玄関先に現れた土方を見て、親はどう思っただろうか。
基本的に、小学校や中学校と違って高校の担任が生徒宅を訪れることは無い。とは言え、進路相談というものが行われた時には顔を合わせているわけで。
「教師」であり「担任」であった人物が、卒業後に自宅を訪れたかと思えば「娘さんとお付き合いさせて頂きます」とあっては仰天もするだろう。
千鶴はいいですと言った。気恥ずかしさがあるというのもあるが、仮にも学校を、教師を信頼して娘を預けているであろう親からすれば、今の自分と土方の関係をどう思うかなど想像に難くない。如何に世の中に疎い子供でも、決してにこやかに受け入れられるとは到底思えなかった。
だが土方は、だからこそと押し切るように千鶴の家を訪れた。目に見える結果がどうであれ、過程に後ろ暗いことが無いからこそ「今」、挨拶をしなければならないと。
わずかな時間でも何かを隠せば、そこから疑念が生まれる。卒業すればただの男女だという理屈は、文字通りの言い訳でしかないことを土方は知っていた。自分が千鶴の担任であった事実は変えようがなく、その事実がある以上世間の目は冷ややかだ。
ならばせめて千鶴の家族には彼女の味方であって欲しい――そう思うからこそ、土方は早々に千鶴の家を訪れると事実の報告、経緯の説明、そして教師であったことに起因する謝罪をし、頭を下げたのだ。
千鶴に対して、そして彼女の家族に対して土方として後ろめたいことはなにもない。が、教師という肩書きがある以上、それだけではすまない。
そして土方の判断が正しかったことは結果となって証明された。無論、千鶴の家族は二つ返事で二人の関係を受け入れたわけではないけれども、隠し立てせずに必要以上に筋を通した土方を親として、娘を預けるに足ると判断をしたらしい。
子供の憧れだと思わなかったのか、と問うた時にだけ、それまでじっと黙って土方に流れを任せていた千鶴が口を挟もうとしたが、土方はそれも許さなかった。
『最初はそう思いました。その後もずっと、そう思おうとしました』
土方の返事は全て過去形であった。そうでなければ、土方はこの場にいないであろう。
『今ご挨拶に伺った事が、自分が判断した結果です。間違いかどうかは、これからを見て頂けないでしょうか』
言葉こそ丁寧だが、言葉の響きが自分の想いを肯定してくれているのがわかって、千鶴は泣きそうなほどに嬉しかった。間違いじゃない、勘違いじゃない。本当に心の底からこのひとが好きだと訴えたところで、疑われている当人の主張は受け入れられまい。 ならば、ありのままの判断を受け手に任せるほうが懸命だ。
こういうところは適わないと、自分は子供なのだと思い知らされる。
「なに変な顔してやがんだ」
こうして土方の隣に並んでいることが信じられず、過程をたどっていた千鶴の思考を傍らの男が呼び戻す。我に返った千鶴は、変な顔と評された己の頬をぺたぺたと触り、複雑な視線を彼に向けた。
土方が両親に挨拶に来たのは、今から3日前だ。今は大学が始まるまでの所謂春休みのような期間で、千鶴は土方に誘われるがままにこうして並んで歩いている。無論、地元からは少し離れたところだ。
ここまでは土方の車で来たが、両親には電車で行くと告げてある。土方の指示通りにそういったことになっているが、要するに付き合いが認められたとは言え、未成年を教師が車と言う密室で連れまわすことへの道徳的嫌悪感を回避した結果であろう。
とはいえ、実際にその通りにするかといえば、「んな面倒くせえことするかよ。大体どこで学校の連中と会うか知れねえだろうが」とさらりと言い切るあたりが土方らしい。大人なのか、そうでないのか、わからないのはこんなところだ。
4月になろうとしている3月、という季節はとても中途半端だ。寒かったり暖かかったり、日ごとどころか時間ごとに気まぐれを見せる。吹き抜けた風に肩を震わせれば、となりにいた男が苦々しく眉間に皺を寄せて「なんだってそんなうすら寒い格好してんだよ」と、千鶴の身体を引き寄せた。
突然の出来事に固まってしまう。いや駄目だ。固まってしまうのは仕方ないとして、そうと悟られるのは駄目だ。ただでさえ自分は子供で、だからこれ以上子供っぽく見られてしまっては折角手に入れた「恋人」というポジションも台無しだ。
(こ、こここ恋人……!)
