ホント、新八っつぁんは分かりやすいよな、と言われた時、何がだと怪訝そうな顔を平助に向ける。
それすらも分かりやすかったのだろう、「やっぱわかってねえし」と、呆れたような声で追い討ちをかけられれば、さすがにむっとするというもので。
「んだあ? 言いたいことがあるならはっきりといいやがれ、はっきり」
「言ってもいいけどさあ、新八っつぁんぜってー認めねえだろうし」
「だったら違うってことだろうがよ」
なんだその理屈は、と、傍で二人のやりとりを見ていた原田が、呆れたように柳眉をひそめた。三人の手にはそれぞれ盃が握られており、障子を開け放して部屋と縁側とをつなぎ、すっかり暮れた景色を肴にしては酒を呷る。
ここ、西本願寺に屯所を移して早二月半。季節もすっかり移ろい、桜など見る陰もなく青々とした葉に場を譲り渡している。
もうすぐ、暑い夏が来る。四方を山に囲まれたこの土地は、夏は暑く冬は寒い。寒暖の差が激しければ激しいほど季節の移ろいを感じられて良いという利点もあるが、そんな風流な気持ちなどあの暑さ寒さの前では塵芥に等しい。
時間と共に変化するのは、何も景色や気温だけではない。人の心も又然りだ。
女というものに理解が足りず、かつありのままで居られるほどの度胸もそれらの前では持ち合わせない戦友は、自分より年下の平助にすら侮られているのが事実である。事実、素人の娘には声をかけられず、逆にかけられてもしどろもどろの返答をすることしか出来ないという情けなさで、玄人の女が相手だとしても見当違いな話題で場をしらけさせるというのがこの男の能力だ。
少なくとも、ありのままで居ることが出来るならば確率はどうであれそんな新八が好きだという女も現れようが、この調子では春がいつ来ることやらと原田は常々思っていたのだが。
そんな男に、ささやかな変化が見られ始めたのはここ数ヶ月だ。壬生に屯所を構えていた頃から新選組に転がり込み、食客となっている男装の少女に対し、その扱いが柔らかいものになってきたのである。
「理屈もなにも、俺様が俺様のことで違うっつうんだったら、違うんだろうよ」
「てめえが気付いてねえ真実ってもんが、その頭にはねえのか馬鹿」
「しょーがないよ左之さん。なんたって新八っつぁんだもんなあ」
銚子を取り、自らの盃に酒を注ぎながら平助が言うと、その盃が満たされる前に横から銚子を奪われる。奪った人物は憎々しげに平助をにらむと、銚子から直接酒を呷って飲み干した。
「ちょ、信じらんねえ!」
平助が目を丸くむいてあげた非難もなんのその、逆さにした銚子から零れた最後の一滴すら舌の上に零し、音を立てて卓に戻す。
「お坊ちゃんがわかったような口きいてんじゃねえよ、ったくよお」
「だからって人の酒飲んでいい理由になんて……っていうかお坊ちゃん言うな!」
犬猫のじゃれあい――にしてはガタイも被害も大きいが、いつもの如く喧々諤々しはじめた二人を、少し離れたところで見ていた原田は、やるせないため息を一つ零し、立てた膝に預けていた腕を持ち上げて酒を呷った。
「ちょっと左之さん見てないで何とかしてよ!」
「左之、ちょっかい出すんじゃねえぞ。これは男同士の戦いなんだからな」
「訳わかんないし! ってあー! ホントに全部飲んじまったのかよ……」
「酒もおまえに飲まれるよりは、俺様に飲まれたほうが本望ってな」
ならばそちらの酒をもらうとばかりに、永倉の銚子へと伸ばされた平助の腕を、奪われてなるものかと侵略された側ががしりと掴む。腕の太さほど腕力は離れていないが、それにしても「筋肉馬鹿」だの「筋肉達磨」だの評される男と、見るからに細身の平助が力勝負で勝負になるはずもない。挙句、身長の利を活かすとばかりに立ち上がり、平助が跳ねても届かない位置で酒を煽り始めた。
「お子様にゃまだ早ぇんだよこの酒は」
「だったら子供相手に大人げねえことしてんじゃねえっつうの!!」
「っていうかおまえら……もうちょっと静かに飲めねえのかよ」
一向に終わる気配のないやりとりに原田が嘆息し、呆れて二人を見やったところで廊下をこちらに向かってくる微かな気配がした。
「失礼します」
一瞬前の雰囲気を、たった一声で変えてしまった人物は、目の前で繰り広げられていた風景にどうやら驚きのあまり固まってしまったらしい。開け放たれた障子の向こうで、盆を持ったまま目を丸くする様に、原田が苦笑と共に視線を向けた。
