** Happy C×2 **
誰がために

 それはふいに思い立ったことだった。
 京の夏は暑い。江戸も大抵暑かったが、なんというか暑さの種類が違う気がする。千鶴は使いすぎて泣きの入っている団扇をそれでも酷使してぱたぱたと扇いだが、涼しいのかそうでないのかがわからない。じっとしていたほうが涼しいような、多少体力を使っても団扇で扇いだほうがいいのか。真剣に悩み始めたところで――何を考えているのかとがくりとうな垂れた。
「う」
 その瞬間、結い上げていた髪が汗で湿った襟足に張り付き、千鶴が声を漏らす。ぐったりしながら髪を払ったが、湿り気を吸い取った髪は更に不快さを高めているような気がする。
「切っちゃおうかなあ」
 新選組に世話になり、夏を迎えるのは3回目。場所はこの西本願寺へと移り、多少広くなったとは言え土地そのものの暑さは変わらない。
 父を探すという名目と、彼らの秘密を知ってしまったということから自分はここにいるが、前者に関しては一向に進捗の兆しを見せないのも千鶴の考えを後押しする。
 どうせ娘の姿に戻るのが先なら、いいかな。
 切ったほうが男子に似るだろうし、むしろそっちのほうがいいよね。
 暑さのあまりに口を突いて出た言葉が存外良い案のような気がして、千鶴はうんそうしよう! と決意を固める。普段ならばもう少し冷静な判断も出来たかもしれないが、京の暑さは判断力すら鈍らせる。
 畳から腰をあげれば、膝裏に張り付いていた袴が名残を惜しむように離れて行く。うう、気持ち悪い。お風呂に入りたい。というか、もう夕方も近いのにどうして風の一つも吹いてくれないのだろうと千鶴は恨めしく庭を見据える。
 冬ならばとっくに暗くなっている空も、まるで過ぎる時刻に反抗でもするように余力全てを熱に変えて地上へ振りまいているよう。
 鏡の前に移動し、被せてある布を捲れば情けないほどにぐったりとした自分の顔が映る。部屋でじっとしている自分すらこうなのだ。市中へ巡察にでている幹部や隊士らはどれほどのものだろうか。
 3日続けて市中に連れて行ってもらった千鶴は、今日は大人しく屯所内で細々とした用事を片付けるにとどまった。それはやはり巡察よりはよほど楽なものだったが、比較の結果がそうであるだけで暑いという事実は変わらない。
「どれくらい、切ろうかな」
 腰に挿してあった小太刀を鞘ごと抜き、膝の上に置きながら思案する。どうせ切るならばっさりといってしまいたいが、中途半端な長さで降ろすようなことになれば、余計に女であることを際立たせてしまう気がする。ならばいっそ原田くらいか。
 さすがに永倉の髪ほど短くする勇気も無く、かといって沖田程度では、と考えつつ髪紐を解き、挟んであった懐紙を外す。縛り癖のついた髪を手櫛でざっくりとなでつけ、とりあえず伸びた分だけでも切ろうかと鞘から刀身を抜いたとき。
「何をしている」
 短く硬い声が聞こえたのと、小太刀を握った腕を捕まれるのが同時だった。
 反射的に身を硬くし、取られた腕を解くべく護身の基本である重心移動を行えば、まるで予想していたかのようにかわされた挙句小太刀を奪い取られる。
「落ち着け」
 一瞬、又も鬼の襲来かと恐慌にとらわれ掛けた千鶴の耳に再び届いた声が、そうではないと教えた。理解した身体から勝手に力が抜けると同時に、拘束していた相手の力も緩められた。
「さい、とうさん」
 そこに居たのは新選組三番組組長斎藤一だ。千鶴が己を認めたと察した斎藤は、転がっていた鞘を拾うと千鶴から奪い取った小太刀を収め、そのまま静かな眼差しを持ち主へと向けた。
 一度口を開き、この男にしては珍しく開いた口を閉じる。これには千鶴が驚き、とりあえず立ち話も何ですから、と座を勧めたところで斎藤の眼差しに浮かんでいた緊張にも似た色が和らいだ。
 斎藤が座したのを確認し、千鶴もまた座りなおす。そして肩を撫でた髪に気付いてあわあわと手で押さえた。
「す、すみません見苦しくて!」
