** Happy C×2 **
 ●春待人

  荒垣先輩が意識を失ったままの状態から、三ヶ月以上が過ぎた。
  最初は、命が助かっただけでも信じられない位嬉しくて、生死の境をさまよっているだの、いつ死んでもおかしくないだの言われたところで、過去形になってもおかしくないあの傷で「今」があるだけで奇跡だと思った。
  だからきっとわたしは無意識の内に、奇跡は続くものだと思っていたのかもしれない。
  すぐに目を覚ますと思っていた。そして一日が過ぎ、二日が過ぎ、一週間が過ぎて。
  呼吸を繰り返し傷口が言えても、動かず、そして栄養を本来とるべきところからとらなくなった身体は、到底彼のものとは思えないほどに痩せ衰えていった。
  皮膚は荒れているのに、高カロリーの点滴のせいで表面だけは妙に油染みていて。伸びた爪も、前よりずっと健康的に見える。
  なのに、腕が細い。足も細い。開いたその下にはあの、強い意思を含んだ瞳があるはずの瞼だって、寂しげにくぼんでいる。
  生きている、っていうのは、呼吸をすることじゃないんだって、気付かされた。
  いつの間にか移り変わった季節は、窓からの景色すら変えていく。あんなに生い茂っていた木々ですら、今では寂しげな骨しかない。
  病院の窓から見える植物に落葉樹は使わないって話は、どこから聞いたんだっけな。あれは、嘘だったんだ、なんて、どうでもいいことをぼんやりと考えた。
「あれ、湊じゃん」
  音を立てないスライド式の扉の向こうから、それこそ毎日のように顔を合わせている順平が現れる。少しだけ首をかしげることで返事の代わりにし、そして重ねられていた丸椅子を一つ持ち上げると、自分の隣にかたりと置いた。
「サンキュ。荒垣サン、こんちわ。今日はいい天気っすよ」
  ホワイトクリスマスなんて遠い遠い、と、とぼけた笑いを滲ませながら、順平は椅子に座った。
「オマエ、毎日来てんのか?」
「ううん。週一位かな」
「そっか」
「うん」
  病院は正に適温、と言った感じで、寒くもなく暑くもない。この病院と言う空間の中では、窓の外と違って季節の移り変わりなんてちっとも感じなかった。
  だからなのかな。
  だからなんじゃないだろうか。荒垣先輩が、目を覚まさないのって。
  タルタロスの影時間みたいに、あってもないようなものだから、先輩の時間は止まったままなんじゃないのだろうか。
(馬鹿な事考えてるな、わたし)
  順平が最近あったことを荒垣先輩に話しかけている姿を見ながら、わたしは再び窓の外を見る。
  順平が言うとおり、何処までも澄んだ青い空が、四角い向こうに広がっていた。

