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● 夜空見上げて |
最初は何だか肌がかさかさするな、と思っただけだった。
ここがあの、生まれ育ったイセリアの村だったら、ゆっくりお風呂につかった後に、保湿効果のあるクアラの薬草でも塗れたのになあ、なんて呑気に思っていて。
(どうしよう)
それが気がつけばカサ付いたと思った場所が、なんだかぶつけた時に出来る痣のような色になり、あろうことかひび割れ始めたのだ。
最初は、左腕の肩。今ではもう、触れても感覚などわからない程に硬く厚く変化してしまった。
コレットはぎゅう、と自身を抱き締めるように膝を抱える。
大丈夫、まだこの腕は動くし、抱き締めた両膝の感触だってわかる。
「コレット、近くに温泉があるそうよ?気分転換にでも出掛けてみなくて?」
先程着いたばかりのこの街で、食事も終わり次の目的地へのルートを確認し終えた頃に、壁に背を預けて座り込んでいたコレットにリフィルがそう声をかける。
跳ね上がりそうになる身体を懸命に抑え、コレットは彼女特有のどこか申し訳なさそうな笑みを浮かべて首を左右に振った。
「あの、ちょっと疲れちゃったみたいで……えへへ」
「大丈夫?じゃあ今日は早めに休みましょうか」
「リフィル先生たちは行ってきてください。せっかくだし、今日は野営じゃないから安心だし……」
「何を言っているの。あなたを置いて行けるわけないでしょう。さ、もう部屋にお戻りなさい」
そっと背中を促すように触られ、『ごめんなさい』と小さな声で零しながらコレットはうつむく。
旅の途中の、こんなささやかな楽しみまで自分は奪ってしまうというのか。そう思うと申し訳なくてやるせなくて、涙が零れそうになった。
「おいコレット、大丈夫か?」
泣きそうな顔で立ち上がりかけた大切な幼馴染みに、やはり同じく大切な幼馴染みであるジーニアスと雑談していたロイドが声をかける。その声を聞いたコレットはこれ以上心配をかけぬ様ににこりと笑う。
「うん、大丈夫だよロイド。心配かけてごめんね?」
「馬鹿、謝るなって」
「ごめんね」
コレットの『ごめんね』は癖のようなものだ。
大丈夫かと聞けば応、の返事と『ごめんね』。
これでいいかと聞いても応、の返事と『ありがとう』と『ごめんね』。
小さいころからそれに慣れているはずの自分でも、たまにどうしようもなくやるせないときもあるけれど。
ロイドはにこりと笑顔を浮かべたコレットに手袋をはめたままの手を差し出す。リフィルはロイドの意図を察してその場を離れたが、コレットは良くわからずにきょとりと首をかしげながらロイドを見上げる。
そのせいでなんとなく気恥ずかしくなりながら、ロイドは見上げたコレットに再度手を前に出し、部屋に行くように伝える。
言外に部屋まで送ってくれるというロイドにコレットが薄く頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。
差し出された手に自分のそれを重ねる。ゆっくりと、けれど確かに伝わってくる彼の熱に、じんわりと胸までもが熱くなって。
潤みそうになる瞳をぱしぱしと瞬かせて、コレットはよいしょ、と立ち上がった。
天使化から人間へと戻ったとは言え、明らかに軽いコレットの身体に思わず『おまえもっとちゃんと食えよ?』と言ってジーニアスのため息を誘う。
以前にも同じようなことをし、『女性に体重の話は厳禁』と言ったのを忘れたのだろうか。
まあロイドに一般的なデリカシーを求めるほうが間違ってるのかも、と小さく零し、ロイドにじろりと睨まれた。
「何かあったら、言えよ?夜中だって駆けつけるからさ」
「うん、ありがとうロイド」
心配かけてごめんね、と。
つい先ほどと同じ言葉を少女は口にのせ、どこか悲しそうに微笑んだ。
もしも。
この身体が、いまこの瞬間にでも、ぱきりとひび割れて、変質し。
自分では、ないものになったのなら。
(こわい)
自分が自分でないものになることの恐怖。
天使化への道を歩いていた時だって、こんなには怖くなかった。あの時は、それ以上に優先すべき、優先したいと思える目的があったから。
そろり、服の襟元から肌を覗く。
覗いて、息を呑んで目を逸らした。
「こわいよ……」
昨日よりも明らかに進んでいる変質。触れることすら怖い。
今はまだ服に隠れるほどの範囲だが、おかしいと思った時から今の状態になるまでの経過を計算すると、隠し切れなくなる時間は、すぐそこまで迫っているように思えた。
