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●それが、恋 |
チドリは頑なに肌を見せない。
否。正確に言えば足は見せる。が、上半身に関しては頑ななまでに肌を露出せず、真夏の暑い日であっても着込んだままだ。
最初は単に趣味なのだろうと思っていた。もともと、常人の好みとは異なる、ドレスに近い洋服に身を包むこともあったし、アクセサリーひとつにしてもそうだ。
だから気にしていなかった。
気にしない、フリをしていたのかもしれない。
「……またかよ」
すでに高い位置にある太陽の光に責められるように目を覚ました順平は、隣に見える人物にがくりとうな垂れた。もともと、朝はテンションが高いほうではないが、さらに下げられるような景色を目の当たりにし、短い髪をがりがりとかきむしった。
恨めしげに上半身を起こした姿勢で元居た位置を見下ろせば、李色の長い髪が広がっている。複雑な顔をした順平とは違い、すうすうと寝息を立てる少女のそれは実に穏やかだ。
「オレってば……男として認識されてねえんじゃね?」
帰る場所のないチドリと順平が暮らし始めて早や二ヶ月。ストレガという組織そのものへの責任を感じている美鶴の厚意もあり、彼女が手配をした部屋に二人で住んでいる。
男としては自分ひとりで何とかしたい思いもあったが、頼りない父親のいる家に戻るのもはばかられ、かといってすぐに自立できるほどの経済力もなく。情けなさを痛感しながらもその厚意に甘える形となったのだ。
順平はふがいない自分に落ち込んではいたが、美鶴からしてみれば下手なプライドを振りかざして相手に苦労をかけるよりはよほど男らしいと評価している。それが、単なる甘えでないのならばなおさらだ。
順平の負担を軽くすべく、家賃はともかく生活費は出世払いでな、と、冗談半分で告げた言葉に、「当たり前だ」との返事が返ってきたときはかなり見直したものだが。
ひな鳥は、最初に目に入ったものを親だと認識する性質があるらしいが、チドリにもそれが当てはまる気がしてならない。
しかし自分は親でもなければ兄弟でもねえっつうの、とは順平の偽らざる本音だが、穏やかに眠っているチドリにそれをぶつけるほど愚かでもなかった。
チドリを起こさぬよう、そっと寝床を後にする。キッチンへ向かう途中のチドリの部屋の扉はわずかに開いており、主のいないベッドが寂しげに佇んでいる。
彼女がどうしてもこれがいいと言って譲らなかったロココ調の豪奢なベッドも、今ではすっかり部屋の飾りと成り果てている。
夜は確かに別々の部屋で寝るのだ。しかし、気がつけばチドリは順平の寝床に侵入しており、目覚めた順平があわてて飛び起きるというやりとりがここ暫く続けられている。特に土曜の夜から日曜の朝にかけて、だ。
キッチンのレバーを上げてコップに水を入れると、気持ちを入れ替えるように一気に飲み干す。美鶴の手配してくれた部屋は豪華すぎるということもないが、貧相でもない。浄水器がキッチンに当たり前のようについているあたり、やっぱお嬢様だよな、と嫌味なく呟いてしまう。
さて、今日は何をしようか。
天気もいいし、チドリをつれて公園に行ってもいいかもしれない。
一日中絵を描いているチドリの傍で自分は昼寝をする。あまりに平和な、平凡な休日。けれどそれが、彼女が求めた一番のもの。
「こんなことなら、荒垣さんに料理とかならっときゃ良かったぜ」
チドリに料理の才は期待できない。それは、同居してすぐに順平が学んだことだ。
朝食もかねた弁当を持参しての公園デートを企画した発言だったが、己のスキルと冷蔵庫の材料をみて撃沈する。
とりあえず、と、水をいれたヤカンをコンロにかけ、トーストをトースターにセットする。
朝は果物がないと拗ねるチドリの為に買っておいたオレンジを冷蔵庫から取り出し、水で軽く洗い、調子が出てきたとばかりに鼻歌まで歌い始めた。
オレってばなんて甲斐甲斐しいんだろう。もしかしなくても、理想の旦那サマってヤツじゃね?
