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●揺れる |
ぱしん、と、竹を割ったような音が辺り一面に響き渡った。
次いで軽い衝撃音の後、からからと地面を棒のようなものが転がる音がし、やがて訪れた静寂に残るは荒い呼吸音のみ。
沖田は足元に転がってきた竹刀を、膝も曲げずに拾い上げると持ち主には返さずに己の肩にその身を預けさせる。辺りに響く呼吸音は沖田のものではなく、飛ばされた竹刀の持ち主のものであった。
「休憩しようか」
「……っ、は、はぁ、い、いえ。まだ、大丈夫で」
「っていう言葉は、それらしい顔をして言ってくれないかな」
「す、すみません、でも、本当にだっ、大丈夫、です」
「いいよ。僕も疲れたし、少し休もう」
半刻ほど通しで行われた稽古は、教え手が沖田であるということを考えれば大の大人でも裸足で逃げたくなる類のものであろう。
事実、相手が千鶴という「少女」だということで、出来もしない手加減を加えて行った稽古ですら、見事に目の前の習い手は疲労困憊の四文字を体現している。
自分が指導に向いていないという自覚はある。が、同時に生死が関わる剣の稽古で何故手心を加えねばならないのかという反発もあり。
けれどせめて相手が千鶴であるからには、いつも以上に気をつけようとした努力すら、気付けば無駄に終わっていたことは今だ肩で息をしている少女を見れば嫌でも分かる。それこそが己の指導者としての力不足を指摘されているようで、沖田はむっつりを唇を尖らせた。
「す、すみませ……っ、はあ、わた、私の力が及ばない、ばっか、りに」
「無理に喋らなくていいよ。いいからほら、座ったら?」
自分の不機嫌の理由を、己のせいだと勘違いした千鶴の謝罪を否定する気にもなれずに、一足先に軒先へと腰をおろす。千鶴とは真逆に息一つ乱さぬ沖田は、後ろ手に体重を預けると真っ青な空を仰ぎ見た。
休め、と言ったはずの千鶴は何故か、ぱたぱたと小走りにどこかへかけていく。何をやっているのかと追いかける気にもなれずそのままで待てば、やがて去った時と同じように、千鶴が掛け戻って来た。
「これ、使ってください」
差し出されるままに手を出すと、汲み上げた裏の井戸水で絞ったのだろうか、冷たい手拭いが渡される。
拭くほどの汗も熱も覚えがないが、ありがとうと受け取れば、稽古の熱が残る頬が微笑んだ。
「あ、と、お茶でもいれて――」
「いいから落ち着きなよ。君さ、休憩の意味わかってる?」
「でも、稽古をつけて頂いたのに」
「だったら休ませてくれないかな。周りでばたばたされたら、落ち着くにも落ち着けないんだけど」
更に動こうとする千鶴を制し、濡れた手拭いで襟足をなぞる。夏の気配はとうに過ぎ、冬へと繋がる秋の気配が濃厚に辺りに満ちている。この分ならば、稽古で覚えた熱もあっという間に冷えてしまうに違いない。
一緒に生活するようになってからというもの、千鶴が体調を崩して寝込んだ記憶はないが、これからもそうだという保障はない。
「ぶっ!」
自分が襟足を拭いた面とは逆の面を千鶴の顔に押し付け、ぐしぐしと汗を拭ってやる。いつもは千鶴の丸い額を優しく覆っている前髪も、今では玉の汗で張り付くばかりだ。
「おっ、おきたさ、ちょっ、」
「煩いな。こっちは親切でやってあげてるんだから、大人しくしててよ」
千鶴にしてみれば、突然に布を押し付けられ顔面をこすられては、呼吸すらままならない。そもそも、人様に汗を拭ってもらうなどという羞恥も働き、あわあわと両の手を動かすがそうさせる相手が意に介する雰囲気はなかった。
やがて満足した沖田が千鶴を解放し、役目は終わりとばかりに手拭いを脇へと放り投げる。千鶴はといえば、稽古のせいか強引に拭かれたせいか、はたまた別の理由からか、真っ赤な顔を改めて己の手拭いで半分ほど覆っていた。
「沖田さんは、全然お疲れじゃないんですね」
「まあね。これくらいで疲れるようじゃ、新選組の幹部なんてやっていられない」
