** Happy C×2 **
 ●それはまるで秋の空のように

 ああ、またやっているな、というのが他の幹部たち全員の感想だった。
 いつもの朝餉の時間。朝だろうが昼だろうが夜だろうが、弱肉強食の鉄則はなんら変わりがない。
 よくもまあ起き抜けからそんな元気があるものだと土方が呆れるほど、平助と永倉はおかずを奪い合い、喧々諤々を繰り返している。
 そして。
「本当に平助は良く食べるよね」
 沖田が表面上は感心したように、大盛りの椀を片手におかずをむさぼる平助に声をかける。
「食べなきゃ育つもんも育たねえからな! って新八っつあん! 人が話してる隙におかずとるなっつーの!」
「育ち盛りといえば、千鶴ちゃんもだよね」
 また来た、と、反射的に千鶴は身を固くしながら平静を装う。どうせこのあとに続くのは、人の良い笑顔に隠した意地悪な言葉の数々なのだ。
「沢山食べなきゃだめだよ? 遠慮なんかしないでどんどん食べないと」
 ところが続いた言葉は思いのほか優しい言葉だった。思わず箸を止め、案の定(表面上は)人好きのする笑顔を浮かべている沖田を見やる。
 居候の癖に、とか、少しは遠慮しろ、とか。そんな言葉を浴びせられるものだとばっかり思っていたのに。
 沖田の言葉に、数名の幹部も「おや」、という顔をする。いつも千鶴をからかってばかりの総司が今日に限って優しい。何かあったのだろうか、と、平助などは如実に表情にまで出していたのだが。
「あ、ありが――」
「じゃないといつまで経っても育たないからね。その齢でさ、男装するったって普通は色々無理だよねえ」
 沖田の珍しく思いやりのある言葉に千鶴が礼を述べようと口を開いた瞬間、重ねるように彼が発した言葉は色々な意味を含むものだった。
 音がしそうなほどぱちぱちと瞬きをし、千鶴は言われた言葉を脳内で反芻する。その間も、沖田はただにこにこと千鶴を見ていた。そしてそんな二人を、「おや」と思わなかった残りの幹部――土方・斎藤は、片方は苦虫を噛み潰したような顔で椀をすすり、もう片方は相変わらずの無表情で箸を動かしている。
「ええと、それは」
 完全に理解できないまでも、なんとなくこれは良い流れではないと直感で感じる。弱い動物が、本能的に身の危険を感じるように。
 そして実際それは当たっているのだ。千鶴にとっては非常に残念なことに。
「今のままじゃ、細身の少年、で十分通っちゃうもんなあ。勿論千鶴ちゃんにはそれが都合いいんだろうけど、女の子としては悲しいんじゃないかなーって僕心配してるんだ」
 だから、沢山食べるといいよ。
 さも親切のように言ってのけ、挙句追い討ちとばかりに千鶴の椀へ自らのおかずを寄越す辺り意地悪が徹底している。そうか、自らの糧を減らしてまで自分を苛め抜きたいのか、と、千鶴はめらめらと羞恥以上の怒りを腹にためる。
「よ……っけいなお世話ですけど、ありがたく頂きます!」
 ここでおかずを返そうものなら、完全に自分の負けだ。精一杯の虚勢で礼を述べつつ沖田が寄越したおかずを勢い良く箸で掴んで口に運ぶ。おまえのそういう反応が余計に総司を喜ばしてるんだろうが、と、土方がさらに眉間に皺を刻み、大きなため息を零したが千鶴は気付かない。
 そしてそんな土方の評は正しく、怒りとおかずで頬を膨らませた千鶴を沖田は実に楽しそうに見ていた。
「別に今のままでも、千鶴は十分女の子らしいだろうが」
 女性には徹底的に優しい原田がその適用を無論千鶴にも与え、すかさずフォローを入れる。無論、原田にとってみればそれはフォローではなく本心からの台詞だ。
 原田の言葉に平助がこくこくと頷き、口の中のものを飲み込んでから沖田に向き直る。
「そうだよ総司。千鶴は今のままでもじゅーぶんかわいいじゃん」
「最初気付かなかった平助が言っても、全然説得力ないよね」