などと、ゆかりあたりが聞けば盛大なため息と冷たい視線で返事をされそうなことを一人でもらしつつ、しゅんしゅんと沸き始めたやかんの音に急かされるように、チドリを起こすべく自室へと向かう。
「チードリン、朝だぜーっつかもう昼だぜ? メシ出来っからそろそろ起き……あれ?」
自室とは言えチドリがいるから、と、叩いたノックに返事はない。それどころか順平のベッドはすでに空になっており、順平は肩透かしを食らう。
「自分の部屋に戻ったのかな……」
きびすを返し、先ほど通り過ぎたチドリの部屋の前で止まる。先ほどわずかに開いていたドアは、今は閉ざされている。
チドリ? と、呼んだ名前に返事はなく、不安を覚えた順平はガチャリとドアノブを回すとチドリの部屋へと身体を滑り込ませた。
「チドリ?」
「――っ!」
駆け込んだ順平の視界に見えたもの。
驚いたように振り返る眼差し。李色の髪がこぼれる白磁の肩。
「っ、悪ィ!」
着替えの最中だったらしいチドリを見てしまった罪悪感と羞恥から、順平はあわてて部屋を飛び出すとものすごい音を立ててドアを閉めた。
そしてそのままずるずると廊下に座り込むと、片手で口を覆う。やばい。色々な意味でやばい。
二人暮らしで悶々と我慢している現状に対してもそうだが、チドリが一体どんな反応をするかが予想できない。
けれどそれよりももっと。
(なんだ、あれ)
一瞬だが、確かに見えたチドリの背中。
両の肩甲骨に沿う様に縦に二本。朱色の文様にも似た傷跡。
チドリの背中が綺麗であればあるほどそれが際立って見えた。たった一瞬で、こんなにも鮮明に焼きつくくらいに。
(多分)
あれ、を、見られたくないが為に、チドリは肌を隠していたのではないか。
そしてそれを、故意でないとは言え、見てしまった自分。
「……やべえだろ、どう考えても」
やっと、以前のようにチドリが心を開いてくれているというのに。
もし、これがきっかけで再び心を閉ざしてしまったら。
ぐるぐると回る頭を整理し、順平は深呼吸をする。きっと、最初のアクションが大切なのだ。チドリと顔を合わせた時、気まずい顔をするなどもってのほか。何もなかったような顔をして、午後の予定で盛り上がればきっと。
「ったあ!!」
意を決した瞬間、順平の後頭部にがこん! と衝撃が走る。外開きのチドリの部屋のドアが、内側から廊下へと主を招待すると共に、そこに座り込んでいた順平の背中から頭を直撃したのだ。
「……なに、してるの?」
「〜〜〜っ、ってえええ」
痛む頭を抱えて、先ほどよりも更に深くその場へとうずくまる。自室から出てきたチドリは状況が飲み込めず、淡々とそんな彼を見下ろした。
「あ、おは、おはよう、チドリ」
「……」
失敗した、と思った。今の衝撃で動揺した自分は、明らかにこわばった笑顔を彼女に向けており、いつもなら感じない冷たさをチドリの眼差しから勝手に汲み取ってしまう。
うつむいた視線の先に見えるのは、チドリのつま先。先ほど見た肩と同じくらい白いその先に、綺麗に整えられた桜貝のような爪。
ぺたり。ぺたり。
その足が自分に近づくのを見ながら、順平は自分でも情けない顔してンだろうな、と思うままにチドリを見上げた。
チドリがしゃがむ。
「……ごめん」
チドリがしゃがむことで位置の戻った視線をそれでも固定しながら、順平は素直にチドリへ謝罪した。
「……見たの?」
何を、とは聞かなかった。
「……ああ」
順平も、何を、とは言わずにそう返す。
そのまま暫く、二人とも黙って。キッチンから、しゅんしゅんとお湯の沸く音だけが響いて場を満たした。
「ゴメン、ホント。見るつもりなんてなかったんだ」
「……」
うな垂れる順平を見て、チドリは言葉が見つからずに口篭る。
順平だから、いい。
順平だから、いや。
両方とも、偽らざる自分の気持ちで。
だから、その両方の返事とも、口に出来なくて。
