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●花咲くはその頬 |
「玄奘せんせー、悟空とケンカした?」
子供たちからの突然の爆弾発言に、玄奘は思わず咳き込みそうになる。
梅雨の時期にしては珍しく朝から天気のよい今日は、折角だからと森の近くに出かけて昼食を取っている。連日の雨のせいで、外で遊べないフラストレーションを溜めていた子供たちを宥めるために、「次に晴れた時は、皆で遠足に行きましょう」という約束をしていた為だ。
六人もの子供に一人で目を配るというのは中々骨の折れる作業だが、悟空は悟空でこの弁当を作る作業で力尽きたらしい。手軽につまんで食べられるものを作り、籠に入れて玄奘へと渡すと同時に、「眠い。寝る」の一言を残してさっさと部屋へ引き上げてしまった。
「な、何故ですか?」
子供たちにはバレバレであるものの、精一杯普段通りを装って玄奘が問い返すと、先の質問をした子供の小さな指が籠の一角を指差す。
「だって。にんじん入ってる」
「……はい?」
「いつもなら悟空、せんせーのきらいなにんじん入れないもん」
ねー、と頷きあう子供たちを前に、最早玄奘は何をどうも取り繕えなくなった。何故そんなことを子供たちが知っているのか。というか、そもそもそんな気遣いに自分は今の今まで気付きもしなかったのだから。
「そ、そんなことは……ないと、思うのですが」
言いながら、記憶にある限りの食事のシーンを思い出す。一緒に生活をするようになってから、炊事はもっぱら彼の担当になった。人並み、でしかない自分の料理と違い、元々「作る」「調合する」と言った行為が好きな彼が作り上げるそれは格段に「おいしい」ものだった。そして数々のメニューを脳内で回想し――確かに、一度として箸を躊躇うようなものは並んでいなかった事に気がつく。
「た、たまたまではないでしょうか」
「えー? だって悟空のヤツ、バランスよく食べろとか言って、いろんな野菜をいろんな手段で出してくるんだぜ?」
「だよなあ、なのにいっつもにんじんだけなかったし」
「そうそう。わたしもきらいだから、たすかってたけど」
指摘した子供だけ、と思っていたら、その場にいた全員からそう言い返されて玄奘は焦る。これはよくない。非常にまずい展開だ。
「た、確かににんじんは出ていなかったかもしれないですが、べ、べつに私はにんじんが嫌いという訳ではありません」
大人として、そして導くものとして精一杯の虚勢は、あっけなく沈没する。
「えー……だってせんせい、昔からにんじんよけてたし」
「だよなあ」
見られていた。そんな、ばれないようにこっそりと最新の注意を払いながら逃げ続けていたつもりだったのに。
だらだらと内心で冷や汗をかく玄奘を見、子供たちはにやにやと笑ったり微笑ましく見守っていたりする。これではどちらが大人なのかわからない。
「で? ケンカしたのかよ」
この中では一番年上の、最近めっきり口が達者になってきた子供が呆れたように問いかけてきた言葉に、玄奘は否定も肯定も出来なかった。
軽い口げんかはもう日常茶飯事で、その原因は大体が悟空の怠惰な生活だ(無論、悟空の方は玄奘の口うるささが原因と思っているが)。
寝起きが悪いのはいつものこと。だが、今日は少し違っていて。
前々から子供たちと約束していた、「晴れたら遠足」。それは確かに朝起きてみないと分からないことで、その点、朝に弱い彼にとってみれば面倒この上ない約束ごとだろう。
けれど、弁当を作ると約束したのも彼で、そうした以上ちゃんと約束は果たされるべきだと思う。いつもどおりの時間では準備に間に合わないからと、いつもより少し早い時間に悟空を起こしに行けば、案の定いつも以上の抵抗にあう。
自分が作ってしまうのは簡単だ。そりゃあ味も見た目も彼が作ったものより落ちる為、子供たちから文句が出るのは想像できるが我慢できないことでもない。けれど、それでは悟空の為にならないから。
手にしていた、悟空が作ったおかずを食べながら思うのは彼のこと。眠い、と言ってこなかったのは確かに眠かったのもあるだろうけれど、きっと彼は彼で怒っていたのだと思う。昼寝ならば、部屋の寝台よりも木陰の方が気持ちいいのだから。
(少し、口うるさくしすぎたでしょうか)
中々起きようとしない悟空に向かって、普段の生活態度も交えて説教したのは行き過ぎだったかもしれない。悟空は悟空で少しずつ、それなりにまっとうな生活を送り始めていたのは、自分だって知っていたのに。
そのことに甘えていたのだろうか。正論は時に暴力にもなると知っていたのに。
「喧嘩では、ありません」
言いながら、綺麗な花形にくりぬかれたオレンジ色に箸を伸ばす。これが悟空からの自分に対する気持ちなのだとしたら、それを受け取るのが義務のような気がして。
「え、せんせー」
驚いたような子供の声が聞こえた。味も食感も何もかもが苦手で、ここ暫くずっと口にしていなかったそれを食べるのにはひどく勇気が要ったが、食べないのはなんだか逃げるようで嫌だったから。
ぎゅう、と目を閉じてぱくりと口へ放り込む。からくり人形のようにぎこちない所作で一回二回と咀嚼し、四回目のあたりではた、と気がつく。
幾ら煮付けられたのだとしても随分と柔らかい食感と、菓子と言ってもいいほどの甘さに。
「……」
警戒を解いて味覚に神経を集中させれば、にんじんと思っていたそれがそうではないということに気がつく。お菓子のような、ではなく、事実菓子である。
