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●もうひとつ |
食べ物には美味しいものと美味しくないものがあって。
人には、お師匠様とそうでないもの、以外のくくりもあって。
されて嬉しいことと嫌なこともそれぞれあって。
そんなことを、僕に全部教えてくれたのは、お師匠様。
「お師匠様、何か怒ってる?」
振り返ったお師匠様の顔は、何かを訴えているよう。あ、そうか。
「……玄奘?」
「別に、怒ってなどいません」
呼び方を変えてようやくもらえた返事は、すぐに嘘だとわかるもの。
玄奘を好きな僕だからじゃなくて、玄奘は思っていることがすぐに分かりやすい性格をしている。隠し事に一番向いていないタイプの人間。
僕以外に玄奘の考えていることがわかるなんてすごく嫌だけど、こればかりはどうしようもない。
「だって玄奘、不機嫌そうな顔、してる」
「……っ、そっ、そんなことありません。私は至っていつもどおりです」
「ううん、違う」
「違いません。自分の顔のことは、自分が一番知っています」
「ううん。だって僕の方が、玄奘より玄奘のこと見てるよ?」
そんな当然の事をいったら、玄奘の顔が真っ赤になる。今日の玄奘はどこかおかしいと思いながら首を傾げると、じとりと恨めしそうに見つめられたのち、何かを諦めるようにため息を零された。
「玄奘?」
「いえ、いいのです……すみません玉龍。確かに少しばかり、気持ちが落ち込んでいました」
決して怒っていたわけではないのですよ、と、僕を安心させるように微笑んだ玄奘の顔はやっぱりいつもと違うから、歩き出そうと背を向けた玄奘の腕をきゅっと掴んで引き止めた。
「ぎ、玉龍? どうしました?」
「何があったの。言って、玄奘。誰かが玄奘をいじめたのなら、僕がそいつを消す――のはよくない、から、少しだけ痛めつけるだけにする」
「ええと……ものすごく色々と気遣っていただけているようですが、どんな理由があろうとも人様を傷つけるのはいけませんよ?」
「だって玄奘」
「本当に、なんでもないのです」
納得いかなくてじっと玄奘を見つめたままでいたら、段々と玄奘の視線が居心地悪げにおろおろと彷徨い始める。玄奘はいつだって僕に色々なことを教えてくれるけど、時々背伸びをしてまで僕を導いてくれようとするってことも、知っているから。
「玄奘」
いつもいつも僕を導いてくれて、助けてくれて、人の理も人として当たり前の感情も沢山教えてくれる玄奘に、僕が出来ることは彼女を守ること。いつだって笑っていてくれるように。
だからもし、何かが玄奘を苦しめているのだとしたら僕はそれを許さない。妖仙からただの人間になった僕の持つ力は限られているけれど、そんなことだって関係ない。
玄奘が少しでも悲しい顔をするのは、いやだ。
話してくれるまでこの手を離すつもりはないのだと、訴えるように玄奘を見つめていたら徐々にその顔が赤くなっていく。さっきと同じ位、否、それよりももっと。
「……の、です」
「玄奘?」
「ですから! ……やきもちを、焼きました」
ようやく耳に届くくらいのボリュームで聞こえたその言葉は、中々僕には理解出来ずにいた。
「……やきもち?」
「嫉妬、です」
それくらいは分かる。分からないのは、どうして玄奘がやきもちを焼いたのかってことの方。それと。
「……誰に?」
「え?」
「誰に、嫉妬したの? どうして?」
僕はいま、どんな顔をしているだろう。
(だけど、玄奘)
嫉妬は、自分の願い事を自分では叶えられなくて、誰かが目の前でかなえた時に覚える感情だって。
そしてそれは、誰かを大切に思ったり、好きだと思ったりした時に起こることが多いって。
玄奘と出会ってから僕自身が覚えたその気持ちを、今玄奘がしてるって言う。つまり、玄奘には嫉妬する相手がいるってことだ――僕に関係のない、誰か。
「玉龍?」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す玄奘はきっと、悪くない。でも、だけど、いやだ。
