** Happy C×2 **
 ● 強さと弱さ

 もしもあの時に戻れて。同じ選択肢を突きつけられたのなら。
 それでもやはり自分は、あの瞳に負けて同じ選択をしてしまうのだろうと思う。




 (否)





 負けるのではない。自分が、それでも共にいたいと願うから。
 選んだ先に、やはり同じ絶望しかないとわかっていても――それでも。




 『クラトス』




 自分を呼ぶ声を。



















 出会ったのは、それこそ偶然だった。
 共に世界再生を願い、旅立った果てに仲間であるマーテルを人間に殺され、全てに絶望したミトス同様ユアンも、そして自分も疲れ果て、差別の無い世界なと夢物語だと達観することで全てから逃れようとした。



『種族が違うから差別は生まれるんだ……なら、生きるもの全てが無機生命体になればいい』



 姉マーテルが眠る大いなる実りを見上げながら、謳うようにそう言ったかつての仲間に賛同したのは自分。
 希望に燃えた仲間を絶望に叩き落した人間と言う種族に属する自分を、自分の血を、どうしようもなく愚かだと呪いながら、けれど同じ人間としてどこかで赦しを請いたかったのかもしれない。

 しかし目の前で捕らえられ、要の紋もなく肌に直接エクスフィアを埋められた人間は徐々に己を失い、思考を奪われ、やがて異形のものへと姿を変える。
 熟成の時間を待たずに化物へと変わるもの。体内で生成に成功し、取り出すために無理矢理石を奪われ弾けるように変形し、殺されるもの。共に先にあるのは絶対なる死でしかない。



『あはははは……! ざまあみろ……所詮人間なんて、苗床に過ぎないんだ』



 狂気にも似た光を浮かべながら死に絶えた人間を見下ろして笑った『仲間』の姿を、真正面から見られなくなるのにそう時間もかからなかった。
 エターナルソードがある限り、ミトスは唯一の存在で有りつづける。
 デリス・カーラーンの存在、彼の夢見る千年王国は、果たして本当に彼が望むものだろうか。



(違う)



 仮に、それが実現したとてミトスに平安が訪れるなどどうしても思えない。
 彼の安らぎは失われてしまったのだ。そしてもう、それに気付くことも、新たな安らぎを認めることも、不可能だということにクラトスは気付いていた。

 人間である自分でもエターナルソードを扱える方を探す。彼を狂気じみた現実から救い出すために。決してミトスに感づかれることが無いように細心の注意を払いながら。
 人間を監視するという理由で頻繁に地上に降り、牧場と呼ばれるエクスフィア精製所を見てまわる。そこにいるのは、生きたまま緩慢な死を受け入れた、生気のない人間しかいなかった。
 濁りきった瞳。萎えた手足。それ以上に萎えているのは人々の心。
 ディザイアンに言われるがままに動き、働き、鞭で打たれては許しを乞う。胸が痛まないわけではなかった。けれど、小にかまい大を見失うわけには行かないと心を厚い暗幕で覆う。



(何も、ないか)



 一通り建物の中で重要とされる書類や装置を調べ、特にめぼしい情報も得られなかったことからその場を立ち去ろうとしたクラトスの耳に、届いたのは幾分若い少女とも呼べる声。
 激しく聞こえる鞭の音に重なるようにあがる悲鳴は、閉じた心にも鋭い棘となり刺さる。


「やめろ」
「なにも……っク、クラトス様っ!」


 更に打ちつけようと大きく振り上げた腕を掴んだクラトスを睨みつけた兵士は、しかし一瞬の後に青ざめて恐縮する。


「この人間風情が、我々の命令を聞かぬものですから」
「あんなお年寄りをそんな鞭で打ったら、死んじゃうじゃないの!」


 震える声で、それでも凛と言い切った声で風が通る。
 重く、凝った心にふうと通ったそれに、理由もわからずクラトスは瞠目した。
 視線を落とす。床に蹲るように横たわった少女は、それでも顔をあげて恐れもせずにディザイアンを睨みつける。睨まれた男はクラトスの腕を振り切り、なおも鞭を振るおうとして声を荒げた。


「我らハーフエルフに人間風情が!!」
「……っきゃああっ」


 打ち下ろされる痛みを想像し、少女が身体を庇うように小さく小さく丸める。避けるのではないかと思うほどの痛み。それは痛みというよりはむしろ耐えがたい熱で、詰まった息が戻る頃に痛みとなって二重に打たれたものを苦しめる。
 
 けれど、それは彼女を襲うことはなかった。



「やめろと言ったのが聞こえなかったのか」
「し、しかしクラトス様」
「殺してしまっては元も子もなかろう。我々の目的は人間をいたぶることではない、履き違えるな」
「……は、はっ!」



 クラトスの静かな迫力に気圧されたように、鞭を持った男は一例をするとその場を去る。やがてその足音が聞こえなくなったころになってやっと、蹲った少女が信じられない現実を懸命に整理しようと目をきょろきょろさせ、クラトスを見上げた。
 鳶色の髪に、同色の瞳。どこか悲しそうなのは何故だろう。



