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●涙光る 恋落ちる |
「ちーづるー!」
ばたばたと騒々しい足音と共に、やはり賑やかな声をあげてこちらへ駆け寄ってくる人物を、見るより先に把握した左之助が苦笑するように片頬を緩めた。
「おい、うるせえよ平助」
もっと静かに出来ないのかと、言っても無駄だと知りつつも言うだけ言ってみれば、やはり言われた当人は何を今更とでも言いたげな顔を向けてきた。
「左之さんには用はねえの。な、千鶴、時間あったら今から一緒に甘味屋にでも行かね?」
「お、いいなそりゃ」
「だっから左之さんには言ってねえんだって!」
わざとではないかと思う茶々を入れる左之助を平助が睨み、ぎゃんぎゃん文句をつける様を、横で千鶴がにこにこと見ている。最初こそ気の置けないもの同士の言い合いに恐々としたものだが、今ではすっかり慣れて微笑ましくさえある。
「もう用事も終わったし、私は平気だよ?」
「よし! じゃあ行こうぜ。今から行けば夕飯には全然間に合うし。千鶴もたまにはゆっくりしようぜ」
決まり、とばかりに平助が千鶴の腕を取る。おいおい本気で俺は無視か、と左之助は最早苦笑すら浮かばない。大体、千鶴と今の今まで会話をしていたのは自分なのだが、平助にとって見れば眼中にないらしい。そのまま千鶴を攫うように、来た時と同じようにかけて行ってしまった。
平助の腰に巻いてある兵児帯が、そんな左之助に手を振るようにひらひらと揺れる。男の友情なんてこんなもんだよな、と、廊下に1人残された左之助は、けれど心中とは真逆の表情を作った。
若い、というのはこういうことだろうか。いや、平助の場合は平助であるが故な気がする。
千鶴は女の子だから。可哀想だから。歳が近いから。
そんな理由を平助は口にはするが、例え同じ境遇の娘がもう1人居たとしても、千鶴と同じように接するかと言えばどうだろうか。
元々優しいところのある男だからやはり面倒はみるだろうが、あれほど嬉々として付き合うかと言えば左之助は首を傾げてしまう。
ようするに、そういうことなのだと。
「全く……いつになったら気付きやがるのかねえ」
思わず兄のような心境でそう呟くと、とっくに去った二人を追いかけるように同じ廊下を左之助は歩き出した。
「おっちゃん、それとそれ、あとこっちも」
全部2本ずつね、と平助がちゃきちゃきと主人に注文をし、用は終わったとばかりに店先に腰をおろす。そこに千鶴の声はないのだが、最早彼女の好みを知り尽くしている平助にとってあえて確認する必要はなかった。
「こうやって千鶴と外に出るのも久しぶりだよな」
巡察という名目で共に市中に出ることはあったが、非番の日にゆっくりしたのはいつだったろうかと指折り数え、指が足りなくなったところで平助がぼやく。実際、平助が非番であっても千鶴が他の組と共に市中に出ることも多く、中々ゆっくり過ごせる機会がなかったのだ。
まあそれも当然なんだけどさ、とは平助もわかっている。彼女が新選組に身を寄せている理由を思えば、こんなふうにのほほんとした時間を過ごすこと自体どうか、という感じで。
とはいえ、左之助などは上手く時間を利用しては千鶴を息抜きに連れて行ってやっていることを平助は知っていた。大雑把そうに見えて細かいところに気が利く男だからこそ出来ることで、なんだか出し抜かれたようで正直面白くない。
千鶴が楽しければいいと思うのは本当だけれども。
どうせだったら、他の誰でもなく自分が楽しませてやりたい。笑わせてやりたい。
(だって千鶴、笑うとすげー可愛いし)
そんな役得、他の奴に譲るのは腹立たしいことこの上なく、だからこそ今日は絶対に左之助の同行を許すわけには行かなかった。
店の娘が団子と共に茶を置いて「ごゆっくり」の言葉を残して去っていく。予想通り、皿に乗った団子を見て千鶴の目はきらきらと輝き、口に入れた瞬間頬も緩む。ガキみてえ、と噴き出しかけた口元を少しだけ引き締めると、平助も同じように団子を口に運んだ。
「おいしいね」
「ああ、うまいな」
そんなの口に出さなくったって、顔見れば分かるよと思いつつも律儀に返事を返した平助を見て、千鶴が小さく噴出した。
なんだよ、と平助が問うよりも早く千鶴の指が平助の口元に伸び、唇の端を撫でていく。
「ちっちゃいこみたいだよ、平助君」
指先に移った餡を、一瞬のてらいもなく千鶴が舐める。
――なんだよ、ガキ扱いすんなよ。
