** Happy C×2 **
 ●消えぬ証


  だってそれは、君が頑張ってきた証だから、とその人は笑った。



 全てが終わったその夜に、私がかつて暮らしていたという屋敷に沖田さんと二人で向かった。野営には慣れていたけれど、折角夜露を凌げる家があるのにわざわざそこを選択から排除する必要は無い。
  宵闇にまぎれ、漆黒にも見える血液はけれど、月光に照らされればその存在を赤々と主張する。自らを閉じ込めていた器から自由を得た赤い液体は、外に出る代償に温かみを失い水分さえ失って乾いてこびりついていく。けれど乾いているのは表面だけで、少し力を入れて触れればぐしゅりと音を立てて着物が赤い泡を生んだ。
  父と兄「だった」骸は冷たく、時間を追うごとに硬さを増していく。これ以上時間が経つと運ぶのも一苦労だと、沖田さんが父様の身体を肩に担ぎ、一瞬の間の後に薫の腕をとった。引きずられていく「兄」の姿を見た途端にどうしようもなく胸が苦しくなって、勝手にあふれ出る涙をぬぐおうともせずに私は反対の腕を肩にのせて、一緒に運んだ。

  どれくらいの時間をかけたのか、二人で穴を掘って骸を埋めた。羅刹になったものは死するときに灰になると聞いたけれど、力の代替となる命を消費しきる前に潰えれば形は残るんだなとぼんやりと思う。
  土を被せて、転がっていた木の枝を印のように立てる。あとでちゃんと墓標を立てようと沖田さんが言ってくれて、私は無言で頷いた。
  全てが終わったのに、胸に残るのは空虚な空間だけ。
  感情も感覚も抜け落ちて、自分こそ骸になってしまったような感覚になる。
  目の前の沖田さんだけがいつもと変わらぬ様子で傍にいてくれて、それだけが今の私と現実とをつないでいるようで知らず手を伸ばした。
「……どうしたの?」
「い、え」
  屋敷に入ると同時に、酷い顔だね、と、あのいつもの困ったような笑顔で沖田さんが私をそっと抱き寄せた。鼻に付く錆びの匂いは、彼が担いだ時に移った父様の血のにおいだろうか。
  けれど同時に伝わってくるぬくもりは間違いなく沖田さんのもので。
「う、あ……あああああああ!!」
  それを認めた瞬間に、私は叫ぶように泣き出した。
「いいよ。泣きなよ」
  気持ちが伝わらないもどかしさに泣き叫ぶ子供のように、私は沖田さんの腕の中でただただ泣いた。
  泣いている間も、どうして泣いているのかわからなくて、それが悲しくて更に泣いた。悲しいのか、辛いのか、恨めしいのか、どれも違うような気がしてけれど、そのどれもがきっと正解だったんだ。
  声が枯れるほどに泣いて、叫んで、時々沖田さんの肩を叩いたような気もする。けれど沖田さんはただ黙って、時折強く私を抱きしめなおしてくれながら傍にいてくれた。
  泣き過ぎて痙攣する腹部の痛みにしゃくりあげながら、宥めるように一定の速度で背を撫でてくれる沖田さんの手のひらが酷く心地よくて目を閉じる。泣き過ぎた眦に涙が沁みて思わず頬を顰めると、沖田さんの柔らかな舌が這う様に撫でて行ってくれた。
「良く頑張ったね」
  ようやく落ち着き始めたころに、そんな言葉をぽとりと耳元に落とされる。
  背中に回されていた腕の片方が私の頭に持ち上げられ、子供をあやすように撫でていく。
「もういいよ。もう、いい」
「おきた、さん……」
  見上げた先に、いつも見慣れている色よりも光度を落とした瞳があって、憐れむような許容するような色が浮かんでいた。
「新選組に来てから、ずっと男の子として頑張ってきて。薫が現れてからは鬼として苦しんで」
  自分が発している言葉に痛みを感じているように、沖田さんの双眸が顰められる。
「だからもういい。もう、僕しか君の傍にはいない。誰も近づけない。君を傷つけさせやしない」
  だから。
「ただの女の子に戻りなよ」
  高く結い上げた髪に緊張が走る。つ、と引っ張られる感覚と共に、襟足が解放されていく。
「沖、田さん」
「僕が守る」
  散々泣いて、枯れたと思った涙が一滴だけ眦を伝っていくのがわかる。泣き過ぎてみっともなくなっているであろう顔を彼から隠したいのに、互いの視線は絡み合ったようにそうすることを拒んで。瞬きすら出来ない。
「だからもういいよ」
  朱色の髪紐が束縛を解く。宙に舞った黒髪はまるで、自分の心そのもののよう。
  久方ぶりに肩や背に降りた黒髪は、私を優しく包むようにそこにあった。そしてそれを束縛していた朱色を握りしめ、沖田さんは一度だけそれに口付けた。
「もうこれはいらない」
  先ほどまでの慟哭が嘘のように、私は沖田さんの言葉を受けながら静かに静かに涙を流す。まるで禊のように。
  背に流れる黒髪が撫でられているのを感じ、私が目を閉じたと同時に彼の顔が肩口に埋まった。視線の先にある彼の肩に力が入り、つながった腕の先で戒めだったものが強く握られているのだろうとわかって。
「君が君で頑張った証なら僕の中にある。だからもう、これはいらない」
「沖田さん、沖田さん、おき、た……さ、ん」
  その言葉しか知らないように、私は彼の名を繰り返す。それでもいいと思った。もうこの世界で、私の知る言葉はそれだけで十分だと思った。
  私を抱きしめてくれる彼を抱きしめ、彼がそうしているように私も彼の肩口に顔をうずめて名を呼び続けた。時折返される返事が愛しくて更に名を呼び、もう二度と高く結われることの無い髪に背を守られながら、暫くそのまま二人で動けずにいた。


 




Fin
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Comment:


ユウさん(@Little Colors)から頂いたイラストより勝手に創作。
赤い髪紐は戒めでもあると同時に「千鶴」であった証でもあるように見えて、それを解放するのも
受け止めるのも沖田さんなんだろうなあと感じたのです。


20090508up


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