殺すよ、というのは彼の口癖のようなものだった。
けれど、決して冗談という言葉だけで片付けられない響きがそこにはある。理由がなければ殺さないけれど、理由があるのならば誰であろうと斬る、という隠された宣言。
それが彼なりの優しさだと気付いたのはいつ頃だったのだろうか。
彼の目に宿る仄暗い熱と、その言葉の響きだけを見れば半端なものは恐れを抱いて早々に立ち去る。つまり、殺す必要はなくなる。
けれどそれでも立ち向かってくるものは、空気の読めない大馬鹿者かよほどの覚悟を持っている者。
前者であれば想像も出来ないような愚かな行動を起こす危険性があり、後者であれば、面倒な敵になるそれを孕む。
――ならば、出会った瞬間に禍根を断つ。その事には一片の躊躇もない。
その判断材料として彼の「殺すよ」という言葉があるのだと、気付いた時には自分の中で沖田の存在がとても大きくなっている頃だったのかもしれない。
「あんまりうろうろしてると、殺すよ?」
又だ。
内心そう1人ごちて、千鶴はその言葉を発した人物を見ると、予想通り眼差しと口元が相反する感情を形作っていた。
考えの読めない顔、とはこういうことを言うのだろう。以前、松本良順がこの屯所を訪れて隊士全員の健康を診断した際、病の見本市だと評したことがあるが、ならば沖田は人の食えない顔代表として腹黒見本市にでも出られるのではないかと思う。
(腹黒、とは少し違うかな)
腹に一物抱えている? いやいやそれもちょっと違う気がする。
というか、沖田に限らずこの新選組には個性豊かな人物が多すぎて、そういう人物性格見本市とかがあればいい展示対象になるのではないかと思考はどんどん脱線していく。
目の前で、明らかに別のところに心を飛ばしている千鶴を見、沖田はおもしろくなさそうに瞳を細くする。
「あのさ、自分を殺すって言ってる人間を目の前にして他の考え事? 随分余裕だね」
それとも、本当に僕が君を殺すことなんてないと思ってるの?
沖田の言葉に我に返り、千鶴が慌ててごめんなさいと頭を下げた。
最近の沖田は大分調子も戻り、日が沈んでからに限定されるが起き上がって巡察に出られるようにすらなった。その変化がめざしければめざましいほど、喜ばしくも、だが逆に変若水の効力が恐ろしくもあった。
「土方さんの許可は頂いています」
沖田にあわせ、自分の巡察担当を夜にまわしてほしいと千鶴が土方に直談判したのはあの『事件』があって半月後のことだった。
変若水を飲んだとはいえ、死病に蝕まれていた沖田が普通の生活を送れるようにまで一週間ほどの時間を要し、更に羅刹隊の一員として巡察に出るとの希望を受け入れられるまで乗じて三日。その事実を知り、千鶴が土方の部屋に駆け込んだのは昨晩の話だった。
千鶴の言葉を受け、沖田の目が険しさを増した。その変化に心が揺らぎそうになったけれど、引いてなるものかと言葉を続けた。
「私も、今日から夜の巡察にご一緒します」
「邪魔なんだけど」
「じ、邪魔にならないようにします」
「へえ。君が? 僕達の巡察の邪魔にならないって?」
光度の落ちた瞳が千鶴を捕らえる。
「随分偉くなったじゃない。言っておくけど、昼間の巡察と夜の巡察は別物なんだ。人通りは減るけど問題は逆に増える。勿論危険も」
「……わかっています」
「そんな命がけの巡察に君みたいな子どもなんて連れて歩ける訳がない。はっきり言って迷惑だ」
千鶴の瞳に、傷ついた色が走る。そうだ、傷ついて、泣いて立ち去ればいい。
(責任感なんかで一緒にいられても嬉しくなんかない)
きっと千鶴は己の兄の計略で変若水を飲むことになった自分に対し責任を感じているのだろう。そして少しでも何かの力になりたいと、危険も顧みずに自分の傍にいようとする。
泣いてこの場を立ち去るのだとばかり思っていた子どもは、けれどそうせずにじっと立ち尽くしている。傷ついたと確かにその瞳は言っているのに、自分から目を逸らそうとすらしない。
「……ついて、行きます」
震える声で。
「決してご迷惑はおかけしません。自分の身は自分で守りますし、もし私が死にそうになっても見捨ててくださって結構です」
(馬鹿じゃないの?)