――千鶴のが喜んでんじゃん。
言うべき言葉は幾つも浮かぶのに、そのどれも言の葉になっては出てこない。千鶴が触れた唇の端だけがまるで別のもののように熱く、その感覚に戸惑って強くかみ締めてみるが一向に収まることはない。
(なんだこれ。変だ)
理由が分からず、分からないのが悔しくてひたすらに団子を食らう。その食べっぷりを見て千鶴が又笑った。
団子は餡もいいが蜜もいい。餡と言っても「粒」がいいか「こし」がいいかで論争を繰り広げ、そんな他愛無い会話で二人が笑っていると、ふと潜められてはいたが好意的ではない声が二人の耳に届いた。
「壬生狼も団子を食うのか」
ふ、と平助の表情が変わり、声のした方を見る。すると先ほど聞こえた方とは別のところから、「このような憩いの場にまで来られては、ゆっくりとくつろぐことすら出来ない」と言ったような言葉までが聞こえて来た。
「なっ……!」
これには千鶴の方が腹を立て、思わず腰を浮かせる。だが当の平助は慣れた様子で無視を決め込んでおり、言い換えそうとした千鶴の腕を掴んで制した。
「どうして?」
「いーんだって、言いたいヤツには言わせとけばさ」
そうのんびりと言うと最後の一串を食み、茶をすする。実際、このような中傷めいた言葉を浴びせられるなどしょっちゅうだ。自分達がいかに京の平穏を守るという役目の元に動いているとは言え、京に住む人間から見たらただの人斬り集団でしかないというのを平助は理解していた。不貞浪士と新選組の違いは、単に藩より役目を言い付かっているかどうかの違いだけ。抱えているものが全く違うということを主張したとて、伝わらない人間に伝えようとは思わなかった。
「でも……」
しかし千鶴は納得がいかない。自分も、平助らに直接触れるまでは新選組は「人斬り集団」だと思っていた。浅葱色が来たら逃げろ。目が合えば斬られて死ぬぞ、という噂は京のみならず江戸にまで届いていたのだから。
だから何も知らない人々が怯えを抱くのは分かる。分かるけれど、こんな聞こえよがしに言わなくたっていいではないか。それになにより、自分はもう知っているから。
新選組に身を置くものがどれだけの志を持ち、その為にどれほどの犠牲を払っているかを。
そして何よりも、優しい、優しい人たちが沢山いることを。
何もなかったように茶を飲む平助の横で、千鶴は硬く手を握り締める。当人が我慢するというならば自分が騒ぐのも迷惑だろうと堪えて、気持ちを落ち着かせようと湯飲みを手に取ったのだが飲むには至らなかった。それは。
「早く帰ってくれんかなあ」
――がたんっ
「今言ったのは、誰ですか!」
平助が止める間もなく千鶴がそう叫びながら立ち上がっていた。無論、そんな問いかけに堂々と名乗れるものが陰口を叩くはずも無く返る言葉はない。
「新選組の皆さんが見回ってるから、皆さんだって安心して暮らせるんじゃないですか! そりゃあ斬り合いになることだってあります、だけどそうしないとならない時だってあるんです」
「おい、千鶴……」
千鶴の剣幕に驚いていた平助がようやく我に返り、千鶴の袖を引く。けれど千鶴はやめようとしない。
「皆さんが、平助君がどんな思いで頑張っているかも知らないで、勝手なことばっかり言わないで下さい! 全部を認めてくださいなんて言いませんから、普通にこうしてお茶を飲んだり、お団子を頂いたりするくらい許してくださったっていいじゃないですか……っ!」
「千鶴、いいんだって!」
「でも!」
「あんたはそっち側だからそんなこと言えるんだ」
黙り込んでいた観衆から、ふいにそんな声が聞こえる。視線をやれば、初老に差し掛かった風体の男が暗い目でこちらを見ている。
「新選組のお陰で安心してくらせる? 誰がそんなことしてくれと頼んだかね」
恨みとも違う、諦めにも似た光を浮かべて訥々と零される男の言葉が場の空気を支配する。
「御用改めと叫んでは人の店を荒らし、御国の為と金子をせびり踏み倒す。そんなヤツらに、どんな感謝をしろって言うんだ」
出来るわけがない。しようとも思わない。
男の胸の内で続けられたであろう言葉に、千鶴の喉が固まった。
確かに、隊士の中にはそのような無法を働くものがいるというのは知っていた。特に、近藤が1人で局長を務めるようになるまでは相当酷いことも行われていたということも。
今は違うと、そして御用改めの為に押し入ることにもそれなりの理由があると訴えたところで、意味がないこともわかってしまうから返す言葉がない。これが、新選組と京に暮らす人々との間にある埋められない溝なのだ。
