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● 約束 |
じぶんがなぜここにいるのか、わからなかった。
一番古い記憶は、暗い場所に、眩い光。
自分と同じような背格好の子どもたち。お揃いの服。
『――番から――番代、適合者0』
『――の衰弱が――で、昨晩――を廃棄』
分からない言葉と大勢の大人たち。
番号で呼ばれていた私たちは、けれどそれがどれだけ不自然かなんてこれっぽっちもわからなかった。なぜなら、比較する対象がなかったから。
ただ、同じことの繰り返し。
朝起きて、決められた部屋へ行き、言われたままに行動し。
チドリ、と。それが自分に与えられた名前だと知ったのはいつ頃だっただろうか。
「チードリン」
広げていたスケッチブックに影が落ちる。顔を上げなくても分かるその理由。
病室に順平が来るようになってからどれくらい経っただろうか。自身の気質を表すような赤い巻き髪の女性と、まっすぐな気性がそのまま眼差しに出ていた男性と代わるように通ってくれる順平。
「お、今日は絵描いてんじゃん。やっぱチドリンは絵を描いてないとだよな〜」
「別に……暇だったから」
まーまー照れんなって、と、深く被っていて帽子のつばを少し上げて笑う。知ってる。そうするのは、ちゃんと私と目を合わせて話をしてくれる為だって。
窓際に置かれた丸椅子が定位置とでも言うように、順平はそこに座って制服の襟を緩める。病院は涼しくていいけど、たまには外にでて散歩でもしようぜと笑う順平の顔は、窓からこぼれる太陽の光そのものみたい。
だから私に、散歩なんて必要ないの。
「どう、体調」
「…………」
「でもあれだよな。もう手首切ったりしなくなったろ? それだけでもオレチョー嬉しい」
「……変な人。別にあなたが痛い訳でもないでしょ」
「いーや痛い。すっげー痛い。だからもうやめて」
私の言葉にお日様が翳る。そんなはずないのに、本当に順平の身体が傷ついて痛いと錯覚してしまいそうなほど、さっきまで晴れていた眼差しが細められ、眉間に皺が寄る。
(へんなひと)
だって、手首を切るのは私なのに。傷がついて、血が流れるのも私なのに。
切った私自身も痛いと思わない傷を、順平が痛がる。痛くないって言ってるのに、痛いだろって怒る。
だから私は、もうそれをしない。
順平が痛いのは嫌だったから。私が痛いのは別にどうってことないけど、順平が痛がるのは嫌。
そう思いつつも言葉にしないままでいたら、順平が困ったように笑う。そして。
「約束、な?」
出されたのは、小指が立てられた右手。その意味がわからなくて首を傾げると、指きり、と言う。
「ユビキリ……って、なに。指を切るの?」
「おおお怖ええこと言うなよチドリ。指きり知らねーの? ゆーびきーりげーんまーん、ってヤツ」
知らない。
首を左右に振ると、まじで? と目を丸くされた。それがどれだけ『当たり前』なのか知らないけれど、それを知らなかった自分が急に恥ずかしくなってふい、と目を逸らした。
前はこんなことなかったのに。自分に必要ない情報なら、知らなくてもいいって思ってた。だって、必要ないなら困らないし。
なのに順平と会ってから、それは恥ずかしいと思うようになった。順平が教えてくれる言葉。もの。いろんなこと。自分が知っていれば続けられる会話が、自分の無知によって止まってしまうこと。
――悲しい
(こんな気持ち知らないわ)
だって、いらないとおもっていたんだもの。
「チドリ」
私の右手を順平が取って、握らせる。それから、さっき順平がしていたように小指だけ立てられた。
自分のそれよりも大きな手の平があったかくて、やっぱり順平はお日様だって思って。
「絡めて」
順平のごつごつした小指が、私の小指に絡みつく。どうしていいのかわからなくて真っ直ぐのままだった私に順平は笑いながら、同じようにしろとそう言う。
「これしたら、絶対破っちゃいけないんだぜ?」
「破ったらどうなるの?」
「針千本飲まされる」
「――っ!?」
針って、あの針?
それを、千本飲むの?
驚く私を面白そうに見ながら、順平は私の知らない歌を歌う。初めて聞く、順平の歌声。
「ゆーびきーりげーんまーん」
ゆっくりと上下に動かされる繋ぎ目。私の手は、順平にそうされるままに上下に動く。
「うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーます」
「順ぺ……」
「ゆーびきった!」
一方的に始まってしまった『ユビキリ』が、一体どんなものでどうするのか分からない不安から順平を呼べば、けれど順平はそんな私の気持ちなんておかまいなしで歌を続ける。
そして突然もたらされた終わり。さっきまで繋がれていた小指同士が、振り子のように離れていく。支えを失ってベッド落ちた私の手が、ぱたりと音を立てた。
「これが、ユビキリ?」
「そっ! 約束破ったら痛いぜえ? だから、破るのナシな」
「……痛いのをやめる為の約束なのに、痛いの?」
「うっ! そーきたか。さすがチドリ……」
ごくごく当然の疑問を問えば、順平は全く気付いていなかったみたいで大げさに驚いて仰け反った。
それから真剣に私を説得できるだけの理由を一人呟いては否定し、否定してはまた考えてを繰り返していたから、段々おかしくなって笑ってしまった。
「順平……おかしい」
「笑うなよチドリ〜。あーオレすっげ格好わりぃ……。とにかく! チドリは痛いのナシ! 早く元気になって、一緒にいろんなとこに行こうな。オレ、どこにでも連れてくからさ」
「別に行きたいところなんて、ない」
「そー言うなって。じゃあ、オレのお奨めスポット連れてくよ。だから、チドリは絶っっ対自分で自分の事傷付けたりしないこと!」
「……うん」
帰りの合図でもある、帽子を直す仕草。それをしながら尚も念を押す順平に、私は素直に頷いた。
「順平が痛がるなら、しない」
「チドリ……」
「私が痛いことすると、順平が痛いんでしょう? なら、しないわ」
とっくに決めていたのに言葉にしなかったことをちゃんと形にしたら、順平が驚いた顔をした。
そうね。気持ちって、言葉にしないと伝わらないんだ。そんな簡単なことも、私知らないで生きてきたの。
勝手に形を変えた頬は、微笑みと言うのだと言う。
嬉しいときにそうなるのだと、教えてくれたのも順平なのよ?
自分の名前さえ、知らなかった昔の記憶。
未来なんて無いとわかってしまってから、今が楽しければいいと思ってた。だから、必要なことしか覚えなかったし、したいことしかしなかった。
でもね順平。
あなたが喜ぶなら、私、それを一番したいって思うの。
だからね、それをするための時間が欲しいって、思う。
「又な、チドリ!」
この時間がずっと続くものだと信じているあなたはいつもそう言って私の部屋を去っていくけれど、いつかこの続きはなくなってしまう。そう遠くない未来に。
「ゆびきり、げんまん」
うそついたらはりせんぼん
「……ごめんね、順平」
針を飲むことも出来ずに、きっと私は。
初めて覚えた歌と、初めて交わした約束。
くりかえしくりかえし口ずさみながら、とっくにぬくもりの消えた小指を私はずっと握り締めていた。
Fin
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Comment:
原稿が上がる前に書いてしまいました萌えって怖いっつーか己が可哀想。
早くフェスやりたい。うおおおお。
20060623up
*Back*
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