** Happy C×2 **
 ●屯所内事件簿

 新年が明けて数日の後。所謂鏡開きの日は大層賑やかだった。
 慌しかった昨年の暮れが明けてすぐ、これじゃ雑煮もおちおち食っていられないと原田が嘆いていたが、新選組は男所帯にも関わらずそういった節目は大事にするらしい。
 神棚や床の間、玄関先に飾っていた鏡餅を下げて割る。生えてしまったかびをそれなりにこそげ落とし、あとは気にしないとばかりに炭で火を通す。
「寒い寒い」
 思わず口に出しながら両手をこすり合わせ、千鶴が慌しく屯所内を動き回る。人数分の汁粉を作るのは無理だとしても、幹部の皆さんの分くらいは手ずから作りたいと、いつもよりの早起きだ。
 そんな中、普段ならば決して土間に顔を出さない人物が、重ねて決してこんな時間には来ないだろうという驚きと共に顔を見せたから千鶴は目を丸くした。
「島田さん、どうされたんですか?」
「いや、餅を分けてもらおうと思いまして」
 千鶴が新選組に世話になるようになってから、島田は年下の自分にも決して丁寧な口調を崩すことがなかった。折り目正しいこの男は、今は千鶴がたっている土間に入るのを躊躇うようなそぶりを見せてそう言ってきた。
「御餅ですか? ええ、沢山ありますけれど……」
 千鶴の視線の先に、大小様々に打ち崩された餅が山となっている。表面が乾燥しきった餅は焼くのに難儀するため、一旦水に入れて柔らかくするのだがその作業すら追いつかない量だ。
「かび取りまではやってありますから、あとは柔らかくして焼いたら食べられますよ」
「ああ、それはありがたい。雪村君は、幹部の皆さんの汁粉を作っているのかい?」
「はい。さすがに隊士の皆さん全員の分は追いつかなくて……」
「そりゃあそうでしょう。では、それは私が引き受けよう」
 予想外の言葉に千鶴が目をきょとんとさせる。なんだか今朝は、島田に驚かされてばっかりだ。
「島田さんが作られるんですか?」
「ええ。折角、堂々と汁粉が思う存分食べられる日でもありますからね。たまにどうしても汁粉を食べたくなると我慢できずに1人で作るのですが、こんな日なら大勢分を作ったほうがきっとうまい」
 よほど好きなのだろう。そう語る島田の顔は満面の笑顔だ。
 一間程もあると見える巨漢の島田が、甘いものの話で笑顔になる。その不釣合いな具合がたまらなくおかしく、千鶴は悪いと思いつつも頬が緩んでしまった。
「じゃあ、お願いできますか? そちらの分は好きなだけ持って行ってくださって大丈夫です。幹部の皆さんの分はもう、こちらに取り分けてますから。あと小豆と御砂糖は」
「ああ、それは大丈夫です。いつものところで仕入れてますから」
 なじみのところがあるとはどれほど好きなのだろうかと驚いている隙に、島田は笊に餅をあげていく。まだ表が硬いものもあるだろうに、島田には気にならないようだ。
(島田さんのお汁粉って、どんな味なんだろう)
 男が料理したものなど、父親が作ったものくらいしか食べたことがない。この屯所に来て間もない頃は土間に立つことも許されず、必然的に平隊士が用意したものを食べたことはあったが、所謂見知った他所の男の作るものを口に入れたことはないように思う。
「あの、島田さん。もしよろしかったら、私もご馳走に預かってもいいですか?」
「勿論です。ちゃんと君の分も残しておくから、楽しみにしておいて下さい」
 出来たら呼びに行きますから、じゃあ後でと大きな背中が去っていく。大きな島田が大きな手で作る汁粉。しかも甘いものが好きとあっては、よほど美味しいのではないだろうか。
 朝食の膳を出したとき、何故かいつもと反応が違った。千鶴が何か不手際をしてしまったかとそれぞれの膳を見直したが、椀や箸の位置も間違っていないし、誰かの分が一品少ないということもない。
「あの……何か?」
「念のために聞くが、この汁粉は誰が作った?」
 予想外の質問に千鶴が大きく瞬きをするのと、行儀悪く椀を軽く揺らした平助が声をあげるのが同時だった。
「汁が動いてるよ大丈夫大丈夫!」
「え? え?」
「だな。糸もひいてねえみたいだし」
 汁が動く? 糸が引かない?
 とても汁粉を前に行われる会話とは思えず、最初に土方にされた質問に答えられずにいると「これ、君が作ったんだよね?」と沖田が聞いてきたのでこくりと頷いた。
「良かったああああ。あー安心した。七草過ぎたあたりからもうオレ、気が気じゃなくてさー」
「言うな平助。俺なんざ元日から胃もたれ気分だったぞ」
「新八のはただの飲みすぎと食いすぎだろうが。けど、まあ確かにこればっかりはなあ」
「ああ。雪村君がいてくれて助かった」
「だから無理に食べることないじゃない」
