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●泡沫の夢 |
「――千鶴?」
潜められた声が私を呼ぶ。
意識を浮上させ、すっかり暗くなった部屋にうっすらと浮かぶ人の顔を見る。今しがた私の名前を呼んだ一さんの顔を。
「転寝も良いが風邪をひく。休むなら寝所で休め」
言いながらそっと乱れた髪を整えてくれる。どうやら、一さんを待っている間にうとうとしてしまったらしい。働いている一さんを他所に寝てしまうなんてなんと言う失態だろう。
「ごめんなさい、ちゃんとお迎えできなくて」
「いや、俺の方こそ遅くなって悪かった。待たずとも休んでいて良いと言っただろう?」
申し訳なくて謝ると、一さんは優しい笑みを浮かべながら逆に申し訳なさそうな声でそう言ってくれる。転寝してしまった立場ではなんとも説得力にかけるけれど、働いてきている一さんとちゃんと起きて迎えたいから、首を左右に振った。そして、きちんと背筋を整えてから「お帰りなさい」と迎えなおす。そんな私を、一さんは苦笑しながら見て「ただいま」と答えてくれた。
すっかり着慣れた洋服の釦を緩め、一さんが息をつく。その合間に私はお茶をいれ、彼の前に置いた。
「ふふ」
その姿を見て、それから先ほどの夢を思いだし、私は思わず笑みを零してしまった。一さんは口元に運びかけた湯飲みを止め、何事かと私を見る。
「ごめんなさい……ちょっと、昔の事を思い出したんです」
「昔?」
「はい。昔は一さんも釦に困っていたなあとか」
言うと、一さんの頬に朱が差す。恐らく、同じことを思い出したのだろう。
「慣れてなかったのだから……仕方がないだろう」
言いながらお茶を飲む。私はこみ上げる笑いを堪えきれず、再びくすくすと笑った。
「夢を、みていました」
「夢?」
「ええ。隊の皆さんの夢を」
今は江戸にいるという永倉さんや異国に渡ったという原田さんはともかく、しっかりとその終わりを聞いた近藤さんや土方さん、平助くん。それに、病に倒れたと聞いた沖田さんまでが一同に会し、皆で笑いあう夢。
あの戦いを過去のものとして懐かしみながら、今はどうだ、これからはこうだと、きらきらの笑顔で語り合うそんな夢を。
夢で見た皆さんの表情を思い出し、自然と私の頬が緩む。記憶どおりの声。記憶どおりの笑顔。もし今ここに現れても不思議に思わないほど、生命力と先に進む力に溢れていた人たち。
一さんは何も言わずにただ、私の話を聞いていてくれる。昔の話をすることに、彼がどのような反応をするかが気になって伺えば、ただ穏やかな、けれどかすかに切なげな色がその瞳にはあった。
私が自分の反応を気にしたことに気付いたのだろう。一さんが手を伸ばして私の肩を引き寄せる。その動きのままにそっと身体を彼に預け、そのぬくもりを感じた。
「幸せな、夢だったか」
「はい」
「では、起こさなかったほうがよかったな……すまない」
「いいえ」
一さんの腕の中で顔をあげ、下から一さんの顔を仰ぎ見る。そして確かめる。彼が確かに今、ここにいることを。
「一さんが、いなかったんです」
「……」
「どうしてかわからないんですけど、一さんがいなくて、だから」
――起こしてくださってありがとうございました。
告げると同時に、一層強く抱きしめられた。
幸せな夢だった。もう会えないと思っていた皆に会えた夢。
それでも、たったのひと時でも一さんに会えない時間が酷く寂しい。そんな自分の気持ちに驚きながら、それでもどこかで納得している自分もいる。
「……皆は元気だったか?」
「はい、それはもう。相変わらず、という言葉がぴったりな感じでした」
「そうか」
「はい」
「……そうか」
それきり、一さんは黙ってしまった。きっと、色々思い出しているのだと思う。
志の為なら仲間も感情も斬って捨てると言っていた一さんだけれど、それがそのまま彼の心だとは思わない。志と心が似て非なるものだということは良く知っていたから。
心から志は生まれるけれど、志の為にその心を殺さなければならないことがあるということを、あの時間で嫌というほど目の当たりにしたから。
抱きしめられていた身体を起こし、ちょっとはしたないかな、とは思ったけれど腕を伸ばして今度は私が一さんを抱きしめた。一さんは最初少し驚いたようだったけれど、その内答えるように、私の背にその腕を回してきた。
「……こうしていると、あの頃のようだな」
「え?」
「おまえに、吸血の衝動を抑えてもらっていた頃に」
言われて思い出す。差し出そうとした血を拒絶し、ただ苦しみに耐えていたあの夜を。
苦しむ彼を前に何も出来なくて、ただその身体を抱きしめることしか出来ず、己の無力を痛感した夜。抱きしめた腕が痺れていたことにも、背にあざが残るほど抱きしめられていたことにも気付かなかった時間。
けれど今の私たちは、こんなにも穏やかだ。
「――って、え、はじ……っ」
不意に耳たぶに唇を寄せられ、盛大に慌てると背中に回された腕が暴れることを許さない。
その行動に、まさか収まっていた吸血衝動が再び襲ってきたのかと身体を固くすると、半分以上吐息になったささやきで名前を呼ばれ、決してそうではないことを私に教えてくれる。
「はじめ、さん……?」
落ち着いて彼の行動を分析すると、ただただ私の耳たぶに舌を這わせており、時折甘噛みするように軽く歯を立てている。
その行為を意識した瞬間、私の全身が火を噴いたように熱くなった。
「はじ、あの、一さん……っ」
「初めておまえに触れたのは、ここだったな」
何を言い出すのかと絶句して言葉の続きを待てば、顔を上げた一さんが真っ赤になった私を見て頬を緩め、細めた眼差しを完全に閉じて、私に接吻をする。
「次が、ここか」
「ん……っ」
薄く、柔らかな唇を受け止めて息が零れた。慣れてきた、とは言っても気恥ずかしさはいつまでも付きまとう。今のように、突然の事だと余計に。
唇が離れ、互いに睫の先が触れそうなほどの至近距離で見つめ合う。更に少し距離を置き、再び唇を重ねた。
「おまえを1人にはしない」
「……い」
「例え、この身が滅びても、だ」
「……はい」
それが気休めでしかないことは分かっていた。どんなに気持ちがあっても、魂がそこにあっても、伝わる体温がない事に涙する日が必ず来るだろう。
それでも今は、少しでもこの幸せな時間が長く続くことを祈り、その先に続くものがあると信じ続けたい。三度落とされた口付を受けながら、一さんを抱きしめる腕に力を込めた。
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Comment:
この幸せが、いつまでも続きますように。
20090207up
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