6月19日(金):函館市
【行った場所】
・土方歳三記念館
・碧血碑(へっけつひ)
・弁天台跡
・称名寺(しょうみょうじ)
・(旧函館公会堂)
・(赤レンガ倉庫街)
・土方歳三最期の地碑
先週のイベント前後から体調を崩した片瀬ですが、なんとか人として行動できるくらいには復活したので旅行を決行。
だがしかし。
行きの飛行機の機内で野原さんの鼻がぐずり始める。アカシャ来た。
以降、旅が終わるまでどっちかが具合悪かったり両方ダウンしてたりしますが、そんな描写は割愛します。
ただ辛かった…とだけ呟いてみる。うっ(涙)、北上するほど具合が悪くなるなんて、そんなところまで彼らの真似をしたかった訳じゃないのよ…(号泣)。
函館空港に降り立ち、まずは目的地のうちぽつんと離れたところにある「土方歳三記念館」に向かうかね、と、空港のお姉さんに「啄木小公園行きのバスはどこから乗れますか?」と聞いたところ、「○番から30分に……」って今27分ですがな!!
野原さんとダッシュ。無事に乗れました。
バスのアナウンスは日本語のほか、英語とハングルと中国語。さすが観光地。
割と細かく停車するバスに揺られつつ、空港から15分くらいで目的地に到着。
■土方歳三記念館(啄木さんの記念館と併設です)
■近くの自販機が新選組仕様笑
海の目の前にこじんまりと建ってます。朝も早い(10時前)ということもあり、人は自分たち以外数人しかおらず、ゆっくりと見ることが出来ました。
■館内入り口にある歳三像(ここまで撮影可)。
リアルに多摩のヤンキー仕様でした。
かなり凛々しいというか荒々しい歳三さんです。館内は、どれくらいかな、2階建てで1階が土方記念館、2階が啄木記念館なのですが、うちらのようなマニア(笑)な見方をしても、30分もあれば十分かと。
自分が京都や会津、日野に行っているせいもあると思うのですが、目新しい資料はありません。
が、「土方歳三」に主眼を置いているという意味では独特といえば独特。
しかし資料が揃ってない感は否めませんでした。土方さんを語る上で幕末〜明治の諸々は必須といえど、微妙に京時代の新選組隊士情報がちょろっと混ざっていたり、「頑張って観光地にしあげるぜ!」という印象…でし、た。
時間があれば! って感じです。
ちょっとおもしろかったのは、こちらの売店で売られていた土方さんのポスターが「HIZIKATA」だったんです。
どしても気になったので、「なんでJじゃなくてZなんですか?」とお聞きしたところ、あの当時は「J」は使わず「Z」でざじずぜぞを表していたとのことからだそうです。
「し」も今みたいに「SHI」じゃなくて「SI」だったし、「つ」もやっぱりSは入らず、と言った昔と今の違いにこだわっての表記とのことで、「ふへー」となりましたですよ。
そうか……そうか(みきしん)。
こちらの売店では、友達へのお土産に野原さんが「土方歳三、乗ってます」(よく車に貼り付ける、「赤ちゃん乗ってます」のアレ)を買い笑、私は「土方歳三男前豆腐クッキー」を買い、ネタとして大満足して後にしました。
その後、次の目的地である碧血碑が駅をはさんで向こう側だったので、一旦ホテルに寄ってから行こうということで函館駅へ。
ホテルに荷物を置き、駅近くでラーメンを食べてから移動移動。
■ラーメン、と。
市電に乗り込みつつ、目的地である碧血碑が一番の難関です。
だって降りてから徒歩15分! 市街地から離れた場所にある石碑です。迷ったらどうしよう。
そわそわしつつ、地図と常に睨み合いながら歩く歩く。さすが函館、坂道多い。
そんな最中、野原さんが途中にあったマンションを指差し「MOEに見える!!」といきなり叫ぶ。
正しくは「ME」マンションさんです。ちょっとはしっこがくっついちゃっただけだよね。ていうか何見てるのあなた。
そんなどうでもいい話題で盛り上がりつつ歩く。
要所要所で案内が出ていたので、迷わず行くことが出来たのですが、指し示す先が「…さすが(ごくり)」と思う道ばかりでした。
■こんな案内板と、指し示された道
