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●変わる日々 続く日々 |
『守れという命令があるかぎり、俺はお前を守りぬく……何があってもだ』
――だから安心しろと。
本当に彼が言いたかったのは、恐らくそれなのだと今ならわかる。
だけどその当時は、否、それよりも暫く経った後にその言葉の意味を考えて酷く落ち込んだものだ。
(だってつまり、命が無ければ守ってはくれない)
子供のような理屈だと分かっている。身の程を越えた願いだとはわかっていても、それでも。
何よりも与えられた命を重んじ、武士であろうとする彼の背中ではなくその眼差しを受けたくて。自らの意思で命に従う彼ではなく、自らの意思に自ら従う彼に見てもらいたいと叶わぬ願いを抱え、そんな自分が醜くて嫌だと落ち込んだ。
それはその気持ちが恋と呼ぶものだと知り、幸いにも受け止めてもらえることが出来た今では苦笑をもって思い出せる淡い思い出。
斗南での暮らしは過酷、の一言に尽きる。
無論自分は恵まれているほうなのだ。日々食べていくものの為に名立たる藩士の妻や娘ですらその身を売ることも少なくない。千鶴がそのようなことをしてまで暮らさずに住んだのは、ひとえに京にいる千姫のおかげだ。
雪深く、訪れることが困難になる時節の前に大量の穀物や乾燥した魚、保存のきく芋などを送り届けてくれる。始めの内こそこんなには、と遠慮したものだが、千姫の厚意と何よりも実感した生活の厳しさにありがたく受け取ることにした。そうでなければとっくに千鶴自身も身売りを考えていただろう。例え、どんなに一が反対したとしても生きる為ならば手段を選んでなどいられない。
(けれど多分)
そんな『もしも』が訪れないことを千鶴は知っている。生活の為、生きていく為とは言え、千鶴がそのようなことをする前に一ならば腹を切るだろう。自分が愛した男は、そういった人物なのだと知っている。
そしてそんなひとだからこそ、自分の身を汚しても生きてほしいと千鶴は思うのだ。
斗南の冬は早く、春は遅い。千姫が送ってくれた食料も、大事に使わねば底をついてしまう。
元々贅沢をする性格ではないが、斗南に来てからというものの節約癖がさらに増した気がする。が、それは主に自分に対してだ。夫であり、尚且つ外で働いている一には何一つ不自由な思いをしてほしくない。そんな思いもあり、毎日とは行かずとも3日に1度は食事に魚をつけるようにしている。そうでなくともうんと栄養を取ってもらいたいのだ。
長く長く、元気に。自分の隣に居てもらえるように。
今日も仕事を終えて帰って来た一に夕食を用意した千鶴は、だが彼の様子が少しばかり違うことに気が付いた。
仕事で何かあったのだろうか、とも思ったが、女が仕事に口を挟むべきではないとの考えから聞きあぐねる。自分に必要なことならば言うだろうし、余りにも辛そうならば自らきっかけを作ろうとも思えるが、今の様子はそのどちらにも当てはまらないので千鶴は気付かないふりをした。
「今汁物を温めますから、待っていてください」
「千鶴」
一の上着を預かり、衣文掛けに掛けたところで不意に名を呼ばれる。
「なんですか?」
「食事だが、一緒にとらないか」
斗南に移り住み、1年と少し。夫婦になってから半年の間、一と千鶴は多くの夫婦がそうするように共に食事をとることは無くなった。
新選組の屯所では皆一同に会して食事をとっていたが、夫婦となれば話は違う。無論一は夫婦といえど今までどおり共に食事をとろうと言ってくれたが、千鶴の方が頑なに断った。だってもう夫婦なのですから、と。
その後も事あるごとに一は共に食事をしようと申し入れ、千鶴が断る。妻は夫が食事を取り終えるまで給仕に徹するもので、その仕事が終わってから自らの食事にあたる。そういう、所謂道徳的なものが主な理由だったのだが、最近では別の理由もある以上余計に首を縦に振ることは出来ない。