「千鶴。どうした、って、ああ、酒を持ってきてくれたのか」
「あ、は、はい。そろそろ切れる頃じゃないかと思いまして」
「千鶴じゃん! あ、酒! さっすが千鶴、気が利くなあ」
聞いてよ、新八っつぁんてばさあ、と不満を千鶴にぶつけようとする平助の肩を、待て待てと永倉が掴む。
「違うんだ千鶴ちゃん。平助のやろうがな、訳のわからねえ難癖を人につけてきやがってだな」
「だからってオレの酒飲むことねーじゃん。言葉で勝てないと、すぐ暴力に訴えるんだから」
そうして再び始まった舌戦を横に、千鶴が銚子を乗せた盆を部屋の中まで運ぶ。そして空になった銚子と交換するように、運んできた酒をそこに置いた。
「悪ぃな千鶴。折角酒を運んできてくれったってのに、風情のねえ連中ばっかりでよ」
「いえ、楽しそうで何よりです」
ちょっと驚きましたけど、と、微笑を返す少女を見、原田は同じものを彼女に返すと未だ争い止まぬ二人に真逆のものを向けた。
「おい、そこらへんにしとけ。折角千鶴が酒を運んできてくれたってのに、不味くて敵わねえだろうが」
途端、「だって新八っつぁんが!」「んなこと言ったって平助の野郎が!」とほぼ同時に返された声に原田が呆れれば、堪えきれぬように千鶴が小さく噴出した。
「千鶴〜……」
「千鶴ちゃん……笑うこたぁねえんじゃねえの?」
「ご、ごめんなさい、だって二人してぴったりだったから」
元々仲が良いからこその口喧嘩とはわかっていても、こうも諸々がぴったりすぎるとおかしくなってしまう。自分でも驚くほど笑いが止まらず、謝りながらも頬を緩めたままでいれば、やがて当人らも困り顔が千鶴と同じものへと変化した。
「ま、千鶴ちゃんに免じて今日のところは許してやるよ」
「それはこっちの台詞」
千鶴が運んできた新しい酒を囲むように座り、各々が盃を取る。永倉に己の酒を飲まれてしまった平助が、当然の流れで千鶴が運んできたものに手を伸ばすと、横合いからぱしりとその手を叩かれた。
「ってえ!」
「千鶴ちゃんが運んできてくれた酒は俺のもんだ。おまえはこっちでも飲んでろ」
言うなり、永倉は先ほど平助から死守した己の銚子をぐい、と平助に押し付ける。
「あ、でもこのお酒はあまり上等なものじゃないですから、永倉さんが買われたものの方が美味しいと思いますよ?」
「んなことねえって。どんな安い酒だろうが、千鶴ちゃんが持ってきてくれたってだけで何十倍も美味くなるんだからよ」
前半は余計だろう、と、原田が内心つっこみつつも今ひとつ気遣いの上手くない戦友は、満面の笑みで千鶴がもってきた銚子に手を伸ばす。その横では平助がぶちぶち文句を言いながらも、永倉に押し付けられた銚子から己の盃に酒を注いでいた。
「もしお邪魔じゃないようでしたら、お酌しましょうか?」
「本当か? 悪ぃな千鶴ちゃん、でも嬉しいぜ。やっぱ酒は、可愛い女の子にお酌してもらったほうが更に美味くなるからなあ」
「良かったね新八っつぁん。高い金払わずにお酌してもらえてさ」
「ばっ、馬鹿平助! 余計な事言ってんじゃねえ。大体な、千鶴ちゃんにお酌してもらえんなら、いつもの倍は出してもいいくらいだ」
「だってよ千鶴。どうする、もらっとくか?」
「え? い、いえとんでもないです! 島原の芸妓さんみたいに花がなくて、申し訳ないくらいで……」
恥らうように頬を染めながらそういう千鶴に、本当におまえは自分の魅力ってもんがわかってねえなあと原田が口にしようとしたところで、それよりも早く横合いから否定の声があがった。
「何言ってるんだよ千鶴ちゃん。千鶴ちゃんは十分可愛いじゃねえか、花がねえなんて言うんじゃねえよ」
「いいんです気を遣ってくださらなくて。私、唯でさえその、色気とかそういうのにも乏しい上にこんな格好してますし」
「そうだよ千鶴、新八っつぁんはただで酌をしてもらえるからって言ってるかもしれねえけどさ、オレは本音の本音でおまえのことすっげー可愛いって思うぜ?」
「失礼なヤツだな! 俺は心底本気で千鶴ちゃんの事を可愛いって――」
「わーかったからそのくらいにしておいてやれ。ったく、女を褒めるにも褒め方ってもんがあるだろうが」