本当にこの子どもは馬鹿なんじゃないだろうか。
「君さ、死ぬって意味わかってないんじゃない?」
自分で思ったよりも、静かな声が出てきたことに感動すら覚えながら、沖田は続ける。
「そう簡単に命なんか賭けて良い訳? 父親探すんじゃなかったの。それともそれはもういいとでも言うのかな」
「それは……」
「言ってることに矛盾があると思わない? 君の目的は父親を探すことで、新選組に尽くす事じゃない。変な偽善や同情で、僕達の真似事をされても不快なだけだ」
声音こそ静かだが、沖田が怒っている事は容易に理解できた。拒絶されている――そんなことは、今更言われるまでもなく今までもずっと感じてきたことだ。笑顔を向けてくれたり、時折自分でも理解できないと言いながら優しさを見せてくれることもあったけれど、沖田の心には明確な線と壁があって、自分はその内に立ち入るどころか触れさせてももらえていない。
それなのに兄である薫は、沖田を千鶴が一番親しい人物だと思い込んで一族の確執に巻き込んでしまった。これほどの決定打がありながら、一片でも好かれていると思うほうがおかしい。
それでも。だけど。
「父様を探すことを、諦めたわけじゃありません。探す為にも、夜の巡察にご一緒させて頂くつもりです」
それに。
「私、自分の目的だけを果たせればいいなんて思っていません。皆さんに……沖田さんにこれだけ助けていただいておきながら、何も返せないなんてそんなの嫌です」
「別に助けてるつもりなんてこれっぽっちもないけど、君が勝手にそう思うんだったらせめて大人しくしていてくれないかな。百歩譲って君が騒動に巻き込まれて死ぬことがなくても、僕の邪魔になるようだったら殺すよ?」
先ほどの冗談交じりとも取れた言葉とは違い、本気のそれにそれでも千鶴は瞳を逸らさなかった。
「ころしてくださって、けっこうです」
あなたの邪魔になるというのならば。私を殺すことで、目的を達することが出来るなら。
恐怖はなかった。胸を締めるのは、言葉に出来ない泣きそうな気持ちにも似た感情。
言葉を受けた沖田も同じだった。違うのは、恐怖の変わりのそれまであった怒りの感情がなかっただけ。
ただただ。馬鹿な子だと――哀れむ気持ちにも似たそれが湧く。
どれくらいの時間が経ったのか、やがて沖田がぽつりと零す。君は本当に愚かな子だねと。千鶴は否定も出来ず、自分の中にある言の葉を全て手繰り寄せて探してみても、この場にふさわしい言葉を導き出せずに黙りつくした。
「僕は君を殺せるよ。その必要があれば、迷わない」
「わかって、います」
「わかってないよ」
「わかってるつもりです。沖田さんは私のことなんてどうでもいいって。だから私は着いていきます。どうでもいい存在だったら、放っておけるじゃないですか。殺したって」
――殺したって、困らないでしょう?
見えないところで、沖田の拳が強く握られる。彼女を殺しても困らない。それは確かにそのはずなのに。
「……だから君は、馬鹿だって言うんだよ」
口をついて出た言葉は、結局それだった。
「総司、山南さんが待ってんぞ。千鶴も、来るなら早く来いよ」
羅刹隊は気の荒い連中が多いんだから、と平助が現れたことで会話が打ち切られた。沖田はため息をつき、顔をあげればいつもの笑みを浮かべていた。
「好きにしなよ。その代わり、平助から離れないようにね。幾らどうでもいい君でも、一緒の巡察で勝手に死なれたら目覚めが悪いんだ。平助、この子がどうしても一緒に来るって言ってるからよろしく」
それきり、沖田は浅葱の隊服を翻して行ってしまう。月光に照らされたその色はいつもより淡く、それでいて暗く重い色に見えた。
「千鶴、ほら行くぞ」
オレから離れるなよな、と言外に守ってくれるという意味合いの言葉をくれた平助に笑みと礼を返し、千鶴の視線は沖田の浅葱を追う。
彼の「殺す」と言う言葉は、優しさと覚悟の現れ。けれど今回自分が告げられた言葉は、そのどちらでもなかったように感じたのは気のせいだろうか。
まるで自分にそう言い聞かせているような――そう思いかけて、千鶴は自分の考えを甘いと自嘲した。
こんな自分だから、沖田は馬鹿だと言うのだろう。そしてそれは間違っていない。
自分は馬鹿で愚かな子どもでしかない。そんな身で誰かの、沖田の役に立ちたいなど傲慢でしかない。
自分から見える沖田の姿は後姿でしかなくて。拒絶されていることは、纏う空気でわかるのに。
それでも傍にいたいと願う、この気持ちをなんと呼ぶのだろう。
千鶴の視線を受けながら、そしてそれを拒絶しながらも沖田も思う。
殺せるのに殺させないで欲しいと願う気持ちを、なんと呼ぶのだろう。
その気持ちに名前をつけることを共に恐れ、夜の闇を歩く。
見上げた空には、全てを見透かすような光を投げかける月が浮かんでいた。
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Comment:
これも随分お話が変わってしまいました。
本当は殺すよ、と言いながら千鶴に殺していいですよって言われて初めて
自分の気持ちの矛盾に気付いちゃう沖田さんが書きたかったのに。のに。
(なので出だしが嫌に軽い)
この時点ではまだ沖田さんの中で千鶴への感情が固まりきっていないような
気がしたので、変わってしまいました。仕方ない…仕方ない。
20090228
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