「人が心を込めて作った手ずからの料理を断るような酷な事は出来まい」
「……まあなあ。本人に悪気がねえだけ余計だな」
 誰が命じたわけでもないのに思い思いの心情を吐露し、その後沖田を除いた6名が一斉に息を吐いた。その珍しすぎる光景に千鶴は目を白黒させ、汁粉が一体どうしたのかと答えを求めるが一向に誰も口を割らない。
「ともあれ、いただきます!」
 何事にも先陣を切る平助がそう言ったのが合図となり、朝餉が始まる。汁粉を口にした面々は、うんこれが汁粉だよな、だとか、これくらいが丁度いいよな、だとか、挙句『あれ』とこれを同じ汁粉でくくるのは間違っているとまで言う始末。
「あの……『あれ』って何ですか?」
 恐る恐る聞いた千鶴に、唇についた汁餡を舐めながら平助がなんと言うべきか、と一瞬のためらいを見せる。
「んー、新選組にはさ、名物があるんだよ」
「名物?」
「うん、ここではさ、汁粉って聞いてまず思い出すのが――って、あれ? 千鶴、おまえ汁粉食べないのか?」
 今更ながら千鶴の膳に自分達と同じ椀が乗っていないことに気付いた平助が聞くと、千鶴は素直に頷く。あとで島田が作ったものをもらうという約束をしているので、さすがに二杯はきついと思ったのだ。
「え、もしかしてオレらの分でいっぱいとか?」
「あ、ううんそうじゃないの」
「何似合わない遠慮なんかしてるの。僕の食べなよ、元々そんなに食べないし」
 沖田がそう言って膳ごと千鶴の方に押してきた椀を、横から伸ばされた永倉の手が掴みかけ、斎藤にぴしりと叩かれて引っ込んだ。
「いえ、あの、本当にそういうわけじゃ! お替りもちゃんとありますから、お口に合いましたら言ってください」
「じゃあ何で食べねーの? 千鶴甘いもの好きだよな?」
「うん。でも私――」
「雪村君!」
 島田さんの、と言いかけた時、まさにその島田が現れた。巨体に似合った、大きな大きな椀を載せた盆を手に。
「どうした島田。珍しいじゃねえかおまえがここに来るなんざ」
 まさか、あの椀は自分に持ってきてくれたんじゃ。いや、むしろあれは椀というより鍋?
 混乱する千鶴の他、何故か幹部が全員固まっている。だが今の千鶴にそれに気付く余裕はない。
「いえ、今朝雪村君が私の汁粉をぜひにと言ってくれたものですから」
「――!?」
 島田の発言と同時に、その部屋にいた人間全員がまさに幹部の名にふさわしい速さで一斉に千鶴を見る。視線を向けられた千鶴は、なんとなく何かを察しながらも「まさか」の言葉を心中でだけ繰り返して必死で平静を保とうとするが、その時点でもう答えは出ていたようなものだ。
 失礼します、の言葉がまるで何かの宣告のように聞こえた。島田はにこにこと笑顔を浮かべたまま千鶴の前に腰を落とし、彼女が鍋ではないかと思った椀を盆ごと差し出した。
「さあ雪村君。遠慮しないで食べてくれ」
 向けられた椀は傾いている。が、中の汁粉は一向に傾いていない。
『汁が動いてるよ大丈夫大丈夫!』
 先ほどの平助の声が、無邪気に響く。
 行儀の為だけではなく両手で椀を受け取り、そのずしりとした重みに一体何が詰まっているのかと島田の作った汁粉を眺める。
「……あり、がとう、ございます」
「いやいや。君の口にあうかは分からないが、私なりに気持ちを込めて作らせてもらいました。いつも雪村君には色々と世話になっているからね」
『人が心を込めて作った手ずからの料理を断るような酷な事は出来まい』
『……まあなあ。本人に悪気がねえだけ余計だな』
 次いで、斎藤と土方の達観した響きが脳内に続く。
 行儀が悪いとは思ったが、片手で持てる大きさでも重さでもない。手を添えた形で膝の上に椀を置き、箸をつけたところで千鶴は固まった。
 ――これはもはや、『汁』粉ではない
 異様な濃度と言うか粘度が箸に絡みつく。だが、餅は依然として餅の形を保って餡の中に浮いている。つまりこの粘りは。
(まさか……おさ、とう?)
『だな。糸もひいてねえみたいだし』
 原田さん。あなたが言ったのはこのことだったんですね。
 千鶴の動きを、幹部全員が固唾を飲んで見守っている。唯一正月にふさわしい表情を浮かべているのは、島田1人だ。
 見かねた土方が、作り手にじいと見られたままじゃ食いづれえだろうと助け舟を出してくれたお陰で本人の前で失態を犯すという最悪の事態だけは免れた。だが、いかにこの場から島田が去ろうとも、汁粉が消えるわけではない。
 微妙な沈黙が、場に満ちる。
「……平助君」
「は、はいっ!?」
「名物って……」
「別名『島田汁粉』。隊のヤツらは、何も知らねえ新入り以外はまず食わねえな」
 答えは原田の口からもたらされた。