自分で浮かべた単語に自分で動揺し、硬直するどころか汗まで滲む。頑張ってテンポを崩さぬように歩いていたのだが、やがて土方がこらえ切れないと言ったように噴出した。
「おまえ……手と足が一緒に出てんぞ」
「――っ!」
指摘されてみれば、確かに右手と右足が同時に出ている。自分でも信じられないほどのベタな行動に更に動揺し、慌ててどうにか整えようとしたがどうしても左右それぞれがセットになってしまう。そしてその様子を見、更に土方が苦しそうに笑いを強めた。
「ひ、ひどいです」
「ひでえのはどっちだ。折角晴れて恋人同士になれたってのにガッチガチに緊張しやがって。別に今すぐとって食おうなんざ思ってねえから、安心しろ」
「そ、そんなこと思ってないです!」
「なら楽にしろ。まあおまえに取っちゃ俺はずっと教師だったからな。緊張するなってほうが無理かもしれねえが、あんまり構えられても気分良くねえよ」
「ご、ごめんなさい……でも、あの、先生だったから緊張してるんじゃないんです。その……」
「ああ?」
わざとか。これはわざとだろうか。
土方は人の機微に敏い。ならば、この緊張の本当の理由にだって気付いているはずだ。
ちらり。様子を伺えばほら、真面目を装った瞳の奥に楽しそうな色が滲んでいる。
(絶対、わざとだ!)
気付いたと気付いた土方が、片眉だけをひそめて口元に笑みを刻む。その顔はずるい。反則だ。怒ろうとした気持ちだって、別に生まれた気持ちに追いやられてしまう。
肩に置かれていた手が、頭に乗る。ぽん、と軽くはねてから、まるでそうあるのが自然なように収まった。
「無理に背伸びする必要なんざねえ。今更急ぐ間柄でもねえだろ」
「やっぱり気付いてたんじゃないですか」
「あたりまえだろうが。何年おまえの事見てたと思ってやがるんだ」
その言い方もずるい。
教師として、だとしても、嬉しいと思ってしまうのだから。そしてきっとこう思うことだって、土方はわかっているに違いないのだ。
(適わないなあ)
こちらの動揺も焦りもめいっぱいの恋心すら、目の前の人はお見通しなのだ。こっちは自分のことに精一杯で、今まで以上に土方のことを観察する余裕なんてないというのに。
歳の差、と言ってしまえばそれまでだ。けれど、もしかしたら単純に想う気持ちの差かもしれないと思って少しへこむ。へこみかけて、ぶるりと千鶴は頭を振った。たとえそうだとして、だからなんだと言うのだろう。もともと、根性と根気で手に入れたような恋だ。 今このひとが自分を、自分が想うほどに想ってくれていなかったとしても、これからがある。始まったばかりなのにうじうじ悩むくらいなら、もっと好きになってもらえるように一歩でも踏み出したほうがよっぽどいい。
『土方先生、なんて、二度と呼ぶつもりなんてないんです』
そう言いきった誓いは今も、この胸に在る。
頭の上に乗せられていた手が土方のもとに戻るのを追いかけ、千鶴の細い指が土方のそれに絡まる。
少し驚いたような双眸を、羞恥に頬を染めながらも真直ぐに受け止めて口にする。
「今はちょっと余裕ないですけど、これからずっと見てますから」
今までのように、隠れてだとか、何気ないそぶりをせずとも。あなたの隣で。
風が吹いた。先ほどまで寒く感じたそれが、今は心地よい。
「だから待っていてください。形だけじゃなくて、本当にその……こ、恋人っぽくなれるまで」
精一杯で告げた言葉に、たっぷり5秒ほど沈黙した土方が、その後に深い深いため息を零す。え、自分は何かまずいことを言ってしまったのかと千鶴が身を硬くしたと同時に、絡んでいない方の手が伸ばされる。
手のひらが頬に触れて。突然の接触に目を見開けば視線が交差する。今まで向けられたことのないようなまなざしを向けられて息を止めれば、土方の手が突然に千鶴の頬をぎゅうとつねった。
「い、いひゃっ!」
「そのままでいいっつってんだろうが。むしろもう暫く今のままでいてくれ。頼むから」
じゃねえと、成人まで待ってやれねえだろうが、と、呟かれた声は千鶴に届くことなく風に攫われる。
いひゃいいひゃいと、年相応の子供のままで慌てる千鶴の頬を解放し、涙目の抗議を受けながらも「自業自得だ」と言い返した土方は随分と大人げないと自身でもわかっていた。だが、自制心に自信があってもリミッターは必要だ。特に、三年間もの長い間、並々ならぬ根性を見せ付けてきた千鶴が相手では、いつ寝首をかかれるかしれない。そう、思うほどには土方にとっての千鶴も、脅威となっている。
手放しで喜べるような関係ではない。それでも手放したくない。だから、大事にしたい。
「高校生活の三年間を辛抱したんだ。それっぽい付き合いから始めるってのも、いいだろ」
拗ねた千鶴の手を握り締めて歩き出す。それだけで尖っていた唇がへこみ、睨んでいた眼差しがゆるゆると柔らかくなるものだから、勘弁してくれと土方は胸中でのみ呟き、今度は千鶴に見えないところで深いため息をついた。
Fin
コメント:
続きを書き始めたのは5月末だったのに、なんでこんなに時間がかかったのかは
私が一番知りたいです。
土千は現パロでも、千鶴が一生懸命土方さんをおいかけてるのが希望です!
初出:20090925
再掲:20100309
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