 すぱりと切って捨てられ、平助が「う」と口ごもる。確かに、自分は完全に千鶴を男だと思い込んでいた――総司が千鶴を女子だと指摘するまで。
「そりゃあ……だってあんときはさあ!」
「平助君、もういいよ」
 袴穿いてたし皆だってそう思ったろ、と必死で言葉を続ける平助に千鶴が居たたまれなくなり止める。実際、自分は同じ年頃の女子のように、所謂女子らしいところがちっとも成長していないことは自覚していたので。
 けれどこう毎回毎回やられっぱなしでは気がすまない。幾らお世話になっている新選組の幹部とは言え、それとこれとは話が別だ。
 千鶴はにこりと沖田に笑顔を向ける。その反応が予想外だったらしく、沖田の目がほんの僅か開かれた。
「ご心配くださってありがとうございます。頑張って育ちますから、明日からもおかず、宜しくお願いします」
 この台詞には流石の斎藤も驚き、信じられないものを見るような目で千鶴を見た。傍らでは、おいおいそこで喧嘩売るかね、と、原田が大層面白そうに片頬を持ち上げている。
 けれど一番相好を崩したのは他でもない沖田自身だった。
「へえ。それって、僕に君を育てさせてくれるって意味だよね?」
 弾む声を抑えきれない、といった声に土方が押し黙る。もう、俺はしらねえぞ。
「え? あの」
「ということは当然、見返りがあると。楽しみだなあ、女の子になった千鶴ちゃん」
 未来への罠と現状の千鶴への侮辱を同時に口にし、けれどその顔に浮かぶのは笑顔だ。
 千鶴は最早取り返しのつかないところに踏み出してしまったことに気付いたが、時は既に遅い。
 だらだらと冷や汗が背中を流れた。が、上手く言の葉が続かない。まずい。どうにもまずい。このままでは確実にもっとまずいことになる。だがどうしろというのか。
「今の君だとちょっと物足りないけど、育つとなると話は別かな。投資した分だけ楽しませてくれるって思っていいよね?」
 いやあ楽しみだな。
 最早何も続けることが出来ず、千鶴は救いを求めるように辺りを見回すが、皆は一様に視線を逸らして食事に集中している。すくなくとも表面上は。
 ただ1人自分に同情的な視線を寄越した平助を縋るように千鶴は見、けれどその眼差しが諦めを諭すものであったことからがくりと頭を垂れる。
「ま、自業自得だな」
 朝餉が終わり、膳を下げる段階で土方がさりげなく残していった一言がそれで、千鶴はぐうの音も出なかった。


 どうして沖田はああも、自分を苛めるのだろうか。
 そりゃあ確かに自分の存在はおもしろくないだろう。けれどそれとは違う理由で、沖田は自分をからかって楽しんでいる。
 そんなに自分は沖田が楽しむような反応を返してしまっているのだろうか、と、千鶴はぺたぺたと己の頬や額を触る。せめてこの、感情が出やすい顔をどうにかできればいいのだが、こればっかりはどうしようもない。
 出会ったばかりの頃のように、生死を持ち出して意地悪をされることは少なくなった。勿論、意地悪ではない「生死」を突きつけられることは今でもあり、そういう意味では、自分達の関係はちっとも変わっていない。
 所詮自分は新選組の仲間ではないのだ。あくまでも父を探す為に必要な存在で、ただの居候。わかってはいても、けれど折角寝食を共にするのならば、出来る限り仲良くなりたいと思うのはやっぱり甘いのだろうか。
 お世話になっているせめてもの御礼に、と、庭掃除が千鶴の日課になった。土方は「別に小間使いや小姓としてここにいる訳じゃねえんだからのんびりしてろ」と苦い声で言ったが、何もしないのにお世話になる訳にもいかないし、何よりただ飯食らいにはなりたくない。そんなことをしようものなら、沖田の嫌味がさらに身に堪えるに決まっている。
 箒で枯葉を集め、冷えた手に息を吐きかける。大分暖かくなってきたとは言え、京の今時期は冷える。