季節は6月も半ば。そうです、我ら人類の血を糧とするやつらがもりもり活動し始める時期です。しかも山奥。草木は多い茂り、素敵な湿気も立ち込めています。
そんな中に、歩いて汗かいて体温上がってる人間二人が入り込めばもう以下略。
しかしながら、そんな山道歩きつつ奥まった場所に向かいつつ、そんなロケーションであればあるほど、これをこの場所に建てる事の意味がずしんと圧し掛かってきて切なくなったりもしました。
■碧血碑です
会津戦争及び箱館戦争で亡くなった旧幕府軍の慰霊碑です。石碑の字は大鳥圭介氏との説有。
これが建立されるに至った経緯はぜひ調べていただきたいです。「義」ってすごい。人の心ってすごい。
土方さんや中島さんを含む、多くの方がまつられています。
碧血碑と柳川氏の碑
碧血碑とは中国の故事(荘子)に「萇弘は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして. 化して碧と為る」というものがあり、「義に殉じて流した者の血は、三年経つと碧(玉)に変わる」という伝説に因んだもの。
■裏(「明治辰巳実有此事 立石山上叺表歔志」と記されています)
お参りをさせて頂き、暫し思いを馳せる。
今度は実行寺にもお参りに行きたいな、と思いつつ、近くにあったの碑が柳川熊吉さんのものだったと知ったのは戻ってからです(がくり)。
知ってたら…もっと心をこめてありがとうと言いたかった……っ!!
やっぱり事前に調べる時間が足りなかったっていうのが致命的っす。知ってるのと知らないのとじゃ、全く重みとか違うのに(涙)。
あ、碧血碑の最寄駅は「谷地頭駅」で「やちがしら」と読むのですが、片瀬はずっと「たにちず」だと思ってました。一文字しかあってねえ!!
ずっとたにちずたにちず思っていたせいで、その後もずっと「たにちず」と口にしてしまう始末。
刷りこみって怖いよね(ちょっと違う)。
碧血碑から駅に戻る途中、お店の軒先にあった椅子におばあさん二人がお話をしてらしたのですが、連れていたわんこがすんげえこっちをガン見してて、野原さんと二人でメロメロになりつつ誘われるようにしゃがみこんで触らせていただきました。
ちっこいわんこが、前足をえいやと上げてこっちの膝頭に乗せてくるんすよ! くっそ可愛いな!!!
全力でわっしわっし撫で回し、この毛艶の無さは歳のせいかシャンプーのし過ぎかと疑問を頭に浮かべつつ、和ませていただきました。はふーん。
そいじゃ次は称名寺に向かいましょうと、再び市電に乗り込む。
称名寺は新選組の慰霊碑があるお寺さんです。
十字街で乗り換えて、どつく駅方面へ。
この駅名も罠。「どつく」って書いてあるのに「どっく」って読むんだもん! なんなんだ函館笑!
喉も渇いたし、称名寺おまいりしたらお茶しようねーと話しつつ移動移動。
称名寺も坂の上です。えんやこら上ります。
どつく駅のすぐ傍に「弁天岬台場跡」があります。
もう周囲は埋め立てられ、公園になっておりましたが。
ふと、「ああ、土方さんはここに向かったんだなあ」としみじみ。
■弁天岬台場跡。いまではこの説明書きのみが残っています
称名寺へは、最寄のどつく駅から徒歩10分強。かな。女の子がゆったりめに歩くと15分くらいかもです。
■称名寺
近代的なお手水…(なんだか衝撃を受けました)
土方さんら新選組の供養碑は、入って左手にあります。
■案内図と石碑
土方さんの名前がしっかりと刻まれていました(右が拡大図)。
歴史上の人物、というには遠すぎず、かといって身近かと言われればそうでもなく。幕末から明治維新を駆け抜けた人たちの存在って、自分の中でとても整理がつけにくいです。
歴史というには浅すぎるし、しかしながらしっかりと刻まれてきたもので、その狭間にじれじれとします。
過去とか歴史という言葉で消化(昇華)しきれない、こう、なんというかもやもやしたものがあって、まだそこここに生々しいものがあるのに「今(近代)」が上乗せされちゃったというか。
で、そこ(今)にいるのは自分たちで、だからなんか、ここにのほほんといていいのかよと終始そわそわしました。せ、説明難しい!