「悪かったな、何か邪魔しちまったみたいでさ」
  吹き溜まりでかさかさと身体を揺することしか出来ない落ち葉を踏みしめながら、順平が言った言葉にわたしは首をかしげる。
「え? 何が?」
「いや……今日クリスマスだし。荒垣サンと二人きりで過ごしたかったんじゃねえかなと思ってさ」
『って、悪い……荒垣サン、入院してんだもんな。オマエにとっちゃ、クリスマスどころじゃねーか』
  昨日の夜、順平に言われた言葉を思い出す。順平は隣で決まり悪げに少しだけそっぽを向いていた。
「本当だよ」
「だから悪かったって」
「嘘」
「ってオマエさあ」
  わざとらしく大仰にうなずいてみた後あっさりと前言を撤回すれば、順平の肩ががくりと下がる。
  二人肩を並べて帰りながら、クリスマス当日である今日こうやって一緒にいるわたし達は、もしかして恋人同士というやつに見えるんだろうかと気付く。
  まあ、見えるんだろう。そうでなくてもここ最近、順平と付き合ってるとか言う噂が流れているらしいと真田先輩からも聞かされたし。
  男女というよりも、そういったこと関係なく友情を育んでいる自分達にしてみればおかしな感じだ。口ではすぐに女子の話や男子特有の話題に持っていく順平にしたって、誰にも代わりなんか出来ない存在があるっていうのに。
  わたしにとっての、荒垣先輩と同じように。
「今日さ……チドリと初めて会った所に行ったんだ」
  そういや、出会った時って夏だったんだよな、と順平が笑う。
「そうしたら何か、荒垣サンの見舞いに来たくなってさ。だから、わざとじゃねえんだ」
「だから、別に気にしてないし、今日がクリスマスとか関係ないし」
「オマエって可愛いくせにそういうところ妙に男前だよな」
  普通女子だったらさ、プレゼントーとか、イルミネーションーとか、恋人同士のこう、きゃっきゃしたのとかに憧れたりしないわけ? と、女子という生き物に夢を抱いている順平らしい質問が飛んでくるが軽くかわす。別に興味がない訳じゃないけれど、一緒に過ごしたい相手がいないんだったら意味がない。
  誰とでもいい訳じゃない。だったら、関係ない。
  こういう考えを、男前って言うのかな。
(わかんないや)
  じゃじゃ馬って言われたことはあるけど。
  思い出して笑う。自分の方がよっぽど唯我独尊で他人の話なんか聞かないくせに、わたしのことばっかり「勝手しやがって」って憎々しげに吐き出して。
  そのくせ、強引な力で引き寄せて、優しく抱きしめてくれた。
  次の日にあんなことになるなんてわからなかった。知ってたら。知って、いたら。
(絶対、離さなかった)
  ずっと抱きしめて。手足だってぐるぐるに絡めてやって、力じゃ敵わないことを知っているけど、同時にあの人が女子であるわたしを本気の力で振りほどくわけがないってことも知っている。
  オマエは又好き勝手しやがってって、心底呆れたようにいいながら、抱き返してくれるだろうって事も。
「だって、クリスマスなんてこの先何回だってあるじゃない」
  今年一緒に過ごせなくたって。来年だってその次だって、わたし達が生き続ける限り季節は巡る。クリスマスだっておんなじことだ。
  前を睨みつけながらそう言ったら、隣で絶句する気配。たっぷり10秒ほど経過してから聞こえてきたのは、「やっぱりオマエすげえな」の一言。
  木枯らしが強く吹く。約束の大晦日まで、あと6日間。
(生きるんだ)
  生きて、生き続けて、いつかきっと。
「頑張ろうぜ。正直、まだすっげえ怖いけど、死ぬのだけは絶対『ノー』だって事だけは決まってる。そう考えたら、気持ちがどうだろうが覚悟なんて簡単なんだって気付いた」
  じゃねえとチドリに顔向けできねえしな、と、聞こえてきた声はいつもの声よりも幾分大人びて聞こえて。
  マフラーからはみ出た鼻先に、木枯らしがより一層冷たく感じられた。
「わたしも、死にたくなんかない」
  生きたい。生きていたい。
  純粋な欲。この世界にたくさんある、愛しいものを守りたい。だけどそんな大義名分よりももっとずっと直接的に求める熱が、まだわたしの真ん中に残ったまま。
(一度きり、なんて。絶対イヤ)
  明確な言葉なんて交わしていない。それらしい言葉を数言と、あとは伝え合った熱が全て。
『湊』
  人の名前をたった一回だけ、あんな真際に残して。
(起きたら絶対、ひっぱたいてやるんだから)
  どうして謝ったのか、言葉にして言わせてやってから。どれだけ辛かったかなんて一言も教えてなんかやらなくて、だってそんなことしなくたってあのひとは1から100まで分かってる。だからこれはわたしの復讐だ。
「なんかオマエ、すっげ怖いカオしてね?」
「寒いから」
「そうかぁ? 今日はあったかい方だと思うぜ。まあ確かに風は冷たいけどよ」
「女の子は冷え性だからね」
「あーなんかそうらしいよな」
「だから、寒いんだよ」
  寒いんだよ。
  すん、とすすり上げた鼻は寒さのせいだから、マフラーをもうちょっとだけ上にあげる。寒い、寒い。早く、春よ来い。
「……ったくよお」
「わっ」
  突然、頭に何かが被せられる。そしてそれが順平の帽子だって気がつくのに、それほど時間はかからなかった。
「貸してやるよ。寒いんだろ?」
「……順平の頭の方が寒そう」
「オマエなあ! 人をはげてるみたいに言うのやめてくれない!?」
  返せ、今すぐ返せと伸ばされた順平の腕をかいくぐって逃げる。順平にしては気が利くじゃん、と言おうとして、言ったら順平の厚意を無視することになるから、素直に甘えることにした。
「順平ってさ、結構イイ男だよね」
「あったりまえだっつーの! ていうか、オレ様の魅力に気がつかない女子の何と多いことか……はあ、勿体ねえの」
「ごめん、前言撤回」
「すんな!」
  チドリを失った順平の方が、よっぽど辛いと思う。けれど順平はこうやってわたしを気遣ってくれる。多分それは、最悪の方向に事態が傾いた時にどれだけ辛いのかを、彼が身をもって知っているからで。
  体験した痛みを舐め続けるのではなく、相手を思いやる力に変える事の出来る順平は、本当に強いと思う。最高の親友で、最高の仲間だって思うよ。
  失ってしまう辛さと、待ち続ける辛さのどっちが辛いかなんて比較は、両方体験したことのあるひとにしかわからないんだろう。けれど、悲劇の上書きが発生した時点で、それまでの辛さは全て「思い出」になる。だとしたらきっと、本当の比較なんて誰にもできないんだろう。
  だからただ現状に対して、落ち込んだり踏ん張ったりをするしかない。そうして順平は前を見ながらわたしを励ましてくれて、わたしは前を見ながら今を踏ん張っている。
  決して抗うことの出来ない「未来」が目の前にあったとして、わたし達が出来るのは信じることでもなんでもない。がむしゃらなまでに、自分が今出来ることをし続けることだけ。
  結果は、だから結果という名前でわたし達の前に現れるんだろう。
「ね、はがくれ行かない?」
「おまえ……クリスマスにラーメンかよ」
「いいじゃない。別に恋人同士でもないんだし。あ、でも荒垣先輩とだったらクリスマスにラーメンでも許す」
「あーどうかな。荒垣さん以外と乙女だから、ぜってーなんかこう、気合いいれそうな気がするぜ?」
「あははわかる」
「ま、答えは来年以降のお楽しみってことで」
  ――行くか、クリスマスラーメン。
  人を肩をぽん、と叩いて一歩先を行く順平の優しさに甘えてわたしは帽子を目深に被る。
  一度だけ大きく鼻をすすって、「ていやっ」と大声を出しながら、わたしを行き交う人の視線から守ってくれていた順平の背中を追い越した。
「競争! 負けたほうがトッピング奢りってことで!」
「ってスタート時点で不正丸出しじゃんかよきたねえええ!!」
  どうせ一旦駅で一緒になるじゃない、と言い返しても、そういう問題じゃねえ、と怒鳴り返される。
  そんな順平に帽子を返しながら、冬の晴れ日に負けない位の笑顔を走り去った道の奥に向けた。

 

 

 

 

 

 

Fin

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Comment:

書く予定はなかったんですが。
クリスマスイヴの順平の台詞を聞いたらもう、たまらんくなってしまいました。

20100316up






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