 この箒も大分くたびれてきたな、と、千鶴は手に持ったそれを見た。買い換えれば簡単だが、折角これだけ枯れ枝があるのならば上手く補修に利用できないものかと千鶴が考えている時に、ふと足元に影が差した。
「何考えてるの? 焼き芋でもしようって?」
「沖田さん」
 浅葱の羽織を羽織っていないということは、巡察の当番ではないということだ。隊員が屯所のどこにいようと特段おかしいことはないが、あえて自分のところに来るというのが、沖田の場合なんとも意図めいていて穿ってみてしまうのは仕方のないことだろう。
「人の顔みると、すぐに食べ物に結びつけるのやめてください」
「あれ、違うの」
「違います」
 なーんだ、と、さして興味もなさそうに返す。こういう辺りも、沖田を理解できない一因でもあるのだ。
 常に飄々としていて、本心を見せない。たまに乗せているであろう本心すら、笑みに紛れて分かりづらい。
 ただわかるのは、彼にとって新選組――近藤が全てであること。彼らの目指す信念は、正直複雑に絡みすぎていて千鶴にははっきりとわからないが、それでもそれだけはわかる。
 だからそれに良くないことであれば、沖田は何のためらいもなく正面のものを切り捨てるのだ。例えそれが昨日まで共に暮らしていた仲間であっても。
 それがわかる以上、彼にとって自分の存在など、いまかき集めたばかりの枯葉と大差ないはずだ。
 そう頭ではわかっていても、やっぱり辛い。
「ん? どうかしたの?」
「いえ、なんでもありません」
 言いながら、沖田の視線から逃れるように集めた枯葉の中から、箒に回せそうな枯れ枝を捜し始める。ある程度の長さがあって、弾力性があるもの。そして太すぎず細すぎないそれを探しては手に取り、集めていく。
 そんな千鶴を沖田は不思議そうに眺め、何をやっているのかと問うて返ってきた答えにきょとりとした。
「あのさ、いくらなんでも箒の一本も買えないほど僕たち貧乏でもないんだけど」
「そういう問題じゃありません。使わないで済む金子なら、使わないに越したことはないじゃないですか」
「でも、それって凄い手間じゃない?」
「幸い私には時間もあるので」
 半ば自虐的に言い返したそれは、沖田のツボにはまったらしい。やっぱり君っておかしな子だよね、と、苦しそうにお腹を押さえつつ言われてもちっとも嬉しくない。
「僕、礼儀正しい子も好きだけど、賢い子はもっと好きだな」
「……それは、どうも」
 真面目に礼を言えばさらに笑われる。なんだか、初めてあったあの夜のようだ。
 一通り笑ったあと、ご丁寧に「あーおかしかった」とまではっきりと口にして沖田は千鶴に向き直る。そんなに笑わなくったっていいじゃないですか、と、千鶴が少し膨れれば、大して悪いと思っていないと分かる口調で「ごめん」と言って来た。
「じゃあ、真面目な君にご褒美」
 差し出された包みを反射的に受け取る。受け取ろうとして、つい先ほどまで自分がしていた行為を思い出し、袖口に入れておいた手ぬぐいで手をぬぐってからそれを受け取った。
「何ですか?」
「お菓子だよ。君、甘いもの好きでしょ。一応女の子なんだし」
 予想もしていなかったことに、千鶴の目が瞬かれる。もしかして、中に何か入っているとか。
「やだなあ。毒なんて入ってないよ」
「そっ、そそそそんなこと思ってま、センヨ?」
「正直な子も好きだけど、行き過ぎると命を縮めるって知ってる?」
「うう」
 だからどうしてこう、すぐ顔に出てしまうのか。
 がっくりとうな垂れたこと自体が何よりの証拠だというのに、気付いていない様が余計に沖田の嗜虐性を誘うのだ。
「それからこれ」
 小さな筒が千鶴の目の前に差し出される。しかし千鶴の片手は枝を持ち、もう片方は今しがた貰った菓子の包みで埋まっている。沖田は苦笑しながら千鶴の手から枯れ枝を取ると、地面に置き、代わりとばかりに筒を取らせる。