「でも……だからって」
ただの男として、町中で休む権利すら認めぬほどの憎しみを向けられねばならないのだろうか。
「千鶴。もういいって」
平助が立ち上がり、握られたままだった湯飲みを千鶴の手から取り上げるとことりと座に置く。
「おっちゃん、お代ここに置いとくから。悪かったな、騒がしちまって」
店の主人は平助の言葉を否定するように首を振りながら、穏やかな笑顔で平助が置いたお代を取った。
小声で「又おいでになってください」とくれた言葉は、商売柄か心からのものか。けれど、千鶴には何よりも嬉しい言葉だった。
平助に連れられるように団子屋を後にし、町を歩く。行きは気付かなかったが、顔の知られている平助は隊服をまとっておらずとも新選組の組長ということが知れ渡っているようで、人によってはあからさまに避けて歩いているのがわかって居たたまれない。
「ごめんなさい、平助君」
「へ?」
謝ると、実に間の抜けた、と言った感の声が返された。
何が? 何で? と、焦ったような平助の言葉に、だってさっき、と言い澱みながらも口にすれば「ああ」と納得したような顔を一瞬浮かべた上で、呆れたように「ばっかだなあ」と続けられた。
「あんなの慣れっこだし。それに、千鶴はオレらの為に怒ってくれたんじゃん? ありがとな」
平助の笑顔に曇りが無ければ無いだけ、なんであんな風な扱いを受けなければならないのだろうと逆に千鶴の心が沈む。けれど、ここで泣くのは違う。自分が落ち込むのは違う。だって、自分にそんな権利はない。
(だけど)
「千鶴?」
「……くやしい」
呟いたら、勝手に目の前が滲んでしまったのだ。暮れ行く夕焼けの黄色が広がって、町並みに溶けて丸まったと思ったらぽろりと落ちた。
「ちょっ、千鶴っ!?」
「くやしい!」
きっと斎藤や沖田らの前でなら我慢できたことが、平助の前だと出来ない。歳近く、親しげに接してくれる彼の前だからこそ心がほろほろと緩んでしまって。
言われたことも悔しければ、言い返せなかった自分自身も悔しく、こうして泣いてしまう自分も腹立たしくてたまらない。
強引に袖口で涙をぬぐうと、慌てたようにその腕を掴まれた。
「馬鹿、そんな拭き方したら痛いじゃん!」
言いながら出した手拭で、平助は優しくとんとん、と千鶴の目元を押さえる。すん、と鼻を鳴らす千鶴がやけに頼りなく見え、いつもなら気安く触れられる彼女に触れることが躊躇われる。
「なんで千鶴が泣くんだよ。言われたのオレじゃんか」
そんな気持ちから目を逸らすように言えば、千鶴の口元がきゅっと引き締められ、零れ落ちる涙の量が増えて平助が大いに慌てる。思わず呆然としてしまった隙に、千鶴はその涙を袖口でぬぐってしまった。
「ごめんね」
再び謝られて、平助は今度こそ閉口した。平助にしてみれば、自分と一緒にいたせいで千鶴が嫌な思いをしただろう事のほうがよっぽど気になるのだが、千鶴がそんなことを気にして泣いているわけではないということも分かり、だからこれはやっぱり自分達の為の涙で、自分が泣かないからこそ泣いてくれている訳で。
千鶴は千鶴で、平助らの為というよりも当人らが例え表面上だけだとしても割り切っていることを、他人である自分が泣いてしまうということが情けなくてたまらない。悔しい、と零した言葉は、分かってもらえない悔しさと共に、その弱さを当人の前で零してしまう自分への不甲斐なさに対してだ。
「ごめん。もう、泣かない」
言い聞かせるように宣言し、きゅ、と口元を引き締める。平助はそんな自分を益々困ったような顔で見ていたから、安心させるように千鶴は笑った。
すると平助の指が目尻に触れた。僅かに残っていたらしい雫をぬぐった指が、下ろされると同時に強く握られる。
「いいんだ」
何が、と千鶴が問う前に、平助が柔らかな笑みを浮かべた。少し困ったような、どこか照れくさそうな、けれど眼差しの奥にあるのは諦めにも似た許容。
「こうやっておまえがさ、分かって欲しいって思う相手がちゃんとわかってくれれば他のヤツに何言われたっていいんだ」
握り締めた手が開かれて、千鶴の頭に乗る。身長の割りに大きな手が、日頃の行動に似つかわしくない優しさで行き来するから、折角止まった涙が又零れそうになって困る。
「でも、わたしは、くやしいよ?」
――声、震えないで。
「平助君も、他の皆さんも凄く良い人なのにわかってもらえないの」
泣くな。
