※平千ルートの千姫話です。
風間×千姫が苦手な方、風間さんがお好きな方はご遠慮下さい。
それらは、幼い頃からずっと聞かされていた話。
自分の先祖だという、鈴鹿御前という女鬼が最後まで貫いた己の気持ち、想い。
『想う相手が出来たのなら、それが何よりも幸せなこと』
だから、相手が鬼であれ人であれ、その時が来たのならば己の心に正直に生きなさいということがひとつ。
そして、何よりもこの身に流れる血が、鬼という種族にとって重要な意味を持つということがもうひとつ。
『おまえは貴き血筋の女鬼。何よりもその血筋を残すことを第一に考えよ』
同じように言われ続けてきた二つの言葉。やがて前者は憧れに、後者は義務として千の意識に深く根付く事になる。
だから、いいのだ。
やっとめぐり合えた同胞の幸せというおまけがそこにつくのならば、危うい線で均衡を保っていた二つの言葉は 片方にその重みを加える。元々、両者を並べる事など無理なことだったのだ。自らの立場を思えば憧れよりも義務や責務を重んじる事は当然のことで、そこに「意味」がさらに加えられるのならば、こんなにも嬉しいことはない。
だから、いい。
『だってそれじゃ、お千ちゃんが』
自分のことで精一杯のくせに、今にもなきそうな顔をしているくせに、それでも自分を気遣ってくれた大好きな同胞――否、友達の為ならば。
『いいのよ、千鶴ちゃん』
これは、自分にとっても悪い話ではないのだと。
嘘ではなく、笑えるのだから。
幸せになってほしいと願う。母から言い聞かされていた、「命をかけても良いと思える相手」に出会えなかった自分とは違って、彼女はその相手を見つけられたのだから。
直系の血筋というしがらみすら断ち切って、自由に生きて欲しい。その身に流れるものは同じ鬼のものでも、愛する相手と同じ、ひとの心を持つ優しい娘だからこそ。
「……よろしいのですか?」
傍に控えていた君菊が、表情の変わらない千を伺うような声音を出す。この優秀な側近が意味の無い言葉を言わねばならぬほど、自分は情けない顔をしていたのだろうか。
「よろしいもなにも、ないわ。これは私が決めた事。万々歳じゃない」
「けれど」
「私は京の鬼姫よ。その意味は、誰よりもおまえが知っているでしょう」
言い放たれた言葉に君菊はそれ以上何かを口にすることを控えた。
生まれた頃からずっと世話をし続けてきた千は、その血筋以上に高潔な魂を宿していた。誰に言われるでもなく、鈴鹿の血筋に相応しい姫であるよう生き続けて来、そしてこれからもそうなのであろう。なれば、家臣として嬉しく思うが当然だが、傍にいるものとしてやるせなさが胸を占める。
時折覗かせる歳相応の表情や仕草は、むしろ周りを安心させる為とも思える位には、周囲からはうかがい知れない闇の中に鈴鹿の歴史もあるのだ。
願えるならば、熱病の如く慕う相手とは行かずとも、心穏やかに寄り添える相手と添い遂げて欲しかったと。思うことは、罪なのだろうか。
「なんて顔をしているのよ。辛気臭いったらないわね」
「姫様……」
「言っておくけど、私は風間の嫁になるつもりなんてないわよ。ただ子供を産んでやるって言ってるだけ。いい? これは取引なの。一族に益のないことなら、私は死んだってあんな男の子供なんて産まない。わかる?」
それは、理屈だ。
だがそれを言う事は許されない。気丈に振舞っている千の芝居に付き合うことが、自分が彼女の為に出来る唯一のことなのだから。
一族の為とは言え、誰が好いてもいない男の子を孕みたいなどと思うだろうか。それ以前に、たった一度枕を共にするだけで子が成されるなど、奇跡に近い。つまり、千が風間との約束を果たすということは、子を成す成さない以前に、身体を何度も許すということだ。それを「取引」の一言で片付けられるほど、自分が仕えた姫が器用ではないと知っている。たとえそれを表にださずとも、だ。
「わかったら私の前で辛気臭い顔をしないで頂戴。笑って祝福されてもそれはそれで腹が立つけど、私は結構満足してるのよ?」
「満足、ですか……?」
予想外の単語に俯いていた顔を上げれば、肩越しに振り返った千が微笑みを浮かべながら自分を見下ろしていた。
「だあって、遅かれ早かれどうでもいい男鬼の子供を産むなんて、わかりきってたことじゃない。鈴鹿の血を残すことは、義務以上に私も望むことでもあるけれど、それでもはいそうですかって喜び勇んでこなせる事じゃないわよ」
「姫様……」
「最悪、ハゲたおじさんとか卑屈な男とか? それでも血筋さえ良ければそういう相手ともありなのかしらって絶望した事もあったけれど、風間が相手ならまあ容姿は問題なさそうだし」
性格は最悪だけど、と、何を思い出したのか苦々しげに千の顔が歪む。
と、次の瞬間にはその表情がふ、と和らいだ。睫の先が揺れ、柔らかな風を生むように。
「でも、さ。うん……なんていうか、私自身の意味が出来てよかったって思うんだ」
己の言葉をかみ締めるように、ひとつひとつの単語をゆるりと朱の唇で紡いでいく。
「初めて出来た友達の……同じ気持ちの、女の子の役にも立てるんだなあって思ったら、それって義務とかじゃないじゃない? 仕方ない事とか、決められたことじゃなくて、自分の意思でそうしたいって思えることが嬉しいの」
あ、恩を着せたい訳じゃないんだよ? と少しだけ慌てたように言葉を足して。
千は笑う。
