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●これからを共に |
「部屋をお願いしたいのですが」
経典を得る旅も終わり、仲間とも別れてから数日。
ようやく人がいる街にたどり着いた私と悟空は、手近な宿へと入った。
天竺付近は人影などあるはずもなく、途中まで一緒にいた仲間と別れたところですら、それは同じだった。
私と同じ寺院で、人として生きる事を選んだ悟空と共に歩き続け、ようやく人里へたどり着けたのが今日。
長年彼を縛っていた呪いが解け、慢性的な頭痛と体力不足からは徐々に解放されているらしいが、その影響かそれとも元の性格からか、彼と二人になった旅が特段今までと変わったということはない。相変わらず彼の足はゆっくりとしたものだったし、何かと「疲れた」だの「だるい」だのの台詞を口にしては、休憩を取りたがるのも一緒。そしてそのたびに、私は彼のお尻を叩く様にして旅路を進めたのだ。
「はい、何部屋ご用意しましょうか」
人のよさそうな店主がにこやかな笑顔と共に聞いてきた答えに、私は前からそうだったように人数分の部屋数をお願いしようとして。
「ああ、一部屋でいい」
背後からの声に、それを奪われた。
「ご、悟空!?」
目を丸くした私の声を無視し、悟空は私の肩越しに店主と話を進めていく。
「でしたら広めの部屋をご用意しましょう。ですが、あいにくまだ掃除中ですので、よろしければ御荷物だけ先にお預かりしますが」
「ああ、それで頼む。適当にメシ食ったら戻るから、荷物は部屋に運んでおいてくれ」
「はい、わかりました」
「おい、何ぼけっとしてんだ。飯行くぞ飯」
腹が減って死にそうだ、などと言いながら悟空は私の腕を掴んで歩き出す。は、っと我に返って送り出してくれた店主の方に頭を下げながら、もつれそうな足を転ばぬよう運びなおし、悟空の後に続く。
「ご、悟空、待ってください。あの、お金ならまだありますし、同じ部屋ではあなたもゆっくり出来ないのではないですか?」
「別に金の事なんざ心配してねえよ」
「で、では何故……」
一部屋に、と言葉を続けようとして続けられない。思ったとおりの答えでも困るし、というかむしろそれ以外思いつかなくて。
言葉を消した私を見て、悟空がにやりと笑う。
「お前にしちゃ察しがいいな」
言いかけた言葉も、何故それを私が飲みこんだのかもお見通しとばかりのその笑みに、今度こそ私は自分の意思では無く言葉を失った。
いきなりも困るが、前もっての宣言も非常に困るわけで。
おかげで久しぶりの温かい食事も、全く味わう余裕も無く終わってしまった。
途中途中であまりに上の空の私を見かねた悟空が何かを言っていたような気もするけれど、それすらもその場限りで右から左へと通りぬけていく。
(つまりこれはそのそういうことだということですよね)
最早自分の思考すらまともな言葉になっていない。食後のお茶の時間を十分するぎるほどゆっくりと過ごしたというのに、大好きなはずの八宝茶の香りも、少しも私の気持ちを落ち着けてはくれない。
「まあ、こんなもんか」
一人一部屋のものよりもやや広めだけれど、いわゆる自分たちに見合った金額の宿で借りた二人用の部屋を見て、悟空がそう感想を漏らす。
寝台脇に置かれた二人の荷物が、今更ながらにこれからこの部屋を二人で使うのだということを物語っていて、どうにも目のやり場に困ってしまった。
(どうしたら、いいのでしょう)
嫌なわけではない。私だって、愛する人とは出来る限り共に過ごしたいと思う。あんなことがあったのなら、尚更。
「おい、玄奘」
「はっ、はい!?」
「んなとこ突っ立ってねえで、こっちに来たらいいだろう」
気がつけば寝台に腰をおろしていた悟空が、気だるげに手招きをする。
(来いと言われましても)
行けるわけが無い。と思うのは、決して間違っていないはず。
「ったく、面倒くせえなあ」
硬直したまま立ち尽くしていた私の方へと、悟空がつかつかと歩み寄り、この宿に着いたばかりの時のように腕を掴む。否、掴もうとしたのをとっさに逃げ、私は自分でも笑っているのか何なのか表現しようのない顔を作りながらじり、と後ずさった。
