「は、原田さあん!」
だ、っとまさに野兎のようにかけてきた千鶴が、涙目で原田の後ろに隠れる。咄嗟のことで驚きはしたものの、女性が――しかも日頃可愛がっている妹分が自分に助けを求めてきたとあっては自然と身体が動き、原田は背後に隠れた千鶴を更に庇うように後ろ手で囲う。
驚いたのは一瞬で、ああ、またか、というのが正直な感想だ。
「総司……てめえいい加減にしとけよ?」
千鶴が逃げてきた方向には、いつもどおりの笑みを浮かべた一番隊組長がいる。背中ですんすん涙ぐむ千鶴を、回した後ろ手で宥めながら原田は沖田をにらみつけた。
「千鶴が怯えてんだろ。てめえの遊び相手なら他探せ他」
「やだなあ左之さん。それじゃまるで僕が彼女を苛めてるみたいじゃないか」
「みたいじゃなくて苛めてるじゃないですかあ!」
僅かに顔をだし、原田の背からそう反論する千鶴に、沖田は心底心外だとでもいうような顔を作る。
「ひどいこと言うね君も。僕が、君が1人屯所に閉じこもってるのが可哀想だと思って遊んであげてるのに」
「遊んでくださるならもっと普通に遊んでください!」
「僕にとっては普通だよ?」
にこり、と、更に極上の笑みを浮かべた男に千鶴の肩がびくんと跳ねる。ああもう大丈夫だから、と、原田が丸い頭をぽんぽんと撫でると、千鶴は甘えるように原田の袖を掴んだ。
「納得いかないなあ。僕の方が君と遊んであげてるのに、なんで左之さんばっかりに甘える訳?」
「ばーか。言わずもがなだろうが」
男としての器量が違うんだよ器量が、と、余裕めいた笑みを原田に返されると、ふーんとつまらなそうな視線は千鶴に返す。
「おまえも千鶴に好かれたきゃ、もっと優しくしてやれ。大体、女の子を泣かすなんざ男の風上にも置けねえぞ」
「僕は別に好かれたいわけじゃない。遊びたいだけなんだ」
「あ、あんなこと言うんですよ!?」
だからそういう物言いがだな、と、言いかけてやめる。どうせ言ったところで聞きゃしないのだ。
更に怯えた千鶴が完全に原田の影に隠れ、原田も千鶴を庇う。面白くない。
大体、千鶴と遊んでいたのは自分で、何かそれに対して言いたいのなら自分に言えばいいではないか。何故いちいち原田に、別の男に助けを求めるのか。
「いいか総司。千鶴は俺の妹みてえなもんだ。苛めたらただじゃおかねえぞ」
「妹じゃなくて弟じゃないの?」
「!!」
「だって男装してるじゃないか。やだな、それ以上の意味なんてないよ。別にありのままの君自身がとても年頃の娘と同じ発育に見えないよねなんて言ってないし」
「は、原田さああん!」
「総ー司!」
どうしてそういう顔をそっちに向けるの。
真っ赤になって慌てた顔なんて大層面白いから、こっち見てくれなきゃ意味がない。折角僕が色々つついては面白い反応を引き出してるのに、別の男に隠れてるなんてつまらないよ。
「あーあ。気が削がれちゃったな」
随分と勝手な事をいい、沖田が二人に背を向ける。又後でね千鶴ちゃん、と、妙な布石を残して千鶴を怯えさせることを忘れずに。
途中肩越しにちらりと振り返れば、自分には決して向けることのない笑顔を原田に向けているのが見えて更に鼻白む。何その顔。あれだけ意地悪したのに、まだ笑うんだ。
そんな顔を、左之さんには見せるんだ。
「馬鹿な子」
苛々を吐き出すようにそう言えば、正体不明の別の苛々が生まれる。本当に、あの子どもが来てからというもの、妙に苛々する。
ふ、と視線を感じてその方向を見れば、こちらを見渡せる位置に斎藤が立っていた。あいかわらず少ないその表情からは、斎藤が何を考えているかまでは読めない。もっとも、それほどの興味は沖田にもないのだが。
「どしたの一君。まるで狛犬みたいだよそんなところでじっとしちゃってさ」
「子どもだなあんたは」
揶揄を含めた自分の言葉はまるごと無かったことにされた挙句、返って来た言葉がそれだ。双眸に剣呑な光を僅かに浮かべ、しかし沖田はそれでも笑みを絶やすことはない。
