** Happy C×2 **
 ● 名前を教えて

 ミズホの村には、というよりも先に、シノビのものには、という決まりがある。

「なあなあしいな〜」
「なんだい気持ち悪い声だして」



 大体この男がこういう声であたしの名前を呼ぶときは、決まってロクな話題じゃないんだ。だから条件反射のように身構えて予防線を引くと、ゼロスは珍しくちょっとだけ傷ついたような顔をして『ひでぇなあ』とつぶやいた。だからあたしの胸もちくりと痛んだけれど、今更謝るのもなんだか気まずくて、ふいと横を向いた。



「恨むんなら、日ごろの自分の行いを恨むんだね」
「え〜?俺さまなにも恨むようなことしてないでしょ」
「どの口が!」





 ゼロスがあたしにちょっかいをだして。
 あたしが怒鳴って。
 更にゼロスが火を注ぐようなことを言ってあたしの手がでて。
 それがいつものパターンで、この日だってそうしようと思って、そうなるだろうと疑いもしなくて。



 なのに。







「しいな」








 振り上げようとした拳の行き先も、怒鳴りつけようとした言葉の数々も、呼ばれた声の響きにテンションのゲージを無理やり下げられる。
 ゼロスが本音を垣間見せるときの、声の響き。






(何だってんだい)







 くん、と、呼吸が喉の変なところでひっかかる。
 ゼロスは黙り込んだあたしを見て、ふ、と少しだけ唇の端をあげると、そっと手を伸ばしてあたしの前髪に触れた。



「な、なんっ、何っ!?」
「まじめに聞いて」




 すごい、湿り気を帯びた声で。
 大体いつもふざけてるのはあんたじゃないか。
 あたしはいつだって真面目に話してるのに、あんたが話をねじまげたり変なところだけを拾い上げたり。だからいつだって変な方向に話がそれて。




 そう、言ってやりたいのに。






 男のくせにきれいな、たぶん、あたしよりも綺麗な指先が斜めに流した前髪をつまんで。ほんの少しの力なのに、まるで全身を拘束されたみたいに動けなくなる。
 変な術でも使われたのかと思うほど。










「しいなの、名前教えて」













 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 今考えれば、ああ、あたしって本当に鈍いんだな、って思うんだけどさ。
 だってあたしはゼロスの前でも、それこそロイドたちの前でもずっとずっと『しいな』以外の何者でもなくて、だから急にゼロスにそんなことを言われても、何を言ってるんだろうとしか思えなかった。

 返す言葉が見つからずに、左目はゼロスの手に阻まれて見えないから、右目だけでまっすぐに赤い髪を持った男を見返す。暗い灰青色の瞳が、あたしのどんな反応も見逃すまいと、じぃと見てるのがわかったけど、本当にどうしていいのかわからない。





「多分、名前聞いても しいな は しいな なんだろうけどさ」
「…………」
「俺さま以外のヤツが知るなんてこと、許せそうにないし?」








 し?、と、言葉の語尾をあげて。
 逃げる隙もない位のスピードで、掠めるように触れた唇の温度で。















(名前…………?)
















 シノビのものは、『本当の名前』がある。
 そしてそれは、生涯の『  』にしか教えないもの。






『この村の人間になれば、話は別だがな』






 昔、初めてミズホの村に来たとき、副頭領がロイドに言った言葉。
 何言ってんだい、と、あたしは言って……言、って。













(――――――――!!)
















「なっ、なっ、何馬鹿なこと言ってんだい!!」
「プロポーズした相手に、馬鹿はねぇんじゃねぇ?」
「馬鹿なことお言いでないよ!」




 ゼロスの言葉の意味がわかったとたん、どうしようもない熱が急激に身体を支配し始める。
 そして言葉の真意をはっきり示したゼロスにあたしは横殴りのパンチを入れようとして、前髪をつまんでいる方とは逆の腕で、それを阻まれた。




「殴るのは、もっとナンセンスだと思うけどな」
「…………っ」



 

 あたしの拳を包み込んだ手のひらが、じりじりと変な痺れをあたしに与える。
 固唾をのむ、っていうけど、本当にそうなんだってくらいあたしの喉はあたりまえの行動すら痛みを伴うほどにおかしくなった。
 たった、たった一言のせいで。

 ゼロスは受け止めた手をそのまま自分のほうへと引き寄せると、あたしがいつもしている黒い手袋の先から出た指先にそっと口付ける。何をするんだと怒鳴ろうとして、それすら出来なくて。ぎゅう、と、血が出るほどにその手を握り締めることしか出来なかった。




「返事は?」
「……っ、ぁ」




 こういう時ばかり、慣れない『本当』で、あたしの『本当』を求める。
 あたしがそうした時なんか、ちっとも返してくれないくせに、あたしにばかり自分の都合でそれを強制するってのは狡すぎじゃないか。

 口元は笑ってるくせに、瞳が笑ってない。
 滑稽なほどに赤くなった、シノビの者らしくない、あたしが映ってる瞳が。





「あ、たしは、次期頭領なんだよ」
「ああ、らしいな」
「それがどういうことだか、わかってるのかい?」





 あんたは神子で。あたしはミズホを継ぐもので。
 互いに、譲れないものを持っているもの同士じゃないか。





 何が言いたいのかわからない。だけど、言わずにはいられなかった。
 それ以上はうまい言葉が見つからなくて、あたしはただ黙ってゼロスの反応を待った。

 多分、情けない顔をしていたと思う。ゼロスがどちらの言葉を言っても、あたしは頷けないんじゃないかと思った。
 そのくせ、じゃあどうしたいという考えもまとまらなくて、気持ちも追いつかなくて、情けないったらありゃあしない。