原田の隣で、千鶴がこれ以上無いほどに小さくなり、顔どころが全身を真っ赤に染めている。世辞や優しさから来る言葉だとはわかっているが、正面から飾らない褒め言葉をぶつけられて、動じずにいられるほど自分は大人ではないのだ。
「すまねえな、無粋な野郎ばっかりでよ」
「い、いえっ、その、わ、わたし……あっ、お酒ばっかりじゃあれですよね、何か肴になるようなものを見繕ってきますね!」
居たたまれなくなった千鶴が、明らかに言い訳と分かる言葉を残して慌しく部屋を後にする。どれくらい慌てたのかといえば、部屋に残されたままの空の銚子と盆を見れば分かるというものだ。
「ったくおまえらはよ。女を褒めるのはいいが、千鶴みてえな初心な女を相手にする時は言葉ってもんを選びやがれ」
じゃねえと可哀想だろうが、と、原田は千鶴を追い詰めた二人を睨みつける。睨みつけられたほうはそれぞれに居心地の悪そうな顔をし、しかし突き出た唇が不満を表していた。
「そりゃあてめえみたいに日々もててもてて仕方のねえ野郎には、そんな事は造作もねえだろうがよ、俺は単に、本当に可愛いって思ったからそう口にしただけだ」
それの何が悪いんだ、と、性格そのままに真っ直ぐ言い返す男を見、原田は「だから」とため息をついた。
「じゃあ聞くがよ。思ったことを口に出せるってんなら、なんでその能力を日頃から活かさねえんだよ」
「あ? 何が言いてえんだ」
「島原の姐さんたちを見て、綺麗だの艶っぽいだの思ったりしてるんだろ? だったらそこでもそう言やあいいじゃねえか。そうしたら高い金出さなくったって、酌のひとつくれぇタダでやってくれる相手だって見つかるだろうに」
「そ、そりゃあ……」
途端口篭る永倉に、原田はなおも追及の手を緩めない。
「それとも何か? 平助の言うとおり、タダで酌してくれる千鶴へのおべっかか?」
「ばっ、馬鹿な事言うんじゃねえよ! 俺は本気で千鶴ちゃんは可愛いって、可愛い……って、思って……」
はた、と永倉の言葉が止まる。その隣では平助が、実に呆れた表情で男を見ていた。
こりゃあちとつつきすぎたか。ヘタをすれば、己の気持ちを自覚した途端、千鶴に対し変な態度をとってしまう可能性もあるなと原田が危惧したところで、しかしどこまでも期待を裏切らない男がその可能性を見事に裏切った。
「確かにそうだな……島原の姐さんも心底別嬪だって思うのに、どうも上手く言えねえんだよな。じゃあどうして千鶴ちゃんには言えるのかって事だが、やっぱ一緒に暮らしてるからか?」
「……おい新八」
「千鶴ちゃんも言ってたが、男装してるってのもでかいかもしんねえな。よし、今度島原に出向いた時には頭ン中で男の格好させりゃ会話も弾むってもんか?」
「ははは、やってみればいいんじゃねーの?」
「じゃ、ねえよ!」
無責任に合いの手を入れる平助に原田が突っ込めど、そのような声など聞こえぬとばかりに永倉が笑顔で頷いている。きっと永倉の頭の中では、すでに流れ落ちる滝のようにすらすらと芸妓の機嫌を良くするような会話を弾ませている己が浮かんでいるに違いない。
だがてめえは、その前に芸妓の顔と名前を一致させることから始めやがれ、と、置屋に送る逢い状のあて名すら間違える永倉に、原田は苦虫を数十匹噛み潰した顔でため息をついた。
「本当に救いようのねえ馬鹿だな……」
「今更じゃん。寧ろこのままの方が千鶴の為かもしんねえし、オレ達は新八っつぁんの鈍さには慣れてるし、放っておこうよ左之さん」
傍らで妄想に励みにやにやと笑みを浮かべたかと思えば、しまった千鶴ちゃんに酌をしてもらう機会を逃しちまったと大声を上げる男を二人は見やり、改めて深いため息をつく。
「しかしあれだな、千鶴ちゃんがちゃんと娘の格好したら、きっとすげえ可愛いんだろうなあ」
頭では理解しているくせに、己の心に気付かぬ男は更に原田と平助を呆れさせ、もういいから黙って飲めと、空の銚子で後頭部を殴られていた。
Fin
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Comment:
永倉さん×千鶴は、斎藤さん以上に無自覚でいいと思うんですという主張。
20100525up
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