落ちた布を拾い、桶に戻す。半身を起こした千鶴を見ると、いつもの半分程度の覇気しかない。掛け布団に重ねてあった羽織を取ると、寝乱れた胸元を隠すように肩にかけてやり薬を飲むよう告げる。
「苦いかもしれないけど、石田散薬よりは効くと思うよ? 僕が看病役で良かったよね。これが一君だったりしたら、君はまともな薬なんて飲ませてもらえなかったと思うし」
あの人馬鹿だから、本気であれが万能薬だって信じてるんだよね、と、皮肉の欠片を残した口元で楽しそうに笑う。そんなこと言ったら、土方さんにも斎藤さんにも怒られますよ、と、言おうとしてその元気もない自分に千鶴は絶望した。
沖田に助けられるように飲んだ薬は、苦いと言われたが味がわからなかった。ただ酷く喉が渇いていて、与えられた水を全て飲み干す。
「もう一杯いる?」
こくり。
「ほら。零さないでよ?」
同じように飲ませてもらったそれは、先ほどのものよりも冷えていて心地よい。飲み干し、無意識に熱い息を吐いた。
全く言葉を発しない千鶴に沖田は落ち着かない。相当の熱だとはわかるが、そこまで辛いのだろうか。
ただその表情だけがすまなそうに自分を見るから、本当にこの子は馬鹿だなと思う。人の事を気にする前に、自分がどういう状態なのかをもっと考えればいい。
だから少し意地悪をした。千鶴を床に戻す前に、あえて聞いてみる。汗をかいているようだが着替えるかと。
「1人で着替えるのが辛いなら、僕が手伝ってあげてもいいけど」
自分の言葉にゆるゆると潤んだ瞳が持ち上がる。ただでさえ赤い頬が更に赤くなり、こんな時までからかうなとの意思を込めて睨まれると思いきや。
こくり。
頷いて、肩をささえた自分の胸に頭を預けてきたものだから沖田は固まった。
不覚にも身体が熱くなったのは別に千鶴だからという訳ではなく単に条件反射のようなものだ。いや、しかしそんな条件に対するこのような反射は自分の中にあっただろうか。だが無くては困る。でないと、この反応に説明がつかない。
つかなくなったら、困る。
「……自分の言っている言葉の意味、わかってるのかな君は」
最早先ほどの更に半分ほどしか意識の無い千鶴に、苦々しげにため息をつく。なんでこの僕が君なんかに振り回されなきゃならないの。幾ら病人で子どもだからって、僕はそんなに優しくなんかないんだよ。
「ほんっと我侭だよね君って」
一度千鶴を寝かせ、着替えを探す。庭を見れば、千鶴が力尽きた為に取り込まれずにいた洗濯物がすっかり乾いてゆるくはためいている。沖田は幸いとばかりに庭におり、自分の浴衣をひったくると部屋に戻る。やっぱりというかなんと言うか、千鶴の洗濯物は一緒に干されてはいなかったので仕方が無い。
女の着物を上手く脱がせる方法は知っていても、その逆は知らない。しかも相手は完全に脱力した人間で、更に出来るだけ身体を見ずに、などとは神仏の領域ではないか。
「いい? 見るつもりも無いけど興味だってないけど、見えたら見えたで知らないからね」
あとで責任取れなんて言うな、との意思表示を宣言として下し、腰帯を緩める。その状態で襟足を緩め、絞った手ぬぐいで軽く身体を拭いてやる。
「僕があんまり色事に興味なくて良かったよね。じゃなきゃ、幾ら起伏の乏しい身体だって抱いちゃえば同じだし、この状態じゃ文句だって言えないって分かってるでしょ」
幾ら馬鹿な君だって。
「…………」
千鶴からの返事はない。
「ちょっと。少しくらい協力してよ。じゃないと全力で見るよ?」
僅かに反応した腕が、くたくたと持ち上げられる。そのあんまりの頼りなさにため息をつき、ぐい、と強引に持ち上げればふよりとした二の腕の柔らかさに動揺したがそれはきっと何かの間違いだ。
無事着替え終わった後に残されたものは、湿りきっていた千鶴の着物とひどく疲れた自分。
恨めしげに千鶴を見つつ、とりあえずこれを洗濯桶につっこんでおこうと沖田は立ち上がった。
きっと千鶴は覚えてなどいないだろう。だが、状況証拠にせいぜい慌てればいい。でないと、あまりに自分の努力が報われない。
薬も飲ませたしあまつさえ着替えさえも手伝ってやったのだ。もうお役御免でいいだろう。
逃げるように千鶴の部屋を後にして歩いていると、平助と原田に出会う。こちらの気分などお構い無しにへらへらしている様は、八つ当たりだとわかっていても塗り替えてやりたい。
「お、総司! おまえも千鶴の見舞いに行ってたのか?」
「うん、見舞いって言うかまるで子守りだったけどね」
「まあそう言ってやるなよ。どうだ? ひどいのか?」
「高熱も高熱。あれは暫く無理なんじゃない? っていうか本当に馬鹿だよね、ここまで酷くなるまで気付かないなんて」
沖田の言葉に、そこまで酷いなら見舞いも迷惑になるかと二人が考え直す。そしてふと、平助の視線の先に沖田の手にあるものが入った。