困り果てる。今までは他人にどう思われようとそれを気にしたことはなかった。むしろ詮索されるのも億劫だったし、説明するなど有りえない行為でしかなくて。
だけど、順平は違うから。
暫しの逡巡の後、チドリはぷつ、ぷつと、前開きのシャツのボタンを外す。
うつむいたままの順平は気付かず、チドリは途中まで外したシャツをするりと肩に滑らせ、順平に背を向けた。
その動きに気付いた順平が顔をあげれば、目の前には。
「チド、リ!?」
「……ストレガの、証。タカヤの身体にもあったでしょう?」
生々しい傷痕が、白磁の肌に浮き上がるように縦に走っている。
はだけた背を順平に向け、チドリは淡々と事実のみを告げた。
「や、ちょ、いいって!」
「人工的にペルソナ使いにさせられた人間は、少なからず拒絶反応が出るの。これは、ペルソナが暴走した痕。浮き出る傷もあるし、具現したペルソナに傷つけられることも、ある」
白すぎる程の肌に、引き攣れた痕。まるで羽をむしられたようにも見えるそれは、決してその傷が浅くなかったことを想像させるに容易かった。
「……痛かった、ろ」
「別に。昔のことだもの」
「痛かっただろ?」
「順平だって知ってるでしょう? 私には自分の傷を癒す力がある……だから別に、どうってことない」
「そんなん関係ねえよ」
治る治らないじゃなくて。
結果がどうでも、傷を負ったその瞬間は誰だって痛い。
それが自分が起こした行動のせいでないのなら、なおさら。
今にも泣きそうに歪む順平の顔をみて、チドリは更に困惑をする。違う、順平にこんな顔をさせたくて自分は話した訳じゃない。どうしていいのか分からず、シャツの胸元をぎゅうと握る。
どうして? どうして順平はこんな顔をするの?
ああ、もしかしたら。
「……怖い? この、傷」
「そんなん、もっと関係ねえ」
恐る恐る聞いた問いに、怒ったような声で即座に否定してくる。
その怒りを嬉しく思うだなんて、どうしてなのかしら。
順平の腕が伸び、チドリのシャツを持ち上げて露出した肌を隠す。杏色の髪を丁寧に一度持ち上げて下ろし、乱れを直す為にたどたどしく手の平で撫で付けた。
チドリが順平に向き直ると、傷ついた眼差しを持った彼はそのまま彼女を抱きしめた。静かに、けれど力強く。
「……順平?」
こんな風に強く、抱きしめられたことはなかった。
いつだって順平は自分と一定の距離を置いていた。それこそ、チドリがもどかしく思うほどに。
すきだから、ふれたいとおもって。
けれどいつだって順平はごまかすように笑ってばかり。何かの境界線を越えることを恐れるかのように。それが悔しくて、たびたび順平の寝床にもぐりこんでは困らせてやっていたのだけれど。
――息がつまる。
「痛かったよな……」
「同情なんて、いらない」
「そうだな、ごめんな。でもさ、オレもこれが同情なのかそうじゃねえのかもわかんねえけどさ、けど、嫌なんだよ。昔のことだって、これからだって、チドリがこうやって傷つくのがさあ」
抱きしめられた、すべてが痛い。
身体だけじゃなくて、思考も、気持ちも、全部まるごと。自分と言う、チドリという存在すべてが痛みを感じて。
こんなふうに、抱きしめられるのは初めてのはずなのに。
(からだが)
覚えてる。
そろそろと順平の背中に腕を回す。自分よりずっと小さいチドリの身体を抱きしめることで丸まってしまった背中。まるで包み込む羽のようなしなりにも思えるそれが、たまらなく愛しい。
(私、いつか――こうやって、抱きしめてもらったこと……ある)
失ってしまった記憶のかけら。
『あの人』が順平であるということはもう、疑っていない。だから、思い出せなくても良かった。出会えたことそれ自体が大切で、失ってしまった記憶をあえて取り戻そうとは思わなかったから。
けれど、じゃあどうして順平はこんなにも悲しそうなの?