その言葉を言う時決まってそうするように、一は澄み切った湖面にも似た瞳をまっすぐに千鶴に向けてくる。初めてではないといえ、そんな眼差しを向けられて断るのも辛い。
「嬉しいお言葉ですけど、私は一さんのお食事が終わられてから頂きます」
「共に食べれば汁物を温めなおす手間も省けるし、何より俺が嬉しい」
例え傍にいてくれたとしても、一人で食べる食事は味気ないと寂しそうに言われてしまっては言葉に詰まる。
(でも、だめ)
一緒に食事をすることになれば、あれがばれてしまう。それを知ったらきっと斎藤の事だ、整った眉をひそめて無言のままに自分を責めるだろう。同時に、責めること自体が間違いで全ては己の不甲斐なさが原因とでも言い出しかねない。
黙ったまま頷こうとしない千鶴に一が嘆息し、言わずに確認しようとしたことを口にした。
「痩せたような気がするが、ちゃんと食べているのか?」
即座に食べている、との答えが返されたが僅かに動いた眼が後ろ暗いことがあるのを物語っている。千鶴は嘘は言わない。言わないが、微妙に心のうちで補足をしているだろうことは手に取るように分かる。
「質問を変える。俺と同じものを食べているか?」
重ねて問うと、今度は返るものがなかった。やはり、と一が溜息を重ねれば千鶴が慌てたように言った。
「でも一さんは働いてらっしゃいますし、私は家の事をするだけですし」
そもそも食べる量も全然違いますし、と、続けている言葉は一の無言によって徐々に尻がすぼむ。
「千鶴」
「……はい」
「こちらを見ろ」
視線を俯かせてしまった千鶴に言い聞かせると、そろそろと顔が持ち上げられる。自分は別に怒っている訳ではないと言葉ではないもので伝えようと一が彼女を見詰めれば、妻の眉が八の字に下がる。
「俺たちは夫婦だと思っているが」
「……はい」
「仮にそうでなかったとしても、俺はおまえを大切に思っている」
ごめんなさい、と返された言葉に一が首を左右に振る。違う、謝ってほしいのではない。
「限られたものがあるのなら、きちんと均等に分け合うべきだ。俺は、お前の糧を奪ってまで腹を満たそうとは思わん」
至極真っ当な物言いに、千鶴の言葉がますます奪われる。すっかり小さくなってしまった妻に、一は苦笑を向けた。
「気持ちには感謝している。だが、おまえが倒れでもしたら、俺は一生自分を許せないだろう」
「一さん……」
「ここの暮らしは確かに楽ではないが、試衛館時代も相当だったからな。おまえが思うより、俺は粗食になれている」
それに、これだけ食べられれば粗食とは言わぬ、と、言葉を重ねてようやく千鶴が口元を緩めた。
一の気遣いが嬉しい。きっと、気遣いだと言おうものなら柳眉を寄せて、気遣いではなく事実だと否定するだろう。そしてそれは一にとっては事実で、けれど自分には気遣いで。だからやっぱり嬉しい。
「ご一緒しても、いいですか?」
「無論」
柔らかく綻んだ目元に、千鶴の胸が跳ねる。自分はいつになったらこの微笑に慣れるのだろう。
すでに用意していた一の箱膳の前に、千鶴が自分のものを置いて中から食器を取り出し始める。久しぶりに向かい合って並んだ二組のそれらが、なんだか妙に気恥ずかしい。
新選組の皆と食事を取っていた時も、確かこのような並びだった。自分の左隣に原田、逆隣には永倉がいてその奥に藤堂。
向かい合った先には沖田に土方、それに今は夫となった斎藤が並び、世話になった当初は満足におかずも行き届かず、取り合いの日々が続いて。
なんて、懐かしい日々。愛おしい日々。
「こうしていると、昔を思い出すな」