「斎藤君の方が僕より年下でしょ? 大体君に、子ども扱いされる云われはないんだけど」
今の自分は虫の居所が悪い。お気に入りのおもちゃを取られ、挙句それは他の人間に信頼のこもった眼差しを向ける。そんな逃げ場など、他にあって良いはずもないのに。
普通の人間が受ければそれだけで腰をぬかしそうな眼差しを向けられながら、斎藤は顔色一つ変えずに僅かに首だけを傾げた。そうか、まあそうだろうとは思っていたが。
「自覚はないのだな」
「だから何の」
「まあ、本気で嫌われる前に自覚出来る様祈っている」
「はあ?」
言うだけは言ったとばかりに踵を返す斎藤に、言われっぱなしの形となった沖田が憮然とする。自覚とは一体何のことか。
「ああ……イライラする」
午後の巡察は自分の当番だ。いっそのこと荒事でも起きてくれれば良い。人を斬っている間なら、こんな感情とは無縁なのに。
ただ目の前の。自分の、近藤の邪魔になるものを消す。それだけを考えていれば良い。
「なんや今日はいつもと違はりますなあ」
未だ熱と汗が残る、しとりとした腕が沖田の首に回される。亥の刻限。一時の情を交わした相手が、常とは違う沖田の様子を興味深そうに伺う。客に深く立ち入る事は無言の内に禁じられている事だが、この客の場合は問うたところでどうせ本当のことなど言いやしない。言葉遊びのようなものだ。
「何。物足りなかった?」
それは男として傷つくなあ、と、思ってもいないことを言う。色街の女は艶のある笑みを口元に浮かべ、憎らしい人、と、零す。
胸中の苛立ちをぶつけるような抱き方をしてしまったという自覚はある。けれどそれはそれで違う趣と思えば良いのではないか、と、勝手な主張をして沖田は再度、女の襟足へと手を伸ばした。そしてそのまま細首を引き寄せ、赤い唇を貪ろうとし――やめる。
「沖田はん?」
どうして自分がこのような抱き方をしたのか、の原因を思い出して一気に萎えた。今日初めてこの女を抱いた時にはそれが情欲の原動力にもなったのだが、それを理由にぶつけるのは1度で十分らしい。
「帰るよ」
言って、崩れた身頃を戻し、襟を直す。
男の急変振りに何か粗相をしてしまったのではないか、と、枕を共にした女は思ったがこの客の場合気にするだけ損だということを過去数回の交わりで知っていたから余り深くは考えないことにした。
大体、自分を買っておいて抱かないことすらあるのだ。この沖田という男は。
次の約束も残す事無く部屋を去った男が残していったのは、常よりも眩い笑みだけだった。
女と酒の酔いも冷め、静まり返った屯所へ戻る。
新選組の門限は宵五つと決められているが、見つからなければ問題ない。要するに、その時間に屯所にさえいれば良いのだ。無論大っぴらになれば面倒は避けられないので、こうして一応は足を忍ばせる。
土方あたりは起きているようだが、近藤の為にせいぜい馬車馬のように働いてくれればいいと思っているので大した感慨はない。
気をつけなくとも勝手に消える足音を幸いとばかりに夜の屯所内を移動する。何故か酷く疲れた。風呂は明日にしてさっさと寝てしまうに限る。そう思いながら歩いていたところ。
「あれ、沖田さん?」
闇夜から、遠く響く鈴の音のような声が響いた。
むさくるしい屯所内でこのような声を持つものは限られている。顔を向ければ、そこには風呂から上がったばかりであろう千鶴がわずかばかりの驚きの色と共にこちらを見ていた。
「こんな時間に入ってきたの?」
「あ、はい。いつもこれくらいの時間です」
そうでないと、いつ他の方に見られるかわからないですし、と、最もな理由を口にする。確かに常の千鶴とは違い、高く結い上げられた髪は耳下で一つにまとめられ、風呂の熱により紅潮した頬が艶を増している。
まるで、本当の少女のように。
「屯所内にお風呂があってよかったです。家にいた頃はしょっちゅう町湯へ……って、あの、沖田さん?」
なんだかいつもと感じが違うな、と、様子を伺うべく距離を詰めて顔を覗く。と、濡れたことで増した千鶴自身の香りがふ、っと沖田の鼻腔に届いた。