「いや……構わないが」
 どうやら自分が考えていたような事ではなかったらしいと千鶴の反応で判断した斎藤は胸の内で一息ついたが、続く言葉で再び息を詰まらせた。
「髪を切ろうと思っていたものですから」
 千鶴の肩に流れる、少し縛り癖のついた黒髪を見、告げられた言葉と結びつけて斎藤が固まる。珍しく如実な反応に千鶴が気付き、首を傾げると目をぱちりと瞬かせた。
「斎藤さん?」
「……今、何と言った」
「え? 髪を切ろうと、と」
 言ったところで再び斎藤が固まった。そして斎藤が無意識のうちに小太刀を握る力を強めたのだが、千鶴もそれに気付かない。が、黙りこくった斎藤の様子を見ると何か自分が彼の機嫌を損ねるような言動をしたと察するには十分だった。
「あの、私何かまずいことしましたか!?」
 今の姿があまりにみっともないのだろうか。それともあれか、人一倍刀に愛着と誇りを持つ斎藤の前で、いかに小太刀とは言え命とも言うべきもので髪を切ろうとしたことが駄目だった?
 それともそれとも、とぐるぐる思考をめぐらせるのだがどれが正解かわからない。しかし目の前の斎藤は相変わらず無言のままなので、千鶴はとりあえず頭を下げた。
「す、すみません、あの、私、何か斎藤さんの気に障るようなことをしてしまったでしょうか」
「何故、髪を切ろうなどと思ったのだ」
「すみません! あの、ちゃんと髪結にお願いすべきですよね、あ、でも私の場合どうしたら……」
「そうではなく、何故かと聞いている」
 どうやら責められているのではないらしいと気付き、千鶴はええと、と続けた。
 髪も伸びてきてしまったし、この暑さもあるので短くしてしまおうと思ったこと。それと、そのほうが男に見えて都合がいいのではないかとも思ったことを正直に告げると、斎藤の整った柳眉が僅かに潜められる。同時に、溜息までも零された。
「そのような理由で、女が髪を切るなどとは」
 予想外の理由に、千鶴がきょとんとする。しかしどうやら斎藤は心底呆れているらしい。
「でも私、ここでは男で通ってますし」
「だが、女であることに変わりはない」
 何故か言い訳がましく言い募った言葉に返された言葉は、意外なものだった。
 確かに自分は女で、それはいかに男装しようと変わりない事実。けれど、そうすべき目的を考えれば、褒められこそすれ否定されるとは思わなかったのだ。
 戸惑って斎藤を見れば、先ほどより赤味を増した陽の光が斎藤の頬までもわずかに染めていた。決して斎藤自身が頬を赤らめている訳では無かろうに、何故か気恥ずかしくなった千鶴が視線を膝元へ落とす。普段ならば叶わぬ願いだが、今は降ろした髪が赤くなっているであろう顔を隠してくれているから助かる。
「いずれは娘に戻る日が来る。その時に男のような頭では、表を歩くことすら憚られるのではないか」
 大義の為ならば斬って捨てるとまで言われていたのは、まだたった3年前の事だ。そしてそれはきっと今も変わらないはずなのに、こうして時折見せてくれる優しさのせいで勘違いしそうになる。
 もしかしたらほんの少しだけでも。単なる運の悪い子供に対する、哀れみ以上の情を覚えてもらっているのではないかと。
「あの、斎藤さん」
「何だ」
「私……もう、男には見えませんか?」
 気恥ずかしくて、それを誤魔化したい気持ちと真実を問いたい気持ち半々で聞けば、斎藤は冷静に自分の上から下までをじいと視線で撫でていく。しまったこっちの方が恥ずかしい! と気付いた時にはもう遅い。自分の質問に生真面目にも真剣に答えようとしているのか、やたらと時間が長く感じられる。
(駄目、耐えられない!)
「やっぱり結構です!」
 両手のひらを突き出し、斎藤の視線から自分の身体を隠すようにして話を断ち切ろうとしたが、突き出した内の片方を斎藤に取られ、千鶴の息が止まる。
「指は、細いな。それに腕も細い」