「その、ですね。私も一応女性なわけでして」
「ああ? んなの、今更だろ」
何言ってんだ、と、馬鹿にしたような声音で言われてしまい、だがこんなことを気にする羽目になったのは誰のせいだとこっちこそ反論したい。
説得を試みる間にも距離を詰めてくる悟空からじりじりと離れ、けれどそう広くない部屋ではあっと言うまに追い詰められてしまう。とん、と、腿の裏にあたった衝撃は寝台のもので、よりによってこっちに逃げてしまった己の迂闊さに我ながら絶望した。
「で、ですから!」
ぎし、と寝台が音を立てる。行き詰った距離を稼げる面積は最早寝台そのものしかなく、座り込むようにずりずりと奥へ奥へと逃げる行為は短絡的以外の何ものでもない。次いで、悟空の手が私の横へと置かれると、一層重い音を立てる。悟空の、体重を受け止めた音。
「なんだよ。お前、俺のことが嫌いなのか? あんまり逃げられっと、俺だって傷付くぞ」
「そっ、そんなわけあるはずないじゃありませんか!」
思わずそう答えれば、目の前の顔はにやりと笑って――ああ、だまされました。
「なら、何の問題もねえだろ。寺院に帰ったらガキが大勢いるんだ、ゆっくり二人で過ごす時間なんてもんは、限られちまうだろうが」
「それは、そうなのですが……ご、悟空、ちょっと、やっぱり明日にしませんか!?」
必死の説得にも、悟空は鼻白むばかりだ。
「どうせ明日になったら明後日とか言い出すんだろうが。お見通しなんだよ、バーカ」
「い、言いません、言いませんから! とにかくその、今日は歩きどおしでしたし、良くないかと」
覆いかぶさろうとしていた身体をぐい、と押し戻す。琥珀の瞳と目が合い、いぶかしげな色に心臓がばくばくと音を立てる。そこに見えるのは、疑問と不満と、自分を求める、確かな欲。
「…………」
悟空からの言葉はない。
(誤解、されてしまったのでしょうか)
けれど昨日からずっと歩きどおしの旅で、久しぶりの宿に着いたのだってほんの数刻前だ。
「おい、玄奘」
「は、はい」
「正直言うとな、俺は野宿だろうがなんだろうが別に構わなかったんだよ」
「はい?」
いきなり何を言い出すのかと思いきや、当の悟空の顔は真剣だ。
「だが、おまえはそうはいかないだろ。で、やっと今日まともな宿で休むことが出来て、俺としちゃあようやくっつー気分なんだが」
「え、あの、悟空?」
「お前は俺が欲しくねぇのか」
「――っ」
悟空の声が低いのはいつものこと。だるい響きを伴うのもいつものことで、なのにどうしてこんなにも私の言葉を奪うのだろう。
「でっ、ですから! 先ほども言いましたが私も一応女性の身なのです」
ぐるぐる勝手に混乱し始めた頭の中は、最早言葉を選ばなくなっている。羞恥と、何でわかってくれないんだろうという怒りとがない交ぜになり、私はお説教を始めるように悟空の目をにらみつけた。
「あ、あなたは呪いが解けたばかりじゃないですかっ、そ、それに、今日もずっと疲れただのだるいだの、そんなことばかり言って普段通りで」
「……そりゃ、普段通りで結構じゃねえか」
「結構なわけありません、先ほども言いましたが、私だって女性なのです。更に言えば、その、こういったことをするのは初めてで……っ」
「それも俺にとっちゃ結構なことなんだが」
「言いたいのはそこではなくてですね! で、ですから、そんな時に、疲れただのだるいだの死ぬだの言われてしまっては、私の立つ瀬がないというやつでして、出来ればあなたの体力が万全な時にお願いしたいと、そう思うのですが!」
最早自分でも何を言っているのかわからない。それどころか、いらないことまで口走ってしまったような気さえする。
とりあえず言いたいことだけを言葉の羅列で吐き出し、熱が高まりすぎて頭痛すらし始めた身体を持て余しながら琥珀の瞳を見つめた。すると。
「……悟空?」
ぽかん、と言った表現が正しい顔をした彼は、ある意味非常に珍しいのではないかと思う。過去何回も、それはもう数え切れないほど呆れられたことはあったけれど、そこには苦々しげな色や、仕方なく許容する感情もないまぜになっていて、このように1から100まで驚いた顔というのは見たことがないような気がする。