「っていうか総司。それ、もしかして千鶴のか?」
「ん? ああ、そうだよ」
「そうだよ……って、え、なに、どういう事?」
「どーいうこともあーいうこともねえだろう平助」
目を丸くし、言葉を失う平助に、納得は行かないまでも状況を把握して理解する原田。だがしかし、眉根が寄ってしまうのは仕方ない。
「病人で仕方ねえってのはわかるが……土方さんに相談して誰か別の女を呼んでもらうとかの方が良かったんじゃねえのか? ここに居るたって、千鶴はれっきとした女なんだからよ」
しかも嫁入り前の。
淡々と苦言を述べた原田に対し、目を丸くして声をあげたのは平助だ。
「って左之さん! 病人だろうが何だろうがそんなの駄目に決まってるだろ!? 総司も総司だよ、何勝手なことやってるのさ! 千鶴が知ったらどう思うと思ってるんだよ!」
「あーもううるさいな!」
沖田の声にびくりと二人が固まる。実際、沖田がこの手の問答で声を荒げるなど非常に珍しい。
驚いて沖田を見れば、見ると同時に千鶴の着物が平助に投げつけられた。顔面でそれを受ける形となった平助は、だがしかし廊下に落とす事無く受け止める。
「意識も半分以上ない状態で僕が誰だかも曖昧な病人にどうしろって? じゃあ汗でぐっしょぐしょになったまま放っておけばよかったの。ああそう。言っとくけど僕はちゃんと彼女に確認して、それでもいいって言ったから仕方なく手伝っただけだよ」
立て板に水とばかりに言葉を並べ立てる沖田に二人が面食らう。なんというか、こんなに違う意味で饒舌な沖田は珍しい。それこそ近藤が絡んだ時以外には。
「嫌になるよね人の親切穿ってみてさ。大体、あんなつるぺたの身体じゃその気になりようもないじゃない」
「つるぺたってそれほどでもないだろっつーか見てんじゃんかよ総司!」
「そうだぞ総司。俺の見立てじゃ豊かとは言わないまでもそれなりに出るとこは出てるだろうが」
「って左之さんそっちかよ! あーもうこれだから汚れた大人は……つか千鶴が可哀想すぎ!」
まるで自分の事のように怒る平助に沖田の腹立ちも最高潮になり、一瞬腰のものに手を伸ばしかけたが思いとどまる。
「だったら寝ずの番でもしてあげたら? 僕はもう行くからそれ洗っといて」
病人の我侭聞きすぎて疲れた、と吐き捨てて二人の脇を通って去る。去りかけて、くるりと戻ると、平助の手から千鶴の着物を奪い取った。
「へ?」
「やっぱりいい。僕がやる」
必要なことは言ったとばかりに今度こそ去っていった沖田の背中を見ながら、二人は言葉を失って互いを見た。
しかしなんというか、心のうちが上手く言葉にならない。
「えっと……どうする? 千鶴んとこ行く?」
「あーまあ、そうだなあ、熱が高いんじゃ冷やしてやったほうがいいんだろうが……」
俺たちが行く必要はない気がする。
どうせあの無意識な天邪鬼がこのあとも看病をする気がして。そしてその予感は恐らく正しいのだ。
「総司もああ見えて面倒見いいからな。特に子どもと病人には」
「でも千鶴は女の子なんだぜ? 総司のヤツ、そこんとこ良くわかってない気がすんだよなあ」
「アイツが分かってねえのは別のトコだろ」
原田の含みのある言い方に平助が訝しげに目を細めたが、原田は人の食えない笑みを浮かべたまま平助の頭にぽん、と手のひらを置いた。
「ま、おまえも大人になりゃわかるって」
「ちょっと! ガキ扱いすんなよな!」
そしてやはり原田の読みは当たり、夜も更けてから再び沖田が千鶴の部屋を訪れる。そしてそのまま夜が明けるまで、額の布をかえ、水が温くなれば汲み直しに行き、用がなくても傍で千鶴を見守り続けた。
そしてふと、どうしてもわからずに口にしてしまう。
「どうして僕は、こんなにも君の世話をしてあげるんだろうね」
放っておけばいいと、思う自分もいるのに。
こんな子どもが死んでしまおうと、自分にも近藤にも、影響などこれっぽっちもないとわかっているのに。
幾分落ち着いた呼吸がわかって、安堵してしまう自分がわからない。
「ねえ、教えてよ」
知りたい。けれど、知りたくなどない。
それはきっと酷く面倒な感情を表す言葉で、だから聞きたくなんかない。
安心したせいか、不意に眠気が襲ってくる。あくびを完全にかみ殺すことに失敗し、まあいいかと睡魔に身をゆだねた。
数刻の後、先に目が覚めたのはどちらだったか。
数秒後に遮られたが、確実にあがった悲鳴によりそれを知るのは容易な事となった。
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Comment:
もちょっとコミカルになるはずだったのですが、沖田さんが勝手に暴走しました。
なんであなたそこで…そんな行動するの……(呆然)。
20090217up
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