** Happy C×2 **
 ●宵闇光る

「雪村です。お茶をお持ちしました」
  常のように一声かけ、障子越しの様子を伺う。短く応、の返事が返るのを確認してから、千鶴は音を立てぬよう静かに障子を横に滑らせた。
  いつもならば文机に向かって書き物をしていることが多い土方が、今日に限って刀の手入れをしていた。すらりとあらわにされた刀身が、呼吸を奪うほど不可思議な支配力を持ってそこにある。千鶴は思わず入り口で固まってしまい、土方から不機嫌そうに呼ばれた自分の名前で我に返った。
  すでに古い油をぬぐった後なのか、くしゃくしゃになった拭い紙が散らばっている。打ち粉を刀身に叩く様は真剣そのもので、そのような時に茶とはいえ水分を運んできてしまった自分の間の悪さに、千鶴は少しばかり落ち込んだ。
「あの、お茶、こちらに置いておきますね」
「ああ」
  千鶴の存在など唯でさえ大したものではないのだろうが、集中する作業だと殊更にそうなのだろう。土方はちらりとも視線を寄越すことなく愛刀と向き合っている。
  邪魔になら無いようにと静かに出て行こうとした千鶴だが、土方の刀が発する気がそれを許さない。このまま去れるものなら去ってみろと言わんばかりの神々しさで青白い光を放つ。
  こんなにも静かに在るそれを見るのは初めてだった。それも当然だ、土方がこの刀を抜くときは誰かの命を絶つときなのだから。
  人殺しの道具と言ってしまえばそうでしかないと言うのに、何故刀というものはこんなにも神秘性に溢れているのだろう。それともそう感じるのは、持っている人間が土方で、刀がかの有名な和泉守兼定だからだろうか。
「……刀の手入れくらい、おまえだってしてるだろう」
  何をそんなに珍しそうに見ているのかと、土方の手が止まり眉間に皺がよる。不躾に見つめていたことを指摘され、謝罪しつつも今度こそ席を外そうと慌てた千鶴に、「かまわねえよ」と土方が言った。
  打ち粉をはたいた刀身を再び紙で拭い、再度打ち粉を叩く。そうして古い油を完全に取り去った後に、新しい油を塗るのだ。
「刃こぼれ、してますね」
「仕方ねえな。散々人を斬ってんだ。刃こぼれの一つや二つ、あって当然だろう」
  小さな刃こぼれならば自ら砥ぎ石を使い応急処置が出来る。が、大きなものはその限りではない。
  時間があるならば店に持ち込んで修理を頼むが、そんなことをしようものなら短くて十日、長ければ一月もの間この愛刀は自分の手から離れることになる。懇意の店である以上、それなりの代わりを用意してくれることはわかっているが、土方は今、これ以外の刀を振るおうとは思わなかった。
  はばきと目釘を外され、刀身だけになった兼定にばかり目を奪われていたが、外されて綺麗に並べられた部位――柄に千鶴は目を止める。
  綺麗に巻かれていたであろう黒い柄糸が、赤黒く汚れて磨り減っていた。握られていない柄頭に近づけば近づくほどもとの色を保っており、鍔に近づけば近づくほど色があせて別の色が乗る。
  刀身の刃こぼれにも戦いの凄烈さを見せ付けられるが、土方が力を込めて握り締めている柄にもこうしてそれは現れている。人を斬る場所と、それを命じる場所。刀は腕の延長だと言ったのは誰だったのか。
「総司のヤツなんかは器用だからな。人を斬る時にも肉なら肉、筋なら筋って見極めやがるからそうそう刃こぼれもしねえんだが」
  生き死にの局面で、んな判断なんか出来るかよ、と、色々な理由で神経を逆撫でする一番組組長の顔でも思い出したのか、実に苦い声でそう吐き出した。
  笑っていい話題なのかどうか判断が付きかねて、千鶴は苦笑に近いものを唇の端にだけそっと乗せる。
「違うといえば、持ち方も違いますよね」
「あ?」
「稽古場での持ち方と、実戦での皆さんの持ち方」
  日頃から気になっていたことを口に乗せると、土方の動きが止まった。何か不興を買うようなことを言ってしまったかと一瞬身構えたが、探るように見ていた土方の眼差しが、ふと緩んだことからそうではないということが分かり安心する。
「おまえ……良く見てんなあ」
  稽古はともかく、実戦など出来ることなら目を背けたい部類に入るだろうにと、事実土方は感心していた。そんな違いが分かるくらいには、この子供は自分たちの戦いを見ていたのかとどこか嬉しささえ覚えてしまう。
