな顔、するよ?」
いきなり何を言い出すのか。照れも手伝って平助が絶句していると、気付いてか気付かずか、構わずに千鶴は言葉を続けた。
「私もね、平助君がいてくれると凄く楽しい」
「ばっ……、別に、何もしてねえじゃん」
「こうしてお話してるだけで楽しいよ」
千鶴の真直ぐな視線が恥ずかしくて顔を逸らせば、追い討ちのように告げられた言葉。ちょっと待ってくれ。褒められるのは(って褒められてるんだよな?)嬉しいが、もう少しこう、心の準備と言うか気構えというか。
(――そうじゃない)
千鶴に言われたから、こんなにも自分は胸の奥が熱を帯びるのだ。
「じゃあ、ヒマな時には千鶴の相手してやるよ」
「本当?」 「だって可哀想じゃん? 外に連れ出したりはしてやれないけど、話相手くらいでおまえが喜ぶって言うなら幾らでも話相手になってやるよ」 冷静に落ち着いて自分の心と向き合ってみれば、答えはするりと降りて来る。そしてそれはそのまま、胸の奥の一番大事な場所に溶けていって。 自分の言葉に、きらきらの瞳を向けてくる少女。なんだよ、可愛いんじゃん。女の子だから、じゃなくて、千鶴が可愛いんじゃんか。 ありがとう、とごめんねを同時に発した千鶴に、おまえが折角褒めてくれたんだから、得意技は活かさないとなとふざけて返す。
そうするとほら、もっと可愛い顔で笑うから。 「あとさ、千鶴もっとメシ食わねえと駄目だからな。最近全然食ってねえだろ」
「だって」
「変な遠慮するなって。一君だって言ってたじゃんか。腹が減らねえっていうなら、オレと沢山しゃべれば少しは減るだろ」
「平助君……」
「あとは適当に見計らって、俺からも土方さんに千鶴の行動範囲を広げてもらえるように頼んでみるからさ。この間総司と一君も頼んでくれてたみたいだし、多分近いうちに中庭くらいまでは堂々と出られるんじゃね?」
平助の申し出自体にも驚いたが、それ以上に沖田と斎藤が自分のために動いてくれていたという事実に驚いた。一体いつの間に、彼らは自分の気持ちを察してそうしてくれたのだろう。
その疑問が顔に出たのか、平助がまるで当たり前のように理由を教えてくれた。
「だって千鶴、笑ってねえもん」
女の子は笑顔が一番可愛いんだから、笑わないと勿体ねえよ。
本当に言いたかったのは、千鶴は笑っていたほうがいいということだったけれど。
少し気になる女の子は、大分気になっている女の子だったことに気付いた。
今日のように、いつも笑っている千鶴を見ていられたら、その気持ちはどんなものに育つだろうか。
千鶴の部屋を後にして土方の部屋に向かいながら、自分の心に問いかける。
今日降りてきたばかりのそれは、明確な答えを返さずにただ、じわりと言いようのないぬくもりを広げただけだった。
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Comment:
全く違うお話になってしまいました(沖千を書こうとしていたなんて誰も信じない)。
平助を出すと平助が可愛くて可愛くてつい。
20090227UP
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