「…………」
 千鶴の右手が動く。が、諦めたように箸を持ち替え、椀と手のひらの間に挟んで両手で椀を持ち上げると口元へ運ぶ。
 だが、椀を傾けても一向に汁粉は千鶴の唇に触れる気配がない。実にゆったりととろりとろりと椀の淵を辿っているのが見えるが、それがたどり着く前に千鶴の両手が悲鳴をあげた。
「……匙をとってきます」
「千鶴、無理すんな」
「いえ。島田さんが折角作って下さったんですし……私が、食べたいってお願いしたんですし」
 それはまるで自分に必死で言い聞かせているようで、永倉や近藤の涙を誘う。
 千鶴はにこりと笑った。
「あの……時間を頂くと思うので、皆さんお気になさらずそのままでお戻りになってくださいね」
 この台詞に、平助と斎藤が押し黙り、土方がため息をついた。
 千鶴が匙を取りに部屋をあとにした瞬間、視線が注がれたのは――永倉だ。
「新八……おまえならいけるだろ」
「いや、ちょっと待てよ。そりゃあ千鶴ちゃんは可哀想だと思うぜ? 思うけどよ、それとこれとは別っつーか」
「新八っつぁん! 男だろ、つべこべ言わずに助けてやれよ!」
「おまえだって男だろうが平助!」
 最早永倉のそれは悲鳴に近い。斎藤は沈黙を保っているが無言の圧力を容赦なくかけてくるし、土方も苦々しい顔をしているだけで何も言わないが、何も言わないということが命を出しているのと同じだろと永倉は泣きたくなった。
「しかしこのお椀おっきいよねー。持ち上げるのにも一苦労、って感じだったし」
 下手したら千鶴ちゃん、倒れちゃうかもなあ。
 総司の飄々とした声が合図になった。
「わーかったよ! 食うよ、食えばいいんだろう俺が!! その代わりおまえら、今度の飲みは奢りだからな! 一月ずーっと奢りだからなああ!」
 余程の覚悟が必要なのか、左之助や平助の返事を待たずに椀が持ち上がる。千鶴と違い片腕で持ち上げられた椀は、反対の手で掴まれた箸によってその中身を永倉の体内へと移していく。
「飲むっていうか食うっていうか……」
「移動、って感じだなありゃ」
 呼吸をしているのかどうかといった勢いで永倉の右手が動く。椀の角度があがっていく。観客の声は続かずに、ただただとても汁粉を食べているとは思えない咀嚼音が部屋に響く。
 聞くのも耐えがたいがその不快感は顔には出さない。余りにも、永倉が気の毒過ぎて。
「あれ? まだ皆さんいらっしゃったんですか――、永倉さん!?」
「千鶴。茶をたっぷり持ってきてやってくれ。渋すぎるくらいでいい」
 灰になった、と言った体の永倉が壁に身体を預けており、土方が何が起こったのか言わないままにそう千鶴に指示を出す。千鶴は原因を聞こうとしたが、聞こうとして死に体となっている男の前に転がっている鍋もどきの椀を見つけ、全てを悟った。
「……そういうことだ。分かったらさっさと行って来い」
「は、い」
「それから、今後一切迂闊な約束はすんじゃねえぞ」
「……はい!」
 浮かびそうになった涙を堪え、千鶴はめいっぱいの茶を淹れる為に土間へと向かう。
 ありがとうございます永倉さん。この御恩は一生忘れません。
 今まで生きてきた中で一番の教訓になりました。もう金輪際、何かを知ろうとか何かを試そうとかは遠慮します。特にこの屯所内では。
 その日から四日、永倉は巡察を含めたあらゆる公務から姿を消し、そのことについて土方を含めた幹部全員が固く口を閉ざしたことで一時死亡説まで流れたが、五日目に永倉の姿を見た隊士の間では死亡説の代わりに病気説が流れ始めた。
「永倉さん……あの、私、何て言ったらいいか」
「いーっていーって……千鶴ちゃんが食わなくて良かったよ」
「永倉さん」
「ホント……死ななくて良かったな」
 遠い目の永倉が痛々しくて千鶴がそっと目を逸らす。すっかり身体の線が細くなり、寝込んでいた四日の間を思うと涙が出そうになる。確かに永倉の言うとおり、もしあの量を自分が一人で食べていたら寝込むどころではすまなかったかもしれない。
 以後、島田に会うたびに心苦しい時間が続いたが、永倉が負ってくれた一件を思い出して、誤魔化すことが苦手な千鶴にしては実に珍しく、完璧な笑顔を返すことに成功することが出来た。
 

 

 

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島田汁粉の存在を知ってしまったら書かずにはいられませんでした。
本当は無理して食べたちづったんを誰かが看病する話だったのですが。あれ?
新八っつぁん…ごめんよ。


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