「皆さん、お強いだけじゃなくて体力もあるんですね……」
「その感想は些か失礼じゃない? そもそも自分と比較するほうが間違ってるでしょ、君の場合」
普段の朝稽古の終わりに、疲れただの死にそうだなどと口々に戻ってくる幹部らの言葉を、千鶴が字面どおりに取るのが間違っているのだろう。特にそれを口にするのは永倉や平助、加えて目の前の沖田が主だが、確かにそうはいいつつも彼らの取る食事の量にも速度にも疲れは微塵も見えない。
今の自分の疲労具合と比較し、そうすることが間違いだとわかりつつも千鶴は落ち込まずにはいられない。技術も、体力も、自分が彼らに敵うはずもなく、又、並べるはずもない。せめて足手まといにはならぬようにと、こうして時間をみては稽古をつけてもらうこともあるが、技術よりもまず体力をつける方が先のような気もする。だが、そうしているうちにもなけなしの腕は落ちていく。
焦燥ばかりが募る自分を見抜いてか、原田などは「おまえはただ守られてりゃいいんだよ」などと声をかけてくれ、土方などはいつもの倍、眉間に皺を寄せて「新選組をなめるんじゃねえ」と言葉を落とす。
だが、守り手の言葉に、受け手が甘えてはいけない、と思う。
彼らの厚意に、何も返せない自分が甘えてはいけないと。思うから。
落ち込みそうになる思考を無理やりに奮い立たせ、言葉無く空を見上げたままの沖田を見やる。土方と違い、万人が見てそう思う端整な顔立ちではないが、人を惹きつける何かがあると千鶴は思う。柔らかそうな髪の毛が縁取る頬の線も、庭の木々を移してゆれる眼差しも、こわいようでとても優しい。かと思えばほんの一瞬でくるりと纏う雰囲気全てが変わる。
笑みを浮かべながら、ころすよと宣言できるひと。
迷惑だといいながら、風邪をひかぬよう気遣ってくれるひと。
相反する表情と言葉。そして彼の取る行動。わからないひとだと思う。同時に、何故かわかりやすいひとだとも、思って。
湧き上がる感情ですら、相反するもの。怖いから逃げたい。なのに、気になって仕方がない。その姿が見えないことも多く、それを当たり前だと思いつつもつい探さずにいられない。この気持ちは一体、なんだというのだろうか。
「何? 人の顔じろじろ見ちゃって」
「――っ、す、すみませんっ!!」
「もしかして僕の事好きになっちゃったとか? いいよ、千鶴ちゃんなら」
「ちっがいます! その、えっと、たっ、隊士の中でっていいますか、幹部の中だとどなたが一番強いのかなって考えていたんですっ」
「ふーん。つまんないなあ」
つまるつまらないで色恋を持ちださないで欲しい。千鶴は再び火照り始めた頬を、すっかり温くなった手拭いで押さえつつじとりと沖田をねめつける。すると沖田は心外とばかりに軽く目を見開くと、夕暮れ時の猫がそうするように、くるりと瞳を丸くして見せた。
「幹部で、ね。そこに近藤さんと土方さんは入るの?」
「え? あ、えーと……いえ、組長格の皆さんで、だとどうですか?」
場を誤魔化すために紡いだ言葉に、存外沖田は乗ってきた。続きを考えていた訳ではない千鶴は一瞬詰まりながらも、例えば、と一人の幹部の名をあげる。
千鶴があげたその名は、自分が新選組に身を置くようになってからというもの、一番世話を見てくれる男の名であった。
彼の名を出した事に深い意味はなく、ただ一番慣れ親しんだ名であることと、決して気があうという訳でもなさそうなのに、目の前の男と共に行動する様を見る機会が多いような気がしたからだ。
沖田の方も特段それを気にする訳でもなく、体重を預けていた腕の一方を持ち上げると、己の顎にその指先を絡ませる。千鶴は決して沖田を基準に比較を持ちかけた訳ではなかったが、暫しの逡巡の後、沖田が口にした言葉は己とそうしたものだった。
「そうだね。稽古で言うなら、多分7・3か6・4くらいで僕が勝つんじゃないかな」