「あの、悟空? どうかしたのですか? 具合でも悪いのですか?」
あまりの空白時間の長さに不安になり、彼の頬へと手を伸ばす。と、その手をぎゅっと掴まれたかと思うとくぐもった声が彼の喉から聞えた。
「……ック」
「?」
「……ハハハッ! ば、馬鹿かお前、んなこと気にしてやがったのか!」
爆笑、というのはこういうことだろう。
私の手を掴んだまま、これ以上おかしなことなどないとでもいうようにベッドにつっぷして笑い始めた悟空を、今度は私がぽかんと見つめる羽目になる。
「わっ、笑うことないじゃありませんか!」
我に返って反論しても、悟空の笑いはやむことがない。
「お、お前、俺を笑い死にさせる気か……っ、クッ」
「あなたが笑わなければ済む問題だと思いますが」
「そりゃあ無理な相談だ」
あーおかしい、と、目尻に涙まで浮かべながら悟空は言う。ひとしきり笑い終えた悟空は、足りない酸素を補うように大きく息を吸って吐く。
「あのなあ、幾らなんでもんな馬鹿な事言うかっての」
「そ、そんなのわからないじゃありませんか。あなたの体力の無さとやる気の無さを身近でずっと見てきた私にしてみれば、不安に思うのも仕方がないというもので」
「あーそりゃまあ否定しねえっつうか出来ねえが、時と場合ってもんがあるだろうが」
馬鹿かお前は、と、もうすでに何度目か分からない「馬鹿」を呟かれて私は立腹する。
「とにかく、そういう訳ですから――、!?」
「なら、なんの問題もねえな」
掴まれたままだった腕を振りほどこうとした途端、ぐい、とその手を引かれて指先に口付けられる。ひんやりとしたそれは、私の手が熱いからなのか、それとも悟空の体温のせいか。
「ごっ、ごく……っ」
「ご心配はありがてえが、やる気だけはあり余ってんだよ。体力も、お前を抱くくらいどうってことねえ。むしろ、今位のが丁度いいんじゃねえか?」
くつくつと喉の奥で響く笑い声が、信じられないほどの色気を孕む。これが、ずっと一緒に旅をしてきたあの悟空なのかと疑ってしまうほどに。
場所を変えて押し当てられた唇はやっぱりひんやりとしていて、熱を持った私には心地よく、ふわりと思考がくゆんでいく。ぎし、と軋んだ寝台の音に一瞬我に返れば、それを許さないとばかりに悟空の口付けは一層深いものになって私の思考を奪っていく。
「……とうに、大丈夫、なのですか……?」
その問いかけは、始まりのきっかけを与えてしまうもの。
「途中で疲れたとか、やっぱりだるいとか、絶対に、言いませんか?」
駄々をこねる子供のようにそんな言葉を口にしてしまう。絶対の愛情を前に、疑う余地などないというのに約束と言う形を欲しがる様は、本当の子供のようだ。
呆れを含んだ眼差しが細められる。今までに何度も見た、そして初めて見る優しさと、甘さを含んだ色に。
「お前こそ、途中でやっぱりやめた、なんて――まあ、言うわけねえか」
頑固さだけは折り紙つきだからな、と、言っておきながら撤回する。
「当たり前です。私はあなたとは違いますから」
「あのな、俺だってやるときゃやるんだよ」
「知ってます」
旅の途中で抱いた、紛れもない信頼。
彼を一人の男性として好きだと思う以前に、仲間として覚えたその感情を、疑うまでもなくて。
悟空の手が優しく私の髪を撫でる。そのひらの大きさ以上に、私を支え、導いてくれた手のひら。何度も何度も、私の髪をすべる。
「頑張ったな」
いたわりの滲む声に、今更ながら堪えていたものがあふれ出しそうになる。
(反則です)
唇をぐっと噛んでそれを堪えれば、こら、の声と共に口付けが落ちる。かみ締めた唇を解すような、柔らかな口付け。
「もう我慢するな。いいんだよ、お前はもう、ただの女なんだから」
「ご、くう」
「だから目一杯甘えろ。意地張るな。ただ、間違っても八戒や悟浄や玉龍の名前なんか出すんじゃねえぞ。さすがにそこまで心は広くねえからな」
目尻への口付け。頬に移り、耳たぶへの囁き。
「甘えさせてやるから……甘えろ――玄奘」