一人部屋にいることに耐え切れず、コレットはそろりと足音に注意しながら宿の外へと出る。
そうして、街々に溢れる軒先の灯りをみてほう、と息をついた。
灯りの数だけ命があって、人々が営みを続けている。そう、思うと少しだけ安心できて。
吐いた息が白く空へと昇っていくのをぼんやりと見つめながら、思うのはたった一人のこと。
(ロイドは……どう思うのかな)
自分にとって、大切な大切な少年。
幼いころから当たり前のように隣にいて、当たり前のように『傍』にいてくれた幼馴染。
いつだってどこだって、ロイドがいてくれたから自分は自分でいられた。
けど。
『天使になったって、コレットはコレットだ』
羽が生え、感覚を失い、涙も、声すら失った自分に、それでも迷いなく言い切ってくれた彼は……違う『モノ』になってしまった自分をもそう認めてくれるだろうか。
こんな気味の悪い、緑色の石に変色した自分の身体を見て、眉を潜めそのまっすぐな眼差しを逸らしたりはしないだろうか。
自分の想像に胸がつきりと痛み、小さな拳を胸のあたりでぎゅうと握り締める。
だめ。そんなことない。
それに、今はそんなことを考えている時なんかじゃない。もっと大切なことが他にある。
闇の封印を解いて、マナを分断させて。世界を、二つの世界を救うために。
自分だけじゃない。契約をするしいなが一番大変で。
プレセアやリーガルは互いの微妙な関係に心を痛めている。だけど心配させないように、周りにはおくびにもそれを出したりはしない。
だから、自分だけじゃない。
「しっかり、しないと」
「コレット?」
声に出さないと不安で、小さくつぶやいたのと同時に自分を呼ぶ声が背後から聞こえ、でかかった悲鳴を飲み込む。
振り返らなくてもわかる。どきどきと早鐘を打つ胸を抑えて肩越しに声のした方を振り返り、そしてそこに予想通りの人物を見た。
「なにやってるんだよ、こんなところで」
危ないだろ、と眉をしかめながらコレットの隣に並ぶ。
二人のいるテラスは二階の廊下から誰でも出入り出来るところで、コレットの部屋からロイドとプレセアの寝ている部屋の前を通り角を曲がった先にある。観音開きの木製のドアを開けると同じ素材で出来たテラスが広がり、半円を描く手すりの先からは、やや物足りないとは言えきれいな星空と、街の灯りをのぞむことが出来た。
「ごめんねロイド。その、なんだか眠れなくて」
ロイドにしては珍しく、先回りした細やかさでコレットの方にやや薄手の毛布をかける。いくら温暖な気候の地とは言え、夜は冷える。コレットは決して病弱ではないが、過酷な旅を続けている途中である以上、いつも以上に気をつかってやる必要がある。
口癖である『ごめんね』を言う少女に、ロイドは苦笑いを浮かべて。
彼女の眠れない理由を考え、その数の多さにそれ以上何も言えなかった。
ただ。
「コレット」
「なあに、ロイド」
小さく小首をかしげて自分をまっすぐに見上げる晴れ渡った空色の瞳にどこか落ち着かない気持ちになりながら、ロイドは負けぬよう彼女をまっすぐに見つめる。
いつだって、小さなこともそうでないことも、全部全部自分の中に押し込めてきた少女を。
顔だけをこちらに向けるのではなく、身体ごと正面から自分を見つめる暖かな大地の色をした瞳に、コレットの胸が甘い疼きを訴える。
なんだろう、と、ロイドがそうする理由と自分のこの胸の衝動に首を傾げつつコレットは同じようにロイドに正面を向いた。
「あのさ……困ってることとかあったら、ちゃんと言えよ?」
「ロイド?」
「おまえ、何でもかんでも抱え込むくせあるからさ。大体我慢しすぎなんだよ、ワガママになりすぎんのも困るけど、少なくともおまえはもっとワガママになっていいと思うぜ?」
ロイドの言葉を一度自分で反芻し、それから困ったように首をかしげる。
コレットのその仕草に、彼女の自身の行動を『我慢』だとかそういった類のものと捕らえていないことがありありと見てとれて、ロイドは困ったと言葉に詰まる。
けれど、自分は。自分だけは。
『大丈夫だよ?』
そんな、言葉をそのまま受け止めたりしないで。
コレットの『大丈夫』のラインと、自分が告げて欲しいラインが明らかにかけ離れていることを忘れずに。
「えーと……わたし、我慢なんかしてないよ?」
「嘘付け。さっきだって何か悩んでたろ」
きっと、今までなら見逃してた。おかしなヤツ、で済ませていた程度の、瞳のかげり。