「だからいーんだって! おまえがわかってくれればさ。好きなヤツにわかってもらえれば十分!」
笑ってくれるから余計に悔しくても、泣かない。
「私も、好きだから――くやしい」
(――泣きたくなんか、ないのに)
頭を撫でてくれる手が温かくて、笑ってくれる笑顔が優しくて泣ける。平助はこんなにも強いのに、どうして自分はこんなにも弱いのだろう。
「って、ちょっ、千鶴っ!?」
泣かない、と言ったはずの千鶴が、何故か再び泣き出してしまった理由がなんとなく自分にあるような気がして、平助がおろおろと両手を上げ下げする。やがてどうにも視線よりわずか下にある肩の細さが堪らなくなって、気付いたら自らに引き寄せていた。
とん、と想像よりもはるかに軽い衝撃で自らの腕に収まった少女が、やはり「少女」なのだと今更に認識をする。一瞬驚いた様子を見せた千鶴は、けれどその一瞬の後に自分の衿をぎゅうと掴んでしゃくりあげ始めた。
時折ごめんね、と何度も繰り返すから、そのたびに気にするなというような言葉をかけながら、平助は千鶴の腰にまわした手を祈るような形に組み合わせる。本当は抱きしめてしまいたかったけれど、そうしたら何かが変わってしまう気がして出来なかった。だから、守るようにそうするのが精一杯で。
ようやく落ち着いて自分を見上げた千鶴の、真っ赤な目を見たら唇を押し当てたくなったなんて言えない。
(でも……いいかな)
恐る恐る、腫れてしまっていた千鶴の目元に唇を寄せる。本当なら自分の唇の方が熱いはずなのに、泣きはらした千鶴の目尻の方が熱い。熱くて、少ししょっぱい味がした。
千鶴は嫌がらなかった。くすぐったそうに肩をすくめて頬を染めるだけで、だから「許された」のだと平助は嬉しくなる。
(そういえばさっき、『好き』だとか言っちまったような気がする)
そして千鶴にも、『好き』と返されたような気がするが、あれは一体どういう意味でとられて、どういう意味で返されたのだろうか。
その前にまるで当たり前のように自分の中からするりと出てきたその言葉は、つまりはそういうことなんだろうか。
「…………」
気付いたら堪らなくなって、腰にまわしていたうちの片方を千鶴の丸い後頭部にまわし、ぎゅうと胸に引き寄せる。やはり、嫌がるそぶりはなかった。
こんな無防備な姿を預けてくれるのが嬉しくて、平助は思わず空を見上げてしまう。視界に映る空が、全てがいつもよりも綺麗に見えるのは何でだろう。
千鶴は好きだ。大事で、守ってやりたくて、だけどそう思う理由なんて必要なかった。
女の子だし、可哀想だし、だけどもうそれだけじゃないのは知っている。
だって、守るだけなら自分でなくても出来るけれど、他の誰でもない自分が千鶴を守りたい。それがきっとそのままの答えで。
「あのさ、オレ……千鶴のこと、好きだよ」
後頭部に添えた手のひらが、その中身につられるように内側に動く。私も、と返された『好き』の意味を問いただすのは、なんだか勿体無い気がしたからそれ以上は口にしなかった。
わかったけれど、わからないような気もする。
だけどそれでいいんだろう。それがきっと自分達に似合いの関係なのだ。自然と笑みの形を作る頬の動きを自覚しながら、緩めた腕の中から現れたつるんとした額に唇を押し当ててから少女を解放する。
「千鶴、泣きすぎー」
「うう……だって」
「おまえがそんな顔で帰ったら、オレが左之さんに怒られちゃうじゃん」
「うー」
だからさ。
解放した腕で、千鶴のそれを取る。困ったような顔をした千鶴を励ますように満面の笑顔でとった腕をぶん、と振った。
「遠回りして帰ろうぜ」
河原の方を通ればきっと夕暮れの風が気持ちいいだろう。水面に反射する光や、土手を撫でてゆく風を受ければきっと千鶴の気持ちも晴れるに違いない。
自分のものとは違う細く薄い手のひらを壊さぬようにけれどしっかりと握り締めながら、笑みの滲んだ声で返された返事を平助は背中で聞いた。
Fin
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Comment:
平助はかわいいなあという話です。
お互い言葉にしなくてもわかっているような感じが平ちづはたまらなくかわいくないですか!?
(はいはい)
たまにほろりと言葉に出しても、確認したいようなしたくないような、でも多分わかってる、って
感じの関係が大好きです。
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