名を呼ばれて、零れた雫が耳へと入る前に悟空の舌に攫われる。
自分から腕を伸ばして、彼の頭を引き寄せるように抱きしめた。
「あなたも、良く頑張ってくれました。本当に、ありがとう。悟空」
ふ、と、笑みを含んだ吐息が肩口に零れる。
何も阻むものがない状態で受けた抱擁は、彼の肌がどんなに温かいのかを私に教えてくれて。熱の篭った声が、どれだけ彼が私を想ってくれているのかを教えてくれる。
幸せで、幸せで。
誰かに、肉体的にも精神的にも甘える、という行為がどんなものであるかを、悟空は優しく教えてくれた。いつもの意地悪な、斜に構えた態度など微塵も見せずにただただ真っ直ぐ。
「……っは、ぁ」
うっすらと湿った前髪の根元に指を伸ばせば、その手を掴まれる。私には大きすぎる衝動をやりすごした後に伺った悟空は、何かを堪えるように固く瞳を閉じていた。
「悟、空?」
「あ〜〜……」
やがて力尽きたように、私の上へと覆いかぶさってきた悟空が何ともいえない声を漏らす。掴まれたものの拘束されきっていない手を動かして彼の頭を撫でるようにさすれば、ぼそぼそと何かを呟く声が聞こえた。
「やべえ」
「ど、どうしたのですか?」
「死ぬ」
その言葉が嘘ではないというような声音でそんなことを言う悟空に、私は先ほどまでの余韻全てふっとぶような勢いで声をあげた。
「だっ、だから言ったではありませんか!」
幾ら事の最中ではないとは言え、終わった直後にそんなことを言われても同じことだ。何とも情けのない気持ちになりながら、そうは言っても悟空の身体も心配なわけで、私は必死で体勢を整えようと試みる。
「大丈夫ですか? 水でも飲みますか?」
「馬鹿、ちげーっつーの」
身体を起こしかけた私を再び押さえつけるように与えられた口付けに、一瞬目の前が真っ白になる。
「死にそうっつうのは、気持ちの問題だ」
言葉の数だけ、吐息が触れて。
何故死にそうか、なんて。聞かなくてもわかる。その瞳が帯びる熱で。
「まっ、まぎらわしい言い方しないでください!」
「おまっ、声でけーよもう少し押さえろ」
「大体、そういう意味ならそれは私の台詞と言うもの、で……って何を言わせるんですかあなたは」
「知るか。お前が勝手に言ったんだろうが」
言いながら私を抱きしめる腕にはまだ余裕があり、どうやら本当に死にそうという訳ではないとわかってホッとする。
「っつーか、女が男の心配してんじゃねえよ。俺にお前の心配させろってんだ」
「それは……あまり男女の別は関係ないと思うのですが」
男であろうと女であろうと、大切な相手のことならば幾らだって心配する。じ、と悟空を見つめながらそういえば、悟空はやや呆れたような顔でため息をつき、私を自分の方へと引き寄せた。
「どこも痛くねえな」
「ふふ、大丈夫ですよ」
「馬鹿、笑うな」
うっすらと悟空の頬が赤いように見えたのは気のせいだろうか。
私を抱き寄せている方の腕とは逆の手が、毛布をひっぱって私の肩へとかけてくれる。悟空は寒くないだろうかと視線だけで伺えば、気にすること自体が気に食わないというような顔をされてしまった。
「もう寝ろ」
「はい。あなたも休んでくださいね?」
「安心しろ。寝ることに関しちゃ一流だ」
「……そうでしたね。では悟空、おやすみなさい」
「ああ、お休み、玄奘」
ちゃんと起きてくださいね、の声は、聞えなかったのか流されたのか。
明確な返事をもらえないまま、私もすぐに意識を手放す。その眠りは、記憶にない程穏やかな穏やかなものだった。
Fin
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Comment:
一緒に寝る時にもいつもの調子でだるいとか言われたらショックだよなというところから派生したお話。
かるく日記にアップしようと思って書き始めたら、思いのほか長くなってしまいました。
空玄好きです。包容力ぱねえっす。
でも玄奘ちゃんにはその包容力を包み返して頂きたいです。
*Back*
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