「玄奘の一番は、僕じゃないの?」
胸がざわざわする。なんだっけこの感情。
(ああ、そうだ)
これがその、嫉妬だ。
「あ、当たり前です! だから、やきもちなんてものを焼いてしまったんじゃないですか!」
玄奘が僕を一番に選んでくれて、僕にとっての一番も全てにおいてそうなんだって伝えあってから遠ざかっていたはずのその感情を持て余していた僕に、玄奘が言い放ったのはその一言。
ああ、今のなら分かる。僕はきっと、すごく馬鹿みたいな顔してる。
「え……?」
僕から見えるのは、真っ赤になった玄奘の耳だけ。玄奘の顔は、右斜め下に向けられたまま、僕の方を向いてくれていない。
「私の方の買い物が早く終わったものですから、あなたの分を手伝おうと思ってあなたの後を追いかけたのです。そうしたら、その……随分と、店の方とにこやかに話しているものです、から」
いつもの玄奘らしくない、ぼそぼそと独り言めいた言葉を必死で僕は理解しようと頑張ってみる。玄奘は僕が好き。だからやきもちを焼いた。その理由は、僕がさっきの店でお店の人とにこやかに話をしていたから。
「別に、普通に話していただけ」
相手が男だったか女だったかすら覚えてない。親切な人だったとは思う。僕が何を買いたいのかを聞いてくれただけじゃなく、その目的も一緒に聞いてくれて、ならこっちのほうがいいわと教えてくれた人――ああ、そうだ、女の人だった。
頭の中が混乱する。どうして玄奘はやきもちを焼くんだろう。だって僕の一番はいつだって玄奘で、それはちゃんと伝えてる。何よりも大切で、ずっと一緒にいたいって、なのに、どうして?
「わかっています。ですから、あなたもあの人も悪くなくて、これは私の気持ちの問題ですから気にしないで下さい玉龍」
「無理」
掴んだ手を引き寄せて、玄奘との距離を詰める。少し慌てたような声が聞こえたけど、それどころじゃなかった。
「どんな理由でも、玄奘がそんな顔をするのは嫌だ。教えて玄奘、僕はどうすればよかった? 教えてくれたら、もうしない。絶対、二度と玄奘にそんな思いさせないから、だから、教えて」
「ぎょ、玉龍」
「僕は玄奘が大切だから、悲しませたくなんかない。ちゃんと一番なのに、どうして玄奘がそんな顔するのかがわからない。わからないから、そんな顔、するんでしょう?」
出会った時よりも視線の位置が遠くなったのは、僕の背が伸びたせい。だけど、心の距離まで離れたくなんかない。
少しは学ぶことを覚えたと思っても、いつも大事なことは玄奘に聞いてばかり。情けない、とも思うけれど、かっこつけて玄奘を悲しませるくらいならかっこ悪くてもいい。
「ちょ、ちょっと待ってください玉龍。本当に、あなたは何も悪くないのです」
「でも、僕のせいでそんな顔をしてるんでしょう?」
「そうです。でも、それはあなたを好きだからこうなるのであって、ですから、私の問題なのです」
自分以外の人に優しく接せるようになったのはむしろいい事なのだと玄奘は言う。
しかもそれが無意識ならば尚更だと。
まだ赤い頬のままだけど、玄奘は真っ直ぐに僕を見てくれる。そして、まるで自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「私はあなたの師匠として、あなたに様々なことを教えてきました。あなたは戸惑いながらもそれを柔軟に受け止めてくれて、そうして今があるのだと思っています。そして私はそれを、とても誇りに思います」
「でも……」
それで玄奘が悲しむのなら意味がないと続けようとした言葉を、玄奘が視線で遮る。
「けれど、あなたが思ってくれるとおり、あなたの恋人である自分としては、複雑な面もあるというのが正直なところです。あなたが周囲と打ち解けてくれて嬉しいと思う反面、その対象が他の女性ともなれば複雑にも思うのです」
わからない。どうして、どうして複雑に思う必要があるんだろう。
(だって僕はずっと、玄奘だけなのに)
戸惑いが顔に出ていたんだろう。玄奘が笑う。ちょっと前の、無理したような笑顔ではなく、いつもの柔らかい笑顔。