「じゃあ、聞くけど」





 あたしの前髪を解放し、その指で自分の髪をうるさげにかきあげるのを隙と見て、あたしは数歩、距離を取る。
 元々バンダナで上げた前髪から覗く眼差しが、余計に鋭くなった気がした。そしてそれはきっと、気のせいなんかじゃない。




「俺さまは、神子なんだぜ?」
「ああ、そうだね」
「それがどういうことだか、わかってるのか?」




 あんたは神子で。
 あたしはミズホを継ぐもので。


 そんなの。








(そんなの、始めからわかってたよ)








 だけど別に、あたしはゼロスが神子だから好きになったわけじゃない。
 そしてそれはゼロスも同じだろう。
 だけど同じくらい、ゼロスがその名を背負うものだからこそ、形作られたゼロスがどうしようもないくらい、自分の中でかなりの範囲を占めていて。



 それは相反しながらも、決して切り離せないもの。






「しいな」
「……なんだい」
「泣くなよ」
「泣いてなんか……っ!」







 馬鹿なのはあたしだ。





 





 赤い赤いこの男の気性のままの色の髪が、かきあげている指先からこぼれて揺れて。一度だけ強く握ったそれを解放し、腰に手を当てる。
 それからきっちり5秒経った後、あたしに一歩、近づいて。





「俺さまはもう神子を放りだしたりしねーしさ、ましてやしいなにミズホを出ろなんて言うつもりもねーのよ」





 わかってる。
 踏み出せなかったのは、あたしだけ。
 人のためなら踏み出せた足も、自分の幸せのために踏み出す勇気はまだ持てなくて。
 まだ乗り越えてない。足をかけただけ。
 気付かされては、己の不甲斐無さにため息が出る。

 すっかりうつむいた視線の先で、また一歩近づいたゼロスの靴が見える。



「だけどそういう縛りやらなんやらを解放した俺さまたちがさ、そーいうのに囚われるのもどうかと思うわけよ。婚姻を取り仕切ってた教会の連中だってもはや実態を保ってねえし、まあ、だからって全部簡単にいくとは思ってねぇけどな」



 近づいて、止まって。又近づいて。
 もともと無いに等しい距離が、息が触れるほどの距離になる。



 耳の横を通って後頭部にまわされた大きな手のひらが、あたしに顔をあげろと促す。
 無理やり顔をあげさせることだって出来ただろうに、ゼロスはそういう甘やかし方はしないし、あたしもそれを望まない。





「ミズホのしいな、じゃなくて、おまえ自身はどうなの」





 もう遠い昔に呼ばれることのなくなった名前。いまじゃ しいな と呼ばれたほうがしっくりくるのが正直なところ。
 だけどあたしの真実の名前は、その人、と会えるときまで眠っている恋心のようなもので。


 くん、と、喉のところで固まっていた息を飲み込んで、伏せたまぶたを持ち上げて、ゆっくりと顔をあげる。
 すぐの距離に見える、 あたし を呼んだ男。






「あんたも大概、欲張りだね」
「そりゃあ今まで散々ガマンしてきたからさ、これくらいは許されるんじゃねーの?」
「あんたが我慢してきたって?はん、ちゃんちゃらおかしいね」
「そーそー、もうすんげえ我慢してきたわけよ。だからさ」

















 名前を教えて。














 



 あたしの。
 あたしだけの。



 あたし を?










(本当に?)










 気が付けば、身体に沿うように両サイドで握り締めていた手に気が付いてちょっとおかしくなって笑う。
 それから、その手をあたしの意思で持ちあげて。
 目は逸らさずにただ、 そうなる人 を見据えて。




 ――あたしの人生、あんたに賭けてみようじゃないか。




 かかとをあげる。
 両手で小さな輪をつくって、赤い髪を耳の後ろにおいやりながら口元を寄せる。

 まだこれもきっと、踏み出せた足の第二歩。
 だけど三歩目からあんたと並んでいけるなら、そう思った時からもうあたしは歩けるんだ。




 小さくつぶやいた言葉に、ゼロスの空気がふわり揺れたのがわかる。
 近づけた唇を離して、きっと赤くなっているであろう顔のまま、託した相手を見る。
 そしたら反則だろそれは、ってくらい、柔らかく笑って、でも泣きそうにも見えて。







「声に出せねぇなんて、勿体ねぇの」
「二人だけの時なら呼んでも構わないよ」







 じゃあ、と。




 いつもの声で、初めての名前を呼ぶゼロスに、なんだい、と返事をした。
 本当に久しぶりに呼ばれた名前は、くすぐったいくらいの違和感をあたしにもたらしたけど、同時にどうしようもないほどの幸せな気持ちも運んでくれて。





「ま、頑張ろーぜ?」
「はいよ」






 めずらしく真面目なままのあんたに、いろんな意味で噴出しそうになるのを堪えながら応、の返事を返す。
 そうきっと、きっと出来る。


 
 二つの世界を一つにしたように。
 簡単じゃないけど、それとは又別の方法が必要だけれど。

 きっと。









 あんたとなら。




















Fin



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Comment:

捏造の捏造の捏造なのでほんとごめんなさい。
勢いだけのゼロしい4作目。



20040622up





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