「……ほんっとに意地っ張りだな、お前は」
こくん、と飲み込んだのと同時に、ひどく呆れた声が背後から聞こえた。
「あ、悟空!」
「おそいよーもう」
突然現れた長身の影に、子供たちは歓迎と遅れたことに対する文句の声を上げる。足元に群がる子供たちの頭を、おざなりに伸ばした手でわしわしと撫で付けながら、大して悪いとも思っていない声で悪い悪いという。その人物は、間違いなくこの弁当を作った男だった。
雑な態度で玄奘の隣に腰を下ろし、かいた胡坐の上で肘をつく。そして呆れた眼差しを傍らの女に向け、盛大なため息をついた。
「食わねえだろ普通。嫌いなもんをわざわざすすんで」
「……あなたが入れたのではないですか」
「だーからって食わなきゃならねえ義務なんざねえだろうが」
「残したならともかく、なんで食べたことで文句を言われければならないんですか」
顔を合わせた途端に始まる応酬に、子供たちは呆れた目を向ける。最初こそおろおろと戸惑うものも数人いたが、今となっては「又か」と言ったところだ。
どっちも素直じゃないからね、という意見は、こまっしゃくれたことをと一蹴するには的を射すぎている。子供の目は、見たままを映すものだから。
二人の間に流れる空気など見えないとでもいうように、楽しそうに子供たちは籠の中身に手を伸ばす。どれもこれも、子供たちが外で食べるのに適したものばかりだ。
口ではなんと言っていようと、結局結果だけみれば期待以上のことをするのがこの悟空という男で、それを知っているからこそ、玄奘にしてみればもどかしい。
「だいたい、これは人参じゃありませんし」
「口に入れなきゃわからなかったくせに」
「当たり前です、普通分かるはずないじゃないですか」
「入れたならともかく、なんで入れなかったことに文句いわれなきゃならねーんだよ」
ったく、めんどくせえ。そうぼそりと呟いて、悟空はごろりと横になる。玄奘もそれ以上何を言っていいのかわからずに、再び甘いオレンジ色に手を伸ばす。
「……食べないだろうと思ってたんだよ」
背を向けたまま、悟空が呟く。
「私こそ、あなたが怒って私が嫌いなものを入れたのかと」
正体を知っている安心感から、先ほどとは違い気安くそれを口に運ぶ。
「んなガキみてーな事するかよ」
「でも、そう思わせようとしたんですよね。こんな、手の込んだことまでして」
「…………」
返事はない。けれど、それが返事のようなものだった。
甘い味が口いっぱいに広がって、それはどこまでも広がっていく。胸がきゅ、っと苦しいのは、見た目が嫌いなものだから。そうに違いない。
「ありがとうございます」
「……は?」
「怒っていたのに、本当には意地悪をしないでいてくれて」
自分が人参を嫌いだと知っていて弁当に入れようとしたのを踏みとどまり、悪戯ですませた。心臓に悪い、という意味では同じだが、口にした時の感想には天地ほどの差がある。
玄奘の礼に、それまでずっと背を向けていた悟空が半身を起こして彼女の方を向いた。眉間には皺が刻まれていて、双眸は信じられないといった色で染まっている。
「いや、怒ってたっつうか大体あれは売り言葉に買い言葉っつうか俺もその……」
「悟空?」
「なんでもねえ。それよりお前、普通礼なんざ言うか? んな嫌がらせされておいて、お人好しにも程があんだろ」
「でも、事実そうですから」
そういう玄奘の箸には、人参に似せた菓子が又はさまれている。悟空は呆れたように口を開き、結局何も言わずにそれを閉じて頭をがりがりと掻いた。
口うるさい玄奘に腹を立てていたのは事実で、けれど自分の態度が一因だということもわかっていて。
毎回ケンカの原因は同じでも、いつも以上にしつこい説教に頭に来た。わかっていることを繰り返し言われることの腹立たしさと、同時に言わせてしまっている自分。正論と正当化。言われても仕方ない、という一面と、だが放っておけ、と思う苛立ち。
その結果が弁当に入れたオレンジ色なのだが、当の玄奘はプラスの感情だけを拾ってふわりと微笑む。全く、適う訳がない。
「昼寝をしていたのではないのですか?」
一緒に来なかった口実を指摘され、悟空の顔が呆れと不機嫌を混ぜたものになった。ふい、と顔を明後日の方向に向け、低い声でぼそりと呟く。
「部屋ん中より、こっちの方が気持ちいいからだよ」
「そうですか」
軽やかな声にむっとし、言いたいことがあるならはっきり言えと言えば、玄奘の頬が綻んだ。本当に、見た目と違ってしたたかだと思う。
「おい、食わせろ」
「はい?」
「それ。一番手間かかってんだよ」
自分の手元を指差され、暫し悟空の顔とオレンジ色とを見比べる。すると、徐々に手元の色が目の前の男の頬に移っていくことに気がついて。
きっと同じであろう面映さを胸中に抱えつつ、玄奘はそっと子供たちの目を盗んで彼の口元へと運んでやった。
甘い甘い、オレンジ色の花。
一つ消えて、二つ咲いた。
Fin
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Comment:
喧嘩をしてても責めきれないとか可愛くないですか。とか、
こっそり反省してもお互い素直になりきれないとか可愛くないですか。
というお話でした。
*Back*
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