「――っ!」
「あ、白粉の匂い」
もしかしたらどこかで一戦交えてきたのではないか、と思ったのだがどうやらそれは杞憂だったらしい。沖田から届いたのが血の香りでないことに安堵し、含みなく言ったつもりだったが言われた方が何故か酷く慌てることになった。
「お酒を飲んできただけだよ!」
「? え? あ、そうなんです、か?」
何故沖田が声を荒げるのかが分からずきょとんとすると、沖田の方がしまったという顔をする。あれ、今日の沖田さんどうしたんだろう。こんな風に感情そのままの顔をするなんて、と、千鶴は妙に感心してしまう。
「っていうか何でそんな格好してるの? 他のヤツに見つかったらとかって考えない訳? 馬鹿だね君は」
と、急に始まった罵詈雑言に面食らう。しょっちゅう意地悪を言う沖田ではあるが、大抵は言葉濁しの上手な嫌味で、今のように直接的な悪口を言うことはほとんどない。よほど自分の行いが気に触ったのかと思いつつも、沖田を安心させるべく、この時間なら大丈夫、今まで誰に見つかったこともないし、大体ここならばよほどの事がない限り幹部しか通らないと自信満々に言ったのだが、沖田の方はそんな千鶴に更に苛立ちが募る。
つまり、だから。
幹部だからとか、平の隊員だからとかではなく。
(他の『男』に、そんな格好見せるつもりな訳――?)
苛立ちが頂点に達し、沖田は自らの羽織を脱ぐと千鶴の頭に乱暴に被せる。
「わっ、ぷ」
「唯でさえ大した役にも立ってないんだから、これで風邪引いて更に迷惑かけるとかしないでよね」
「う……っ」
酷い。そりゃ本当のことかもしれないが、何もそこまではっきり言わなくてもいいじゃないか。
恨めしげに見つめれば、半眼の沖田が突き放すように言った。
「いいから着てなよ。返すの明日でいいから」
イライラする。本当に心底イライラするんだ。
なにその無防備な姿。それに、びっくりしたような目。何なの、僕が君に少しでも普通に優しくしたらいけないとでも言うのかな。
どうせ自分に向けるのは怯えた眼差しか、今のように驚いたようなそれ。彼女が満面の、嬉しそうな笑みを向けるのは他の幹部――そう、主に原田とか。
(別に、だからどうっていうわけじゃ)
「じゃあ、お言葉に甘えてお借りします」
小さく聞こえた声に、沖田がめんどくさそうに視線を寄越せば
「ありがとうございます」
花が綻ぶように、笑う千鶴がいて。
(――――っ!)
その頬の赤みは湯上りの為せるわざかそれとも。
いえることはただ一つ。目の前にいるのは、紛れもなく年頃の娘だということ。
千鶴は嬉しそうに、羽織の身頃を交差させた両手で掴んでぺこりと頭を下げる。
華奢な千鶴の肩に自分の羽織は大きさがあわず、肩の線が肘の辺りにまで来ていることが見て取れ、何故か視線のやり場に困ってしまった。
夜中らしく小さな足音で自室に戻る千鶴を見送り、沖田は暫く動けずにいた。だって、まさか、そんな。
『自覚はないのだな』
こんな時に思い出す。あの男の呆れたような声。
沖田にしては非常に珍しくうろたえ、とん、と身近な柱に身を預けて前髪をかき上げた。そしてそのままそれを握りつぶした拳を額に押し当てる。
「だって……ありえないだろ?」
呟きが掠れていることに気付き、更に言葉を失う。
そうして翌日、羽織を返しに来た千鶴がいたのだが、以降数日間、沖田の方が千鶴から逃げるという奇妙な光景が屯所内で見られることとなった。
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Comment:
沖田→千鶴は小中学生レベルが一番萌ゆります。
好きな子いじめちゃえばいいよ!でもって他の男に見せる笑顔に
いらっとすればいいじゃない!!
(湧いててすみません)
20090211up
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