「もらい物だけど塗り薬。雑用にいそしむのもいいけどさ。もう少し手肌に気を使ったほうがいいよ」
 言われて自分の両の手を見る。傷、といえるものは元来の性質からあっという間に癒えてしまうが、乾燥まではそうもいかない。確かに時折ぴりりとした痛みと共にあかぎれが走るが、それ自体はたちまちに癒えてしまう。だから余計、肌自体に思いが行き届いていなかった。
 意外な思いで沖田を見るが、その本心はやはりいつもの笑顔に隠されて見えない。
「ありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げると、どういたしまして、とやはりいつもの声。
「いずれは僕のものになるみたいだしね。それまでは責任持って育てないと」
 明らかに自分をからかうための言葉だと分かっているのに、千鶴の頬は勝手に赤くなる。
「いずれって、い、いず、あのっ、なりませんから!」
「君が育ててって頼んだんじゃないか」
「あれはそのっ、決してそういう意味じゃ」
「僕じゃ駄目?」
「う……っ」
 言って、悲しそうな目で千鶴を見る。駄目だ、これは作戦だ。本心でなんかあるわけがない。
 分かっているのに、綺麗な色の瞳に揺らぐ、悲しげな色が千鶴の心をちくちくとつつくのだ。
「お、沖田さん」
「何だい?」
 自分がこんなにも慌てているというのに、沖田は相変わらず余裕すら漂わせている。ほら、やっぱり悲しそうなそぶりなんて芝居なんじゃないですか。
(って、頭では分かってるのになあ)
 悔しい。口でなんて絶対勝てない。その上そんな、綺麗な色の綺麗な光で私のこと見て、どれだけ翻弄すれば気が済むんですか。
「ずるいです」
 悔しくて、悔しくて。
 頑張って言い返した言葉が、その一言。
 上目遣いで恨めしくぽつりと返せば、沖田の双眼がはっきりと見開かれた。
「……ック、あははははは!」
 一瞬の沈黙の後、弾けるように沖田が笑い出す。先ほどの比ではないほどのそれに、千鶴が今度こそ絶句した。
「あははっ! 君って、ホント……おもしろい子だよね」
 言いながらもさらに笑う。悔しい。本気で悔しい。
 真っ赤になった頬はもうどうにもならない。せめてもと千鶴は笑い続ける沖田の背中をぐいぐいと屋敷の方へ追い戻し、掃除の邪魔ですからもう帰ってください! と言ったのだが、それもさらに沖田を笑わせる要因となった。
 はいはい大人しく帰りますよ、と、目尻に溜まった涙をぬぐいながら沖田が歩き出す。そして思い出したように千鶴を振り返り、その足元にある枝を指差した。
「落ち葉の片づけが終わったら声かけてよ。暇だったら箒作りくらい手伝ってあげる」
「結構です!」
 暇だったら、を念押しした沖田に断りを告げると、「えー」と不満げな答えだけが返って来たが、その響きはやはり残念そうではない。
 小さくなり、やがて消えていった背中を見ながら途方にくれたくなった。本当に、あの人だけはわからない。
 手元に残った菓子と薬。そのどちらも、自分を喜ばせてくれるもの。
 でも普段の沖田は意地悪ばかり言う。意地悪ばかりする。なのにこうやって時々、凄く優しくて。
「本当……わからない人」
 1人呟いてみても、答えは返ってこない。
 ただ胸の内に湧き上がる、「知りたい」という想いばかりが膨らんでいった。




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Comment:

沖田さんはぎりっぎりまで自分の気持ちに気付かなければいいと思います。


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