だけどもう後悔はしたくない。自分の鈍感さでコレットの苦しみに気づいてやれずに、手遅れになってからそれを突きつけられるのはもう嫌だ。
そう思うからこそ、捉まえにいく。自分から。
コレットに見えぬ位置で、ロイド自身すら無意識に拳を握る。
「皆に心配かけたくないなら、俺が黙っといてやる。だから、一人で抱え込むな」
大好きな人は、そう言って励ますように笑ってくれたけれど。
表情は変えず、心の中だけで笑顔が翳る。
ロイドはいつだって自分を心配してくれる。本心から、助けようとしてくれる。
(でも)
もし打ち明けて。その表情が驚愕に打ちのめされて、手を、二度と伸ばしてくれなかったら。
「コレット?」
自分の名前を、呼んでくれなくなったりしたら。
(そんなの、いやだよ)
「ありがとうロイド。でもね、本当になんでもないよ?」
「コレット……」
「ちょっとね、心細くなっちゃっただけなの。えへへ、だめだよねこんなんじゃ」
えへへ、と笑って。
大丈夫、ちゃんと笑えてるよね。
笑えていて、どうか。
「……なら、いいけど」
「ごめんねロイド」
何かを言うときに、必ず名前を呼ぶのもコレットの癖。
ここには自分とコレットしかいないのに、それでもきちんと自分の名前を呼ぶ少女。
なんとなく腑に落ちないものを感じながら、ロイドは両手を頭の後ろにやり空を見上げる。
きらきらと小さな光が漆黒の闇を照らすように瞬く。一つ一つの光はか細く頼りなくても、懸命に夜空を照らすものとなるように懸命に呼吸をしているように見えて、それはまるで、広く巨大な何かに立ち向かおうともがいている人々のようにも見えた。
「じゃあ、いてやるよ」
「え?」
「眠れないんだろ、付き合うよ、コレットが眠くなるまで」
ただしうっかり寝ちまっても怒るなよ?と、少しおどけた様子で先に決定を決め込みどかりと木製のテラスに座り込む。
先に寝て、とか、疲れてるんでしょ、とか。諌めたい言葉は沢山浮かぶのに、全部喉で引っかかって言葉になんかならない。
俺、星のことだけは詳しいんだ、と、得意げに笑いながら夜空の星を指差す少年の姿に、コレットは泣きそうな気持ちを抱えて視界を潤ませる。
(ごめんね……だけど、今日だけ)
わがままを。
ロイドの横に同じように座り込み、空を見上げる。にじんだ涙のせいで小さな光はゆらゆらとゆれ、夜空で波打つ。
右の肩にかすかに触れるロイドのそれ。変わってしまった腕が右でなくて良かったと、このときほど思ったことはない。
「ロイド、半分こしよ?」
ロイドがコレットにと持ってきた毛布を広げて、自分が持っている方とは反対の端をロイドに手渡す。
ロイドは素直に礼を言い、コレットとは反対の肩をくるむように毛布を引き寄せた。
「きれいだねー」
「ああ、そうだな」
いつか、もしかしたら明日にでも、このぬくもりを感じられなくなるかもしれない。
自分を呼ぶ声を、聞くことが出来なくなるかもしれない。
だけど、それでも。
「……あったかいね」
「ああ、毛布もってきてよかっただろ?」
あえて否定をせずに、コレットはただ笑う。
「あれがアルトゥース。あっちがスピカ」
指差す先に、オレンジの光。
眼差しに光を映して、どこまでも高く前へ前へ。
「で、あっちがデネボラで、おっきな三角形になってるだろ?」
「わあ、本当だねえ」
にじんで、光が。
三角になんて、本当は見えなかったけれど。
隣から響く声が心地よくて切なくて。それだけで充分。
「夏は夏の、秋は秋の星座があるんだ」
「そうなんだ。ロイドすごい、くわしいね」
「へへ、そうか?じゃあ又季節が変わったらこうして星見ようぜ。俺、教えてやる」
又、の約束。これからの約束。
コレットは小さく笑ってやりすごす。ロイドはそれを了解と取り、同じように笑って再び夜空を見上げた。
肌寒い夜、一枚の毛布。
感じるのは互いの呼吸とかすかな温度。聞こえるのは、心地よい響きの声と、息を吐く音。
願うのは、ただ一つ。
大切で大好きな幼馴染の得意げな説明に相槌を打ちながら、彼の一言一言を記憶に焼き付ける。
今の自分で、今と、これからの彼を。
忘れたくない。覚えていたい。
そして、一日でも長く、記憶を重ねられるように。
Fin
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実はこっそり二作目だったりするTOS。
コレットがいちいち切なくて大好きです。
20040517Up
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