って言うか、隊の数字毎に一応腕が立つ順なんだけど知らないの? と問われたところで、千鶴はふるりと首を横に振るしかない。その理屈で行けば、永倉の方が斎藤よりも上ということになる。普段のあの、朗らかで小さきを気にしない永倉しか知らぬ千鶴にとってみれば、決して弱いとは思っていないながらも意外な思いを覚えずにはいられない。
「新八さんは強いよ? 見ての通り筋肉馬鹿だし。そのくせ、力技ばかりかと思えば細かな変化で隙を突いてくるからタチが悪いったらないよ。筋肉馬鹿っていうより、左之さんの言うとおり剣術馬鹿だね」
「……は、はあ」
無論敵になるならば容赦なく斬るが、出来れば敵に回したくないと沖田はくすくすと笑う。
そういう意味では、新選組で組長の座に座っているものは全て敵に回したら厄介だとの認識はある。が、それはあくまでも冷静な分析によるもので、敵になるならなるで負けるつもりはない。その実力も己にあると、うぬぼれでは無く沖田はわかっていた。
「あの……」
「ん?」
「先ほど、稽古でと仰いましたけど、実戦では違うということでしょうか」
おずおずと、けれどしっかりとそう問うてきた少女に沖田はおもしろそうな光を眼差しに浮かべてみやる。さらりと混ぜた真実を、逃すことなく捕まえる様は嫌いではない。賢し過ぎるのも鬱陶しいが、これくらい気付かぬような阿呆では、自分が殺すまでもなく自ら死地に飛び込み勝手に果てるだろう。
「実戦には規則や礼儀なんてものはないからね。開始の合図なんてものもない」
「ええと……」
「一君の得意技、知ってるでしょう」
千鶴はこくりと頷く。知っているもなにも、自らの身体をもってそれを体験したのだ。
直前で斎藤が刀を止めたとは言え、確かにあの瞬間自分の首は飛んでいた。こうして思い出すだけで――背筋に冷たいものがひやりと流れていく。
「抜刀術はね、必殺でもある代わりに振りが大きいから次撃に続きにくいという弱点があるけど、そもそもその一撃を彼なら外さない。意味、分かるよね?」
うなずいた小さな頭を見て、満足げに沖田が笑う。
「一君の初太刀を避わせれば多分僕の勝ち。けれどそれは至難の業。そういうことだよ」
「でも、沖田さんにも得意な技がおありですよね?」
「突きのことを言ってる? 駄目だよあれは。実戦向きじゃない」
「え?」
「一対一の戦いなら良いって意味なら、一君の居合いと同じだろうね。つまり――」
つ、と、沖田の顎に絡んでいた指がそこから離れ、人差し指が千鶴のみぞおちに添えられる。
く、と僅かに込められた力で千鶴のそこが沈む。大した力ではないはずなのに、腑のものを吐き出したくなるほどの何かを覚えるのは、何故だろうか。
「斬る、んじゃなくて突くからさ。刀は当然肉に食い込む。食い込んだ刀は、なかなか抜けないものだよ?」
「……あ」
「そういう意味では、抜刀術よりも死に剣だろうね。ここぞという時にしか、使える技じゃないんだ。ただ、仕込みを着てる相手には有効だからさ、使うことも多いけど」
「仕込み?」
「鎖帷子だよ。大捕り物の時は、僕達だって着る」
重いから嫌いなんだけどね。そう、呟きながら沖田は千鶴のみぞおちから指を外す。同時に硬い息が千鶴の口をついて出、は、と音を立てた。
沖田の指が離れてからも、まるで何かを差し込まれたかのような違和感がぞくぞくと内腑を支配する。斎藤に刀を突きつけられた時のような、此岸の淵に立たされたかのような心地。
「一度くらい真剣にやりあってみたいけど、中々そんな機会もないから」
つまらないなあ、と、呟いたそれが指すのは、決して仕合での真剣勝負ではないだろう。
千鶴は知らず眉根をひそめ、おずおずと、けれどはっきりと言葉を紡ぐ。
「どうして、ですか?」
「ん?」
「どうして、そんなふうに思うんですか?」
予想もしなかった問いに、沖田が数度瞬く。そんな、が指す言葉はなんだろうと考えて、ああ、と呟いた。
「簡単だよ。それが僕の存在する意味だから」
「沖田さんの、存在する意味?」
「うん。僕は近藤さんの刀だから。刀は、人を斬れないと意味がない」
誰よりも強く在らねば意味がないのだと、微笑を浮かべた唇が紡ぐ。