抱きしめる丸まった背中。かすかに伝わる震え。
チドリが知らない、彼女自身の死。最初で最後に抱きしめた細い身体はやがて、力を失い命そのものが順平の中へと引き継がれたその事実。
失ってしまうことの恐怖に、今以上求めることが出来ずにいた順平は、一度抱きしめてしまったぬくもりが失われることが怖くて力を緩めることが出来ない。
本能で何かを察したチドリは抵抗もせず、ただただ順平の背をやさしく撫でる。抱きしめられた拍子に絡まった髪が引き攣れて痛んだけれど、そんなこともどうでもよくて。
「大丈夫よ……本当に、もう痛くない」
だから泣かないで。
無言の願いに応えるように、順平の頭がチドリの肩口にこてりと倒れる。
それから小さく笑ったような吐息。かっこわりぃ、と言う呟きとともに、順平の顔がゆっくりと上げられた。
「ごめんな。言いづらいこと言わせて」
「別に……」
背中は整えたとは言え、シャツの胸元は乱れたままだ。極力そこから視線を外すように心がけながら、順平は立ち上がる。
「でもお世辞とかじゃなくて、ホントにすっげー綺麗だから。チドリの背中」
「そんな訳ないでしょ……やめて、そういう見え透いた嘘」
普段見ることのない背中でも、どのような傷痕があるかくらいはチドリも自覚している。今更どうと言うこともないが、お世辞にも綺麗とはいえない状態であることは確かだ。
しかしチドリの返答にもめげず、順平は必死に言い募る。傷痕はもったいないな、とは思うけれど、それを差し引いても綺麗であると。
「やべっ! ヤカンかけっぱなしだよ!」
順平は慌ててキッチンへと向かい、やがてなんともいえない声が響いてくるのを聞いた。
どうやら完全にお湯がなくなる前だったらしいが、二人分のコーヒーを入れるには足りない程度に蒸発してしまったらしい。
「……手伝う」
「い、いいって」
申し出はありがたいが、頷こうものなら食事の時間が遠ざかることは目に見えている。
言外の理由に気がついたチドリは一瞬むっとした顔をしたが、傍にあったオレンジに気がつくとそれを手に取った。
「今日さ、公園にでも行かねえ? 天気いいし、写生日和だぜきっと」
「……暑いのは嫌」
いいながら、ぺたりと順平の背中にはりつく。背中から腕をまわし、順平の目の前に握っていたオレンジを置く。切ってとばかりに。
「ふ、フツーに頼んでくれていいんだけど」
「うん」
オレンジを開放した手で、反対の腕をつかむ。細身に見えて意外に逞しい順平の身体は、こうしているととても安心するのだ。
一方、背後から抱きしめられる形となった順平は動揺する。チドリに特段の意図がないのはわかっている。わかっているからこそ、どう対応していいのかがわからない。
「……暑いの、やなんだろ?」
「ええ……でも、あったかいのは好き」
「そ、そっか。ハハッ」
「順平は、あったかいね」
動揺する順平とは相反し、チドリは穏やかな笑みを浮かべて瞳を伏せた。
好きだと、思う。
何よりも大切だと思う。
長く生きられない運命だと、拒絶してきた恋。初めてのそれが、こんなにも幸せならばこの運命も悪くない。
「……チドリのがあったけえよ」
「そう?」
「うん……すげえ、うれしい」
生きてる証を、そのぬくもりを互いに感じる。
当たり前のそれが、愛おしいという想いに変わること。
それがきっと、恋。
Fin
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Comment:
タカヤのあの刺青が暴走の証と知ったときから書きたかった話。
攻略本と小説とで若干表現が異なっていたので困ってしまったのですが……勝手な解釈です。
チドリの記憶も、ここ数年の記憶のみが欠落しているのであれば、色々覚えてるよなあと逆に切なくなってみたり。
とりあえず順平と幸せになればいいと思うんだ!
20070811up
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