「……あり、がとう」
「礼を言われる筋合いは無い」



 そもそも自分がこんな目に合うのはどうしてかという理由を突き詰めれば、例えこの一時彼女を救ったからといってなんの助けにもならない。恨まれて然るべき存在である自分に、なぜ目の前の彼女は礼などを言うのか。
 クラトスは今だ座ったままの少女を見下ろす。年の頃は17、8といったところであろうか。本来なら美しく整えられ、太陽の下でその光を反射させているはずの栗色の髪は、いまやくすみ、無造作に一つにくくられた程度。
 肌にも何箇所にもわたる傷が見受けられた。爪は短くそれでも土が入り込み、裂傷を負っているところすらある。たった今打ち据えられたせいで出来たと思われる腕からは、うっすらと血が滲んでいた。


「立てるか」
「ええ、これくらいなんとも……、っ」


 微笑すら浮かべて立ち上がろうとした少女は、しかし目的を達する前にがくりと膝を付く。咄嗟に手を差し伸べて不覚にも傷を負った腕に触れてしまい、短い悲鳴が彼女の口から漏れて響いた。


「っ、すまない」


 苦痛に顔を歪ませる少女に、辺りに誰もいないことを確認して傷を癒す呪文を唱える。
 少女は自分の中にこもっていた熱とともに痛みが引いていく感覚に驚きながら、同時に目の前のディザイアン――しかも上位の――とおぼしき青年の、他とは異なる雰囲気に興味を覚える。
 自分の知っているディザイアンは人間を敵視し、家畜同様に扱う。エクスフィアと呼ばれるつけた者の能力を飛躍的に高める石を製造させるために自分たちを苗床として利用し、けれど過程においてどれ程傷付こうが果てには命を落とそうが、露ほどにも気をとめない連中であるはずなのに。

 鞭で打たれる自分を助け、果てには謝り傷を治す。




(おかしな人)




 「もう大丈夫だろう」


 クラトスの言葉に我に返り、腕を恐る恐る曲げ伸ばしする。そして彼の言ったとおり痛みがすっかり引いていることに酷く感激すると、満面の笑みで微笑んだ。



 「ありがとう、あなた、良い人ね」



 少女の微笑を受けたクラトスは今度こそ言葉を失う。自分が知っている牧場の人間は、皆一様に感情を放棄することで苦しみから逃げていたように思える。そして事実それが正解だともクラトスは思う。
 なのに目の前のこの少女は、殺されるかもしれない恐怖に怯えながらも屈することなく己の意思を告げ、その仲間である自分にありがとうと微笑みかける。


 それは、かつての自分でもあり、ミトスでもあり。



 堕ちた身の自分に、痛いほど眩しく映った。




「……何故だ」
「え?」
「何故、笑っていられる」


 低い声でそう聞かれた彼女は、一瞬だけ押し黙り、クラトスを見上げる。
 どうしてこの人はこんなにも暗い瞳をしているのだろう。なにかを諦めたような、けれどまだ諦めたくないような。

 諦めなくていいと、言って欲しいような。


「だって、泣いても笑っても現状は変わらないもの。だったら、笑ってたほうがいいじゃない?」


 立ち上がり、もはや落ちなくなった埃を払いながら少女はそうはっきりと告げる。


「しかし、どうにもならないことだからこそ、笑えなくなるのが人間というものだろう」
「そうね、でも」



 ふわり。少女は笑う。





「どうにもならないからこそ、笑えるのもやっぱり人間なのよ」


















 自分の名はアンナだと、やはり笑顔で告げた少女が記憶から抜けず、理由を見つけては足を運ぶようになり、自分の名を告げようとして先に呼ばれて驚くのはそれからすぐ。


『だって呼ばれてたじゃないディザイアンに。偉そうな人だな、とは思ってたけど、まさか天使様だったなんて思わなかったわ』


 あなたの名前、わたし一時だって忘れなかったのよと。
 
 自分の心に一筋の風を通した声で、微笑まれた時に何かが動いたのかもしれない。


 罪だとわかっていた。人であることを半ば捨て、永遠に近い時間を過ごしてきた自分が、短い運命を受け入れて懸命に生きようとする少女の僅かな未来を奪うなど。
 そう躊躇う自分に、愛し合うようになって久しい少女は出会った時と同じ、花のような笑顔で笑って見せたのだ。


「馬鹿ね、わたしからあなたが未来を奪うんじゃなくて、あなたがわたしにくれるのよ」


 さあ、連れて行って、と。
 差し出された手を、どうして振り払うことが出来ただろうか。





 人の生にしても短すぎる一生を、終えた彼女を。
 終わらせた自分を、嘆いてもどうにもならないとはわかっていても。






『どうにもならないからこそ、笑えるのもやっぱり人間なのよ』






「どうやら私は人間ほど強くはないようだ……アンナ」



 出会う前と同じように、笑うことが出来ない自分を別の意味で笑いながら小さく小さく呟く。
 これは罰。ミトスの悲しみに同調し、世界を見捨て。
 自分の幸せのためにアンナを道連れにし、世界と引き換えにしたミトスを裏切った自分への。


 アンナと、彼女と自分の子が消えた果てない崖をそれでも駆け下り、獣に食い散らされた追っ手であったディザイアンの屍を無表情に見下ろしながら、クラトスはただ一度だけ、透明な雫でその頬を塗らす。
 笑うことなど到底出来ないと、悲しげに笑いながら。














Fin




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捏造もここまでくれば拍手ものだと。
片瀬的アンナさんはこんなイメージです。




20040519up




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