「それを証明する為にも、腕を上げる為にも、誰かと斬りあうのが一番早い。相手が、強いと認めた人間なら尚更だよ」
「でも……っ! そんなことしていたら怪我だってしますし、もしかしたら命だって――」
「君はおかしなことを言うね。斬りあうんだからそんなの当然じゃない」
「当然、って」
気色ばむ千鶴に、今度は沖田が眉をひそめる。この子供は、一体何を言っているのだろうか。
厳しい視線を受け、千鶴が己のそれを膝に重ねておいた両の手へと移す。もどかしげに重ねたその指を動かし、きゅ、と力を込めると再びに沖田に視線を向けた。
「近藤さんの為に、刀であろうとする沖田さんが、じゃなくて……」
なんだろう。この、もどかしさにも似た複雑な感情は。
斬りあって欲しくない? 違う、それは彼らの存在意義を否定することにもなりかねない。個人的な好き嫌いは別として、彼らの「仕事」としてそれは認めているはず。
そうじゃなくて。
(そうじゃ、なくて)
ふるりと秋風が吹いた。汗で湿っていた千鶴の前髪が、わずかに元の姿を取り戻して揺れる。
そうしてことで覗いた丸い額が、やけに沖田の視界に焼きついた。
「上手く言えないです。すみません」
「わからないな。何で謝るの」
「すみません」
「だからさ……ああもういいや、面倒くさい」
その言葉が、この時間が休憩ではなくなったことを示した。心底面倒と言った態で身を起こすと、沖田はそのまま千鶴に背を向ける。残される形になった千鶴は慌てて立ち上がり、その背を数歩だけ追いかける。
「怪我、しないで下さい」
するりと喉を通して出た言葉はそれだった。
「沖田さんがお強いことは知っています。けれど、前に沖田さんが言われたように、何が起こるかわからないのが真剣勝負ですから」
だから。
「気をつけてください」
目の前の人物が刀を握る事を止めるなど、自分には出来ない。その背を守れるほどの強さもない。
出来るのはただ祈る事と、願うことだけ。
事実だけでは安心できず、信頼だけでも事足りない。こんなにも彼の無事を願う自分は、どうして。
肩越しに沖田が振り返る。呆れたような眼差しを向けられ、千鶴はう、と言葉を詰まらせた。
「……君って大した子だよね。それしきの腕で僕の心配?」
「すみません……」
「いや、純粋に感動してるんだけど」
「嬉しくないです」
寧ろ怒られたほうがましだと思う感想を告げられ、所在無げに千鶴が俯く。その額を再び、風がさらりとなでていく。
むき出しになった額が、やはり目に焼きついて。どうしてだろうかと沖田が首をわずかに傾げた。
俯いたままの千鶴のもとへ、一歩、重ねて一歩、近づいて。
それに気付いた千鶴が顔を上げて、二人の視線が交差する。
「うん、気をつけるよ」
ありがとう、と。続けられた言葉が信じられずに、千鶴がぽかんと沖田を見上げる。
何その反応、との苦い言葉に我に返り、千鶴は慌てて謝罪の言葉を重ねる。下げた頭を上げれば、まるで待っていたかのように額を弾かれた。
「いたっ!」
「汗かいたんだから、風邪ひかないようにね。気が向いたら、また稽古をつけてあげるよ」
それきりもう、沖田は振り向かなかった。けれどその背がまとう空気は、怒りでも呆れでもない。
弾かれた額を押さえれば、熱かった。風で乾いた前髪が、額を押さえた手の甲をくすぐる。
輪郭をなぞるように手を下ろせば、触れた頬も熱かった。理由など、わからない。
沖田の消えた方向を見つめ、額に、頬に触れた自分の指を見る。握り締めて、沖田の見上げた青い空を仰いだ。
答えなど、あるはずもなかった。あるのはただ、己の心に良く似た、形を変えてはたなびく白い雲だけだった。
Fin --------------------
Comment:
沖田→←千鶴じゃなくて、沖田(→)(←)千鶴が書きたかったのです。
お互いなんで? って思いつつも気になっちゃうのがおきちづのおいしさかなとか。
20100214up
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