  言われた千鶴は、なんだか馬鹿にされたようで悔しい。が、実際馬鹿にされる程度の腕でしかない自分に反論など許されるはずもなく、けれど戦えずとも心は共に在るという気持ちでいることだけは分かって欲しくて言葉を重ねた。
「そりゃあ、見ることしか出来ないですけど」
「ったりめえだ馬鹿。稽古と実戦で握り方も変えねえヤツが、戦場に出たところですぐに死ぬのがオチだ」
「うう……」
  とは言え、それは土方にも当てはまる。総司や平助などは、事実稽古と実戦とで握り方を変えているが、自分は変えていない。否、変えられない。実戦で腕をあげてきたせいか、逆にその握りのままで稽古に臨んでしまうのだ。
  理心流の道場にいた頃はそれでも意識的に握りを変えていたが、新選組を結成し、実戦有りきの強さをより求めるようになってからというものの、いわゆる剣術の握りというものはしなくなった。必要ない、と口では言いつつも、器用にそのあたりを使い分けている幹部を見ると微妙な劣等感が生まれるのも事実だが、そんなものを土方は認めはしなかった。
「だって、そう習ったんですもん」
「まあ、護身術ならそれでもいいかもしらねえがな。竹刀と同じ握りなんざしたら、一発で刀が折れててめえが死ぬぞ」
  軽い口調に流されそうになるが、土方の口にした「死」という言葉はただ事実としてそこにあった。淡々とした口調だからこそ、それが示す重みとつりあわずに薄ら寒いものを覚える。
「てこの原理だなんだ言うがな、それで通じるのは竹刀だけだ」
「え?」
「まあ、わからなきゃわからねえでいい。人を斬るためのコツなんざ、おまえが覚えることでもねえだろう」
  土方は苦笑すると、この話は終いだとばかりに再び刀に向き直った。
  竹刀の握り方が実戦では通用しないことなど、刀を握ったことのある人間ならばすぐに分かる。刀は竹刀とは違い、握り締める部分――柄の中で刀身が浮いている。それを支えているのは目釘であり、つまり刀身にかかる負荷は全て目釘が負うのだ。
  振り下ろす力と真逆の力を柄頭で与えようものなら、間に挟まれた目釘に負荷が集中する。力が強ければ強いほどその負荷は高まり、人を斬った瞬間にはじけ飛んでしまう。つまり、その場において使い物にならなくなる。それが指し示すものはつまり、「死」だ。
  それが分からないということは、千鶴はまだ「汚れてはいない」ということだ。元々女である千鶴が、無縁でいられるならそうであったほうがいい。知る必要など、ないと土方は思う。
  だが千鶴にしてみれば、人斬りを手段とする新選組においてそう告げられたことは、まるで「部外者だ」と改めて通告されたように感じた。事実部外者だということは知っている。わかっている。そして、それを学んだところでその通り自分が人を斬れるわけではないということも。
  自分が男だったら良かったと思ったことが、何回もある。
  男であれば、剣を握り共に戦えた。
  男であれば、鬼に狙われることもない。
  力もなく、迷惑ばかりをかけて、けれど彼らが好きで離れたくなんかなくて、そんな浅ましい自分が嫌いだと隠れて泣いた夜が幾たびもあった。
  一番悔しいのは、無力な自分。
  大切な人どころか自分の身一つ守れない、弱い子供。
  自分以外の何ものかになりたくて、なれなくて。ならば、今の自分でもできることをしようと。そう、思ったから。
「教えてください」
  生意気だといわれても。
  そう思われるのを恐れて何もせず、局面で後悔をするくらいならば、たとえ日々疎まれても、死する際に後悔をしない自分でいたい。
  両の手を膝の上で握り締め、まっすぐに土方を見つめる。胡乱げに返された視線に身が竦みそうになったけれど、この程度で竦むようなら到底戦場になど立てはしない。皆の――土方の力になれなどしない。
「稽古と実戦で、皆さんの握りがどこか違うことまでは分かりました。けれど、どの握りが実戦に適しているのかまではわかりません。ですから」
「必要ねえと、言わなかったか」
  低い声が怒気を孕んでいる。固く握り締めていた手を更に強く握り締め、千鶴は言い募る。
「言いました。けれど、自分が無知なせいで皆さんにご迷惑をおかけしたくはありません。それに、自分の身を守るために必要なことでもあると思います」
  人を殺すためではなく、わが身を守るためだとその身を盾に取られては土方も否を問えない。普段はおどおどとしているくせに、ここぞという時にだけ発揮されるこれは一体なんだというのか。
