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●白い温もり |
――泣きそうになる
降り注ぐ白を仰ぎ見て、そっと身体を一さんに預ける。
一さんは何も言わずに、だけど私の肩を支えるその手に力を込めてくれた。
私たちの触れ合った部分だけは冬の寒さに負けずに温かくて、寒いですね、も、温かいですね、も、どちらも本当で上手く言葉を選べなくて結局黙ったまま。
「そろそろ戻るか……風邪をひく」
「そうですよ。一さんたら、何回言っても薄着なんですもん」
私が何回言ったかわからない言葉をもう一度言うと、一さんも「寒くなどない」と、何回目かのそれを言う。それがおかしくて、笑った。
私を抱き寄せていた手が肩からはなれ、そのままするりと下へ降ろされると今度は私の右の手を包む。それからふと気付いたようにその手を解くと、嵌めていた手袋を外し、むき出しになった手で私の手を再び包みなおした。
革の冷たさから一さんの温もりに変わった気恥ずかしさに少し俯くと、隣から伺うような気配。上げた顔が少し赤くなっているのは、寒さのせいだと思ってくれたらいい。
言葉少なに歩く帰り道。二人の雪を踏む音だけが辺りに響く。
あまりに静かで、今まで過ごしてきたあの日々が遠い昔のように思えるほど。
夢ならばどれほど良かったか、なんて、思えるほど浅い日々じゃない。
辛いことも苦しいことも、数え切れないほどあって。けれど、それと同じくらい素敵なことも、嬉しいこともあって。
何よりも。
命を懸けて信じられる仲間や進む道の為に日々を過ごせた事が、夢であれと思わせることを良しとしない。
むせ返るほどの熱気。命の匂い。
繰り返して、手に入れた今。
(もし、願えるとするなら)
羅刹となってしまった一さんの身体を、唯の人に戻してあげられることが出来たら。
思って、だけど、と胸の中でだけため息をつく。例え人に戻ったとて、羅刹として振るってしまった力――自身の命は、決して元には戻らない。
私を助ける為に使ってくれた、一さんの命。
それはあとどれくらい、彼の為に残っているのだろう。
「……千鶴?」
考えても詮無いことだとはわかりつつも、ふとした瞬間に訪れる物悲しさが私を包む。そんな気配を敏感に感じ取った一さんは、歩みを止めてまっすぐに私を見た。
いつからだろう。彼の瞳にこんなにも優しさを見つけられるようになったのは。
昔からあった、鋭利な眼差しの奥にほんのりと灯るそれではなくて、私に注いでくれる視線そのものがこんなにも優しく感じられるようになったのは。
そしてその奥に、どうしようもないほどの切なさが滲んでいるのは。
「寒い、ですね」
「千鶴」
「急ぎましょうか。ほら、もう日が暮れて――」
「千鶴」
先ほどよりも強い口調で名を呼ばれ、澄み切った眼差しにつかまる。逸らせずに見つめ返せば、彼は緩く黒髪を左右に振る。
「お前が口にしたいのは、その言葉ではないだろう?」
昔から彼がそうしてきたように、まっすぐに私の眼差しを見つめてわずかな迷いも嘘も見逃さない。例え嘘ではないとしても、問いに対しての答えが違うものであれば、どうしたって彼にはわかってしまう。
「お前の眼差しが揺れている。何を、隠す?」
「違います、隠しているのではなくて……」
言葉と共に空気に溶ける吐息が白さを増していく。それを視界の端に認めながら、一さんの手をぎゅうと握り締めた。
「少しだけ……泣きそうになっただけです」
「何故だ?」
「幸せで」
形の無い未来より、今ここにある幸せが愛しくて。
「私、前よりもずっと毎日が幸せだなって思うようになりました。ここの冬は京の冬よりもずっと寒いけれど、その分一さんの手が温かいって感じることが出来ますし、一さんがお勤めに出てるからこそ、帰りがすごく待ち遠しくなって、会えるのが嬉しくて」
一さんを見つめるために天をむいた睫に雪が落ちる。ひやりとしたそれに思わず目を伏せれば、まるで反対の温度が唇に触れた。
一さんの唇が離れる際に少し触れた頬が冷たくて肩をすくめた私を、おもしろそうな眼差しで見やり再び歩き出す。
言葉で真実を問う必要などないように、まっすぐに私の瞳を見つめてから。
「一さん」
「なんだ」
「ずっと一緒にいましょうね」
この地に春が来て、夏が来て、その先に再び冬が来ても。
繰り返される四季の中、同じように繰り返される苦楽の中。
皆を言わずに告げた言葉を、一さんは受け止めてくれて短い返事をくれた。
あとはただ、二人静かに白の中を家まで歩き続けた。
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Comment:
斎藤さんルートクリアで勢いです。
あああすんごい好き。
千鶴は先にある不幸を嘆くよりも、今ある幸せをちゃんと大事に出来る子だと思います。
それで、そんな千鶴と共にいることで斎藤さんももっと救われればいいな。
20090127up
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