「千鶴ちゃんには、うんと幸せになって欲しいの。私が出会えなかった、運命の相手と出会えたんだもの。藤堂さんはいい人そうだし、あの二人だったらきっと絶対、幸せになれると思う」
なのに血筋だけが理由で邪魔なんかされちゃたまらない、と、言うなり千の表情が再び不満に満ちたものになる。自分の大切な友達を、人格などまるで鑑みる様子もなく血筋のみを求めて己のものにしようとした所業を思えば、到底許せるものではない。無論、同じ一族の長という立場から風間の気持ちはわからないでもないが、だからと言って相手の感情をまるで無視していいという話でもない。
子を成すことは長の義務。しかしそこに、感情の一切が不要という話ではないと自分は思うから。
――だからこそほんとうは、心通う相手とそれを成し遂げたかったけれど
それはきっと千の本心だ。穏やかに微笑む彼女の顔を見ていれば分かる。幼い頃からずっと、彼女を見てきた自分だからこそ分かる。わかるから。
「姫様……今は、誰もおりません」
芝居に最後まで付き合えたら良かった。それをきっと主も望んでいて、だからこれは自分のわがままなのだ。
立場は違えど同じ女として。抱かれる意味、子を成す意味に違いなどあろうはずもない。
「ご無礼仕ります」
千の足元に跪き、その両の手を己のそれでそっと包む。貝殻のような、整えられた爪。たおやかな指。自分が育ててきた、大切な大切な姫。
「仰ったことが姫様のご本心でいらっしゃること、疑ってはおりません。姫様はお優しい方ですから」
責務を理解し、果たそうとする意思。過去を振り返るよりは前を向いて進むことの出来る強さ。周りをひきつけて止まない華。笑み。声、仕草、眼差し。彼女が鈴鹿の一姫であったことは、己が一族にとって僥倖だったのだろう。
「けれど君菊は存じております。姫がどれほど、鈴鹿御前の――」
「お菊、やめて」
「いいえやめません」
「お菊!」
「姫様、君菊は切のうございます。藤堂殿と千鶴ちゃんの幸せを望んでいらっしゃること、一族の事を考えていらっしゃること、どちらも疑ってなどございません。されど、それが姫様のお気持ち全てとは私には思えません」
言葉を重ねても、口調こそ強くなれど表情に動揺を表さない主に切なさが募る。こうでなければ、一族の長は務まらない。けれど、自分だけはそれに誤魔化されてはいけない、流されてはいけない。自分が分かっていることを、主も又分かってくれているということに甘えてはいけない。そうあるべきと、そうあるべきでない時があるのだ。
そして今は。
「今を逃せば、姫様はこの先、どこでそのお気持ちを零されるのですか? 押し隠したまま凝らせてしまえば、その塊はずっと胸の奥に残ります」
「抱える決意ならもう出来ているわ」
「存じております。ですから私は、それを共に抱えたいのです。姫様お一人で抱えられるなど、私がここにいる意味がございません」
君菊は言葉を重ねる。
「分をわきまえぬ発言、平にご容赦くださりませ。ですが私は」
「いいのよお菊」
自分の手の平の中で、たおやかな千のそれに力が込められる。頑なな主の表情に、年頃の少女らしいそれが浮かんだ。
「ホント、おまえは嫌ね。そういうところ、嫌いだわ」
「……申し訳ございません」
「でも、好きよ」
跪く君菊にあわせ、膝を折り眼差しをあわせる。まっすぐに交わされた眼差しの奥に揺らめく、少女が持つ感情を受け止めて君菊が目を細める。けれど、逸らす事はしない。
その仕草を見、震えた長き睫を見、千が微笑む。
包まれた手を外し、自らのそれで君菊のものを包みなおすと、幼い頃から誰よりも傍にいてくれた忠臣の肩口にそっと額を預けた。
「いいのよ、本当に」
「姫様」
「いいの」
夢を見たこともあった。いつか、いつか自分も唯一と思える相手と添い遂げることが出来ると。
同時に、それは夢であるからこそ焦がれるものだともわかっていて。
だからこの胸の痛みは、まどろみから冷めた喪失感のようなものだ。時が過ぎれば、きっと無くなる。目覚めた先が日常なのだと、普通に思える日が来る。きっと、きっと。
「おまえがいてくれて良かった。ありがとう、お菊」
聞きたかったのは礼ではなく、胸のうちだったのだけれど。
言の葉にならぬ思いを、肩口に預けられた重みと囁きに受け止め、君菊が細すぎる背を抱きしめた。
願わくばこの気高き姫に幸多からんことを。あの西の鬼が、どうか少しでも同じ業を背負うものとして理解し合える相手であるようにと。願うことしか、自分には出来ぬのだから。
代われるならば、代わりたいと思う。そう思えるほどに姫を愛したと言い切れる誇りが持てるからこそ、千の言う「いいの」の意味も又理解出来て。
なんとこの世は、うまく行かぬものなのだろうか。
「鬼の里に、そろそろ着いたかしら」
「そうですね。もう、着いても良い頃かと」
たいせつなひと。どうかどうかしあわせに。
「じゃあ、これからが二人の始まりね」
「ええ。落ち着いた頃にでも、様子を伺いに参りましょう」
きっと彼女も喜びます、と。
向けた言葉に、花が綻んだ。
了
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Comment:
久しぶりのアップは千姫のお話でした。
この後、風千に続きます。
20091224
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