  大体、刀の手入れをしてる最中にこうもべらべら喋っていること自体異例だ。どうもこいつを相手にすると調子が狂うな、と今更の感想を覚えつつも、舌打ちと共に「磨き終わるまで待て」と吐き捨てるように告げた。
  千鶴はただ黙って土方が刀の手入れを終えるのを待っている。心のどこかで前言の撤回をしてはくれないかと思っていた土方は、結果終わってもそこにいる千鶴を見て更に不機嫌になる。鞘に剣を収め、脇においてからこれ見よがしに深々とため息をつけばおびえた様に肩をすくめるくせに、それ以上は引かない。
「っとに、仕方ねえなあ」
  自らの気持ちを吹っ切るように一際大きな声をあげ、立ち上がる。そして千鶴にもとっとと立つように言い、更に庭に出るよう促した。
  すでに暮れ始めた空が、明日の天気を約束するような綺麗な色に染まっている。二人並んで庭の中央付近に立つと、土方は千鶴に小太刀を構えるように言う。
  千鶴は抜き放った小太刀を、そう習ったように構えた。右手は鍔に沿うように、左手は大きく離れて柄頭の傍に。こうすることで、振り下ろした際にてこの原理が働き、振り下ろす力が倍増されるのだ。
「俺たちは戦場で、どう握っているように見える」
「ええと……もっと、上の方を握っているように見えます」
「そうだ」
  言い、土方は千鶴の左手を取ると右手に添える程度の位置に移動させる。土方の手は大きく、ともすればその片方の手の平だけで千鶴の両手を包めてしまうのではないかと思うほど。
  取られた左手の甲に、土方の竹刀だこがごつごつと当たる。先ほど見た、刃こぼれと柄糸の磨耗に加えられるもう一つの証。きっと土方の身体をみれば、もっと沢山の証が刻まれているに違いなくて。
「指一本分くらいあけるのが丁度いい。このあたりはてめえの好み次第だが、要するに目釘よりも下に左手を添えるのだけは避けろ」
  そうしないと、力の相克が目釘に集中し破損する。最悪、そこから刀身に亀裂が入り、刃切れを起こすこともあるのだ。
  そこまで言われてようやく、千鶴は何故この持ち方をするのかを理解した。
「納得、しました」
  しかし、実際にすぐ握り方を直せと言われたところで簡単な話ではない。咄嗟の場合など特にそうだろう。
  頭では理解していても、身体は慣れた動きを選ぶ。それが人間の本能だ。これは暫く特訓をするしかないと千鶴が一人誓ったところで、先ほどのごつごつした手の平が今度は自分の頭にのせられた。
「知識として覚えておけ。おまえがこんな握り方しなきゃならねえような状況なんざ、作りゃしねえよ」
  乗せられた手のひらが二度ほど優しく跳ねて持ち主のもとへと帰っていく。夕暮れに宵闇が混ざる空の色そのままの眼差しが優しく自分を見つめているのは、自分が庇護の対象だから。それ以上でも、以下でもない。
  守る対象なのだと思ってもらえることは単純に嬉しい。身の安全がどうこうではなく、そう思ってもらえるという事実が。
(だけどもう、それだけじゃ嫌なんです)
  守られるだけじゃなくて。隠れているだけじゃなくて。
  たとえこの身を盾にしてでも、守りたいと思うものが、ひとが出来てしまったから。
  刃こぼれの一つを減らすことが出来るならばいい。柄糸がわずかでも擦り切れることを遅らせることが出来るなら、いい。
  厳しくて優しいこのひとが、どうか心を殺すことがないよう自分にできることは何なのだろう。
  言葉が見つからずに、千鶴は小太刀を鞘に納めた。かしん、と響いた音が夕暮れの澄んだ空気に悲しく響き、自分の心を泡立たせる。
  茶を淹れなおすという口実で土方と別れ、じんじんと熱を持つ左手の甲を右の手のひらで押さえながら、自分に触れた無骨な手のひらの優しさを思い、千鶴は一人唇を噛んだ。


 

 

 

Fin
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Comment:

土方さんWeb企画「藍紫」さんに寄稿させていただいたものです。
土方さんの握り方の癖を知ってから、なんでかなと色々調べた結果、こうなんじゃなかろうかという
自分なりの解釈です。

提出したものを若干修正しました。


20091110up



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