 袖から出た右手首をつかまれ、まじまじと観察される。一瞬で皮膚がちりちりするほどの熱が全身を襲い、今にも震えだしそう。
 斎藤の手が千鶴の手のひらを上に返し、反対の手でその指を開いていく。形だけでなく感触すら探るような動きに、そうされている千鶴は微動だに出来ない。
「おまえと同じ背格好の者ならいないこともないが、骨や筋がやはり違うな。だが、こうも触れなければそうそうばれるものでもなかろう」
 返事をしなければと思うのに、喉の奥が張り付いたように声が出ない。夏の暑さのせいだけではない、身体の動作を緩慢にさせる何かがあって千鶴の自由を奪う。
 千鶴が固まっていることに気付いたのか、斎藤がふ、と千鶴の手に注いでいた視線を上げた。湿度の高い空気を介して二人の視線が重なる。きっと自分は、さっき鏡で見たときよりも情けない顔をしているに違いないと思いながら、千鶴はそれでも視線を外せずにいた。
 その時、屯所の外を小さな子供が駆けて行った。はしゃぎながら家路を急ぐその声に我に返ったのか、斎藤が慌てて千鶴の腕を解放する。
「――っ、すまない……!」
「い、いえ」
 ぱ、っと離された腕を自身に手繰り寄せながら、暴れだした心の臓を押さえつけるように胸元に置く。暑い。暑い――熱い。
 襟足をつ、と汗が流れていった。千鶴は自由になった手で髪を片側に流し、袂に入れておいた布でそっと汗を押さえる。斎藤の前で少しばかり恥ずかしかったが、何かしていないとこの空間に耐えられそうに無かった。
「みえない、な」
「え?」
 斎藤が何かを呟いたような気がして聞き返したが、目の前の男はすでに常の様子に戻った顔で「なんでもない」とだけ返した。
「髪を切りたいのならそろえる程度にしておけ。近藤さんが髪を切ったあんたを見たら卒倒する」
 ただでさえ娘の姿に戻してやれないことで心を痛めているのだと言われてしまっては千鶴に選択肢はない。素直に「はい」と頷き、髪の先を無意識に指でいじった。
「それに、俺も」
「……、斎藤さんも?」
「美しいと思うものが失われる様は、あまり見ていて気分の良いものではない」
「――っ」
 本当に、誰がこの人を口下手などと言ったのだろう。
(全然、全く、そんなことない)
 彼が美しいと評したのは自分の髪。だが自分の髪だからではなく、単に彼が綺麗だと思ってくれたものを自分が持てているだけ。順番を間違えちゃいけない。
 必死にそう言い聞かせているのに胸の内は収まらない。
「必要なら髪結を呼ぶ。自分で切るよりはましだろう、その時は俺なり誰かに声をかけるといい」
「はっ、はい」
 そこでようやく斎藤が千鶴の小太刀を持ち主に返す。それを受け取りながら礼と詫びを言うと、不要だと言われてしまった。
 部屋を去る斎藤を見送る為に千鶴も立ち上がり、その姿が消えてからおろしたままの髪に再び触れる。
 特段綺麗だとは思わない。けれど、斎藤にそう言ってもらったこの髪を、自分はもう切ることなど出来ないだろう。
 近藤が悲しむから、という理由にしていてもいいかもしれない。
 勿論その為にも、と思う気持ちは本当だけれどもそれよりももっと。あの、言葉が。
 いつか娘に戻る事が出来た時、この髪を堂々とおろす事が許された時、自分と斎藤は今のようにいられるだろうか。傍にいる理由などなくても、そう願うことを許してもらえるだろうか。
 斎藤に触れられた右の指で、美しいと言ってもらえた髪にずっと触れながら、気付けば赤くのびた陽の光の中千鶴はずっと斎藤の消えた方向を見つめ続けていた。


 

 

Fin

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Comment:

斎藤さんは無意識饒舌でいいんです。絶対無口とか人嫌いとかじゃないと思う。
こんにゃろう(愛)。


20090326UP



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