同じ感傷を一も覚えたのか、浮かべた笑みは酷く寂しそうにも見えた。しばしの沈黙の後、千鶴は櫃に移した雑穀と囲炉裏より降ろした鍋を運んで来、一の椀へとよそる。
暖かな湯気が立ち上がっては空気に溶けて消えていく。二人の感傷すら同じだと、静かに流れる時間が教えてくれているようで千鶴は深く、眼差しを閉じる。
「いつか」
こうして二人で時間を重ね、日々が月に変わり、月が年に繰り上がって。それが何度も繰り返された後に迎えた日に。
「今日のこの日も、こうして懐かしむ日がくるのでしょうか」
一は黙って千鶴の言葉を聞いていた。千鶴も特に答えを求めるでもなく、やがて静かに食事を取り始めた。かたり、かたりと時折椀を膳に上げ下げする音だけが響き、けれどそれを気まずいものだとはどちらも思わない。
最後に椀に白湯を注ぎ、一息ついたところでふと二人の目が合う。互いにどちらからともなく、微笑みを向け合った。
賑やかに会話を交わすような仲間はいないけれど、穏やかな沈黙を心地よいと思える相手がいて。
おかずを取り合う相手はいないけれど、それを分け合う伴侶を見つけた。
あの頃のように、贅沢にも茶を飲むことはできないけれど、それでも満たされる食後の時間にこれ以上望むものなど何もなくて。
きっと、今を懐かしむ日がきても、あの頃を思う今のように寂しさが滲むことはないと信じたい。
「冬が来るな」
「そうですね。今朝庭先に霜がおりてましたし、もう、いつ雪が降り出してもおかしくないですよ」
「そうか」
「だから、お勤めの時は暖かい格好をなさってくださいね? 一さん、いつも薄着なんですから、風邪でも引いたらと心配です」
言えば難しそうな顔をする夫に、千鶴は負けぬようじい、と視線を固定させる。この夫は酷く落ち着いているくせに、時たま妙に子どものようなところがあるから難しい。この地に住み始めた当初など、雪が降り出しそうな寒さの中約束が無いままに自分を待ち続けたこともあった。降り出す雪の、最初の一粒を共に見たいから、などと言って。
待っていれば来ると思った、だとか、おまえならそう言ってくれると思った、と、自分の事をわかってくれているくせに彼の身体を思う気持ちは上手に受け止めてくれぬ夫をひたと見詰め続けると、やがて観念したのか難しい顔をしていた一がそれを苦笑めいたものに変える。
「気をつける」
短い、短い答え。けれど十分だった。千鶴は微笑み、箱膳を下げるために手を伸ばす。
するとその手を取られ、かと思えば両手で包まれた。冷えていた手に、一のぬくもりが心地よい。
声をかけるのも躊躇われ、何も言えずにいれば先ほどの自分の言葉をそのまま返された。否のあろうはずもなく応の返事を返せば包まれた手に加わる力が増える。照れ隠しも含め、これじゃ片付けられませんと言えば、本心を見透かしたような笑み。
結局自分はずっと、この目の前のひとに勝てるわけがないのだ。
「一さんは、ずるいです」
諦めて身体をずらし、一の横に座りなおしながらぼやくとこの男にしては珍しく声を立てて笑った。
「そう思ってくれているうちは、そうだということにしておこう」
それはどういう意味ですか、と問う前に引き寄せられ言葉を無くす。
肩に置かれた手が、まるで冷えた自分のそれを温めるように上下するのを幸せに感じながら、やっぱりずるい、と千鶴は小声で呟いた。
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Comment:
斗南での暮らしは色々と書きたいことがあるのですが、重くなりそうでどうにも
本腰を入れられずこのような小話ばかりに。
とりあえず二人仲良く日々を過ごしてくれていれば良いです。幸せ。
20090415up
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