** Happy C×2 **
 ●始まりのあいさつ

「ん……」
 ふ、と意識が覚醒する。現代でいうところの目覚ましなどはこの時代にあるはずもなく、暮らす人々は例えば日の光や鳥の鳴き声で目覚める事が多い。
 玄奘の場合はそれらがなくとも、最早習性で明けには目覚めるようになっていた。今朝もそれは同じで、しかしながらいつもと違うのはどうにも身体がだるいような気がすることと、窓からの光が――たとえ天気が悪かったのだとしても――全く入らないこと。
「起きた?」
 ぼんやりとした頭で状況を整理していれば、耳なじみのある声が耳朶に届く。起きたか、と聞かれて、聞こえるということは起きているのだからと緩慢に頷けば、くぐもった笑い声が聞こえた。
「あんた、寝ぼけてるでしょ」
 からかうような声音とは反した、やわらかな仕草で頬に指が触れる。くすぐったくてその指から逃げるように毛布をひっぱると、指は髪へと移動する。
「ごめんな、疲れさせちゃったか」
 普段の玄奘からは想像もつかない動作に、髪を撫でていた男――蘇芳は苦笑する。けれど、もしかしたら今までもずっとそうだったのかもしれない。ただ、大抵の場合夜の内に自分が彼女の前から姿を消してしまっていた為に見過ごしていただけのこと。
 玄奘が蘇芳の住む冥界へと来たその晩が昨日。今までにも何度も玄奘を抱いたけれど、毎回思うのは何故果てがないのだろうかということ。
 限られた時間の逢瀬は互いの感情を高めるには十分で、かろうじての理性だけを残して抱き合ったこともあった。そのたびにこれ以上強く相手を想い、求めることなどないだろうと思うのに、次に会えばその考えはあっさりと上書きされる。その最たるが、昨日だろう。
 別れの時を考えずに相手に触れられる喜びが、限られた時間を惜しむ焦燥に勝るとは思わなかった。時間があるからこそいつも以上に優しく、と考えていたのは最初だけで、気がつけばどうにもならなくなっていた。
 怒りならともかく、喜びすら制御できないだなんてどれだけ子供なのかと襟足を掻き、蘇芳は一人で気恥ずかしい思いをする。自分の理性にはそれなりに自信があったはずなのに、玄奘が絡むとこれだ。
 今ばかりは、玄奘が寝ぼけていて良かった。こんな顔、見られたくなんかない。
 地上とは違い、この世界は常に闇が支配する。窓の外には眩しい月が浮かび、それが全て。
 この感覚になれるまでには時間がかかるかもしれないな、と、再び寝息を零し始めた恋人を微笑んで見下ろして蘇芳は寝台を下りようと腕に力をこめた。冥界の王となった自分には、まだまだやることが山のようになる。特に今日のような日に寝坊だの遅刻だのしようものなら、周りに何を言われるか知れたものではない。
「す、おう……?」
 ぎし、と軋んだ音でどうやら再び目を覚ましたらしい玄奘が蘇芳を見る。明らかに半覚醒状態の眼差しを見て、蘇芳は優しく微笑みを返した。
 一度離れた寝台に近付いて膝をつく。そうして距離を近くしてから、再び優しく髪を撫でた。
「あんたはまだ寝てていいよ。オレはやる事あるから行くけど、後で金でも寄越すからさ。それまでゆっくりしてな」
「すおう?」
「……ん?」
 毛布の隙間から伸びた手が、きゅ、と蘇芳の服を掴む。どうしたのかと微笑を消して玄奘を見ると、今度は玄奘の方が微笑みを浮かべた。
「ど、したの」
 不意打ちの笑みに、はからずも声が固まった。撫でていた手を戻して自分の服を掴む玄奘の手を包むと、返されるように指が絡む。
「目が覚めても、あなたがいてくれたものですから」
 ――嬉しかったのです、と。
 浮かんでいた笑みが、更に嬉しそうなものに変わる。そして蘇芳は、今度こそ言葉を失った。
(ちょっと待て)
 なんだこれ。反則にも程がある。
 やっと本当の意味で一緒に生きていけることになって、散々求め合って確かめて、帰らなきゃいけないとかそんな心配だってすることなく意識を手放した先に、好きな相手の隣で目が覚める事が出来た幸せを実感したばかりだというのに。
 初めてみる寝ぼけたような顔に声。無防備な笑顔。それだけで、何もかもをほっぽりだして一日中寝台にしがみついていたい気分になる。それを必死で我慢して、やっとの思いで抜け出したっていうのに、ああ、もう。
「蘇芳?」
「いや……うん、あんたってそういう人だったよね……」
 いつだって自分が想像もつかないようなことばっかりして、はらはらさせられて、ドキドキもさせられて。
 何もわかっていない透き通った瞳が、きょろりと自分を見ている。全く、本当に勘弁してほしい。
 生まれ始めた熱を、わざとらしいほどの盛大なため息で外に逃がす。逃がしきれたかどうかは知らないが、逃がしきれたと無理矢理にでも思い込むことにした。でないと、本当に仕事にならない。
「今まで寂しい思いさせて、ごめん。これからは、あんたが嫌だっていったって、ずーっと一緒にいるから、さ」
 ――だから、安心してよ。
 玄奘が笑う。ちょっとだけ、泣きそうな顔にも見えたのはどうしてだろう。
 顔を寄せれば、瞳が伏せられる。当たり前といえば当たり前の反応だけれど、それが許される関係であることが、嬉しい。
 軽く音を立てて口付ければ、昨夜あれだけ乱れたことが信じられないほどの初々しさで頬が染まる。
「オレも嬉しいよ、玄奘。あんたを寝台に残して行っても、もうあんなに胸が痛まないって事実がさ」
 先に寝台を出て部屋を後にするという事実は同じでも、こんなにも気持ちは違う。寂しいと思う気持ちはあるが、いつでも会えるという安心感が心を穏やかにしてくれるから。
 出口に向かいかけた蘇芳が、何かを思い出したように足を止める。そして身体ごと玄奘に向き直り、彼らしい笑みを浮かべた。
「おはよう、玄奘」
 寝台からは、とびきりの笑顔。
「おはようございます、蘇芳」
 二人の幸せへの、始まりのあいさつ。








Fin
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Comment:

幸せそうにいちゃいちゃしててください。
と、思って書きました。





20110607up



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