京都だと、街(土地)全体が歴史になって地域とそれらが調和している感じがするのですが、函館って一件凄くお洒落な港町で、けれどふと道を外れたりするとそこここに戦争の歴史がぽつりと残っていて。
お洒落な港町に、ふいにぽつりと傷跡が残っているという表現が自分的にしっくりくるのですが、今回の旅はその傷跡をぽつぽつと巡っている分、違和感がすごくありました。
異国文化が色濃く混ざっている土地だからこそ、感じるのかもしれないです。綺麗すぎるから。
称名寺のあとは、ガイドブックで近くにあるカフェを探し「菊泉」さんにお邪魔して休憩。
菊、って聞くと沖田さんを思い出す自分。菊一文の印象が強いのかな。
まあそんなこんなで野原さんと二人、沖田沖田言いながら目指すお店。ほんとすんません。
平日ということもあり、すんごいのんびりな散策&休憩タイム。
■お店。門構え可愛い! メニューも可愛い!!
■大正時代そのままの建屋らしいです。
野原さんと二人でうんうん悩み、野原さんが季節のパフェセットで片瀬が菊泉パフェセット。
可愛い可愛い!(季節のパフェの上が、桜をかたどったお餅がのってるのです)
メニューまで可愛い。
この旅唯一(笑)の、二人での写真
甘い味が疲れた身体にしみます。おいちい。
アイスが黒ゴマだったので、結構いい感じで頂いていたのですがやっぱりちょっと残しちゃいましたごめんなさい(涙
でもおいしかった!
しばしまったりし、お店を出た後も近くの雑貨屋さんを覗いたりしつつしばし女の子らしい時間を満喫。
■北海道の景色。見る人が見ればどこだかわかっちゃうはず。
散策しつつもまだ時間があるので、赤レンガ倉庫街のほうをぶらぶらしようかと言うことで移動。
そこでも雑貨を物色したりお土産買ったりと、「ああ、女の子で良かったなあv」という気分を満喫したのですが、展示されていた「金剛丸」(日本−満州を往復していた客船)の模型を発見し、資料資料とばかりにガン撮りしてそんな気分も一気に吹っ飛びました。
だって…左之助さん……。
■そんな金剛丸です
その後、本日最後のイベント、土方さんの最後の土地に行こうと移動。
再び市電に乗って、函館駅前まで戻ります。
■緑地公園内にあります。こんな感じで案内が出ていました。
■全体図と案内板
■最後の地碑
土方さんが最後に無くなった場所については諸説ありますが、一本木関門説も有力な説の一つとなっています。
無論この門は再現したもので当時のものではありませんが。
お花やお線香の一つでも持ってくれば良かったとしょんぼりしつつ、手を合わせてお参り。
とても印象的だったのは、こちらに飾られていた土方さんのお写真の顔が、本当にとても穏やかに見えたんです。びっくりするくらいに。
使われている写真は同じ(有名な洋装のあれです)なのに、顔つきがほんとに違うんですよ。ガン撮りするのはなんとなく憚られたので、載せられずすみません。機会がありましたらぜひご覧になってみてください。
野原さんと二人して、なんか穏やかだね、うんそうだね、とか言い合ってました。
なんかじんわり。
夕方になり大分空気も冷えてきたので、大事をとってホテルへ戻りました。
晩御飯までの時間一休みしつつ、その日の夕食は近くの居酒屋さんへ。二人とも食欲があるのが救いでしたともおにぎりもりもり食った!
このお店で、函館に住んでいらっしゃるアキさんと合流して沢山お話しました。お友達経由で構って頂いていたのですが、ほんとお優しくて気配り上手で嫁にいきてえ…! とか思っただおら。
本を手に取ってくださるだけでなく感想までくださったり、こうして地元の情報をくださったりと感謝してもしたりないです。アキさん、本当にありがとうございました! またぜひ遊んでやってください。
22時にホテルのお風呂を予約していた関係で解散し、戻ったものの野原さんはそのままご就寝。
片瀬のみお風呂を悠々と一人で頂きました。なんという…贅沢(ほんとこのホテル、この値段設定で大丈夫なのか? と、本日○回目の不安が片瀬を襲う)。
お風呂からあがったら片瀬も本日終了のお知らせです。ねんこねんこ。
そんな一日目でした。
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