「あなたの気持ちを疑っているわけではないのです」
「じゃあ、どうして」
「私にもわかりません。理屈ではどうにもならないことが、誰かを好きになることなのだともう諦めるしかないのです」
想像してみてくださいと玄奘は言う。もし、逆の立場だったなら、と。
だから想像してみて――すごく、悲しくなった。
「ああ、そんな顔をしないでください」
玄奘が慌てたように僕の身体をきゅ、っと抱きしめてくれる。人通りのない裏道とは言え、いつもの彼女なら考えられないような行動。
でもそれで僕は随分と気持ちが和らいで。だから。
(ああ、そうか)
「わかった」
「え?」
抱きしめた腕の力を抜いて、見上げるように玄奘が僕を見る。そこにはもう不安そうな、怒ったような色はほとんどない。ないけど、まだ少しだけはあるから。
「玉――――っ!?」
身体を屈めて、鼻先に口付ける。びくりと震えた身体を逃さぬように、両腕で腰を攫った。
「ぎょ、玉龍、一体どうしたのですか!?」
「不安になったら、安心させてあげればいいんだ」
苦しくないように気をつけながら、細い身体を抱きしめる。驚いて硬直したままの身体を優しく撫でながら、今度は頬に口付けた。
「ぎょっ、ぎょくっ」
「まだ、不安?」
「いえっ、あのっ、なんっ、え、ええ!?」
「すき。僕は玄奘だけが大切」
信じていても不安になるなら、つながりが広がることで彼女が寂しい思いをするのなら、僕がそれをうめてあげればいい。
そういう、ことでしょう?
何度も口付けて、何度も好きと繰り返す。僕の腕の中で慌てていた玄奘が、少しずつ静かになっていく。やがて僕も黙って、ただ抱きしめた玄奘の温度だけを確かめる。
「安心した……?」
こくりとうなずいた頭に頬を寄せて呟いた。今の僕の顔も、どんなのだかわかる。きっと、すごく幸せそう。
「僕もだよ、玄奘」
玄奘が教えてくれたことの中で、一番わからないことが多いのがこの恋というもの。
好きにも色んな形があって、好きは好きでしかなかった僕は随分と悩んだこともあった。けれど、わかってしまえば答えは簡単。それが、恋。
恥ずかしそうに身体を離した玄奘は、暫く視線を彷徨わせてから軽く咳払いをした。真っ赤なままの頬が可愛いなんて言ったら、怒るかな。
(ああ、でも、やっぱり言いたい)
「玄奘、可愛い」
胸の中のあたたかい気持ちが溢れて言葉になる。そんなこともあるんだって、それも玄奘が教えてくれたこと。
「あなたも、言うようになりましたね」
「そう? だとしたら、玄奘のせい。僕がこうして生きてるって感じられるのは、全てあなたのおかげだから」
「私も、随分とあなたに教わりました」
予想もしなかった言葉に目を見開くと、玄奘が苦笑する。
「さっきも言いましたが、理屈ではどうにもならないことが多すぎるのが、恋というものなのですね」
一緒にいる時間がこんなにも幸せだからこその、代償でしょうか。
そういって笑う顔は、とても幸せそう。
「僕と一緒?」
「ええ、一緒です」
僕が玄奘の為にしてあげられることは、守ることだけ。
そう思ってたけど。
(もう一つ、あった)
どちらからともなく手を繋いで歩き出す。大きな荷物は僕の左手に。小さな荷物は彼女の右手に。そうして僕の右手と、玄奘の左手を重ねる。
彼女の歩調に合わせながら歩き、玄奘を見ればその顔は笑顔で。
(守る、だけじゃなくて、つくることもできるんだ)
玄奘がいつも幸せでありますように。そして僕は、いつだって彼女を笑わせられる存在でいられますように。
沢山のものを玄奘に返していけたらいい。
これから共に過ごす時間をかけて、ずっと。
Fin
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Comment:
初書き玉玄。
なんで玉龍一人称にしてしまったんだろうと首を傾げつつ、
久しぶりの糖度に自分でごろごろごろごろ。
この二人……。
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