『春を待つ 雪解けを乞う / 土方×千鶴』
大鳥は、千鶴がどんな思いで土方の後を追い、こんな辺境の地まできたのかを知っている。知っているからこそ、土方のあまりの素っ気無さが目に余るのだ。公私混同をしろとは言わないが、もともと女性に対しては人一倍やさしくあるべきというのが持論の大鳥にしてみれば、逆の意味で公私混同をしているとしか思えない土方の千鶴に対する態度が腹立たしくて仕方ないのだ。
確かに、立場上厳しくあらねばならないのはわかる。それが千鶴を守るという意味でも必要だということも。
だがしかし。
「大体君は、雪村君の洋服が磨り減っているということにも気付いていないだろう。豪奢なドレスや着物を贈れとまでは言わないけれど、自分の大切な人には美しくあってほしいという気持ちすら君は持ち合わせていないかい」
「生憎と俺は田舎育ちなんでな。情緒やら美やらとはほとほと縁遠いんだ」
「あ、でも土方さんは俳句を――」
「余計なこと言ったら叩っ斬るぞ千鶴」
言葉よりも、一瞬で凍りついた空気に千鶴が気圧される。どもりながらもすみません、と謝罪すると、益々大鳥が我慢ならないとばかりに声を張り上げた。
「女性に向けて叩っ斬るだなんて、野蛮にもほどがあるよ!」
絶句した大鳥がくるりと千鶴に向き直り、ふいにその手を取り上げてぎゅうと握り締めた。そしてそのまま半身をひねって土方を見ると声を張り上げる。
「見たまえこの手を! 真っ赤になって可哀想に!」
「ってドサクサにまぎれて手ぇ握ってんじゃねえよ!」
机の向こう側に居た土方が、つかつかとこちらに歩み寄ると強引に大鳥の手から千鶴のそれを奪い取る。千鶴はもうされるがままで、引き寄せられたというよりは引っ張られたと言ったほうが正しい勢いのままに、土方の斜め後ろへと立ち位置を移動させた。
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『唯、君 / 沖田×千鶴』
「陸奥って……どうしてそんなところで」
「色々あるんだよ。何も聞かないで欲しい」
先ほどまで見せていた弟の顔が消え、ふ、と一人の男の顔に戻る。それ自体がもう、前の言葉が決定事項であり唯の報告に過ぎないことをみつに突きつけており、みつは堪らず声を張り上げた。
「そんなわけにいかないでしょう! お願いだからもう、これ以上心配をかけさせないで頂戴。やっと可愛い弟が帰ってきたと思ったら、又すぐ出て行く、しかも陸奥だなんてそんな遠い土地に……はいそうですか、なんて言える訳ないじゃないですか」
「だからってこっちもどうにかできる問題じゃないんだ。ごめん姉さん、心配ばかりかけて申し訳ないけれど、僕たちの事は死んだとでも思って欲しい」
「――っ!!」
総司の言い様にみつの右手が振り上げられた。総司は微動だにせず、小気味いい音がその頬で鳴った。
「……っ、」
「千鶴ちゃん!?」
「千鶴さん!」
みつの手は、千鶴の左頬で音を鳴らしていた。無理な体勢で割り込んでしまったため、みつが思っていた以上の強い力で当たってしまったらしい衝撃に千鶴が一瞬頬をしかめたが、次の瞬間には常の顔を取り戻してみつを正面から見つめた。
「すみません……全て、私が悪いんです」
「違う、君のせいじゃない」
謝罪を口にした千鶴に慌てるように総司が言い、けれど千鶴は結い上げた髪をさらりと揺らしてそれを否定する。悲しいほどに、透き通った瞳で。
「雪村のことに、おき……総司さんを巻き込んでしまいました。お叱りはどうぞ、私になさって下さい」
「ちょっとやめてよ、僕は君を、姉さんに謝らせるために連れて来たわけじゃないんだ」
深く、深く頭を下げた千鶴の肩を総司が掴む。けれど千鶴は顔をあげようとはしない。
事実、自分のせいで総司はあの薬を飲んだ。彼がいくら違う、と言っても、きっかけになったという事実だけは変わらない。
しかもその薬を作ったのは他でもない自分の父親で、それを与えたのは自分の兄。しかも今ではこの身すら羅刹の毒に侵されており、どうしたって普通の暮らしなど望むべくもなくて。
「ごめん、なさい」
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『言霊に愛をそそぐ / 斎藤×千鶴』
「いい娘さんだな」
今更何を言うのかと斎藤の眉が顰められる。それを見た山川が苦笑いをはじけさせ、「誰も取ろうなんて思ってないから安心しろ」と言うが斎藤にしてみれば冗談にもならない。
山川は自分の上官であり、職場を離れてこそこのような口も利けるが斗南藩では大参事(旧家老職)の役職についている。その男が本気で千鶴をと望めば立場上断れるものではない。無論、立場を遵守するかどうかは別の話だが。
「おいおい怖い顔をするな。おまえほどの男がそんな顔をしてまで惜しむ女人となれば、余計に興味が沸くだけだぞ」
「笑えない冗談は遠慮して頂きたい」
今にも抜刀しそうな空気に、山川は笑みを更に苦いものに変えた。常に沈着冷静で感情などはさむ余地なく与えられた仕事をこなす男が、たった一人の女の為に殺気をむき出しにする姿など笑うか笑えぬかどちらかだ。一人の男として、又友として斎藤を好ましく思っている山川は、むしろ千鶴を前にした途端人間くさくなるこの一面をうれしくも思っているのだが切り殺されては堪らない。
「おまえにとって彼女が唯一の女性だということはわかったが、僕はまだトセを忘れたわけじゃない。後妻をもらうつもりはないよ」
その言葉に斎藤の気がふ、と緩み、気まずそうなものに変わる。トセとは山川の妻の名であり、失ってからまだ数年しか経っていない。自分は幸い千鶴を失わずに済んだが、あの激しい戦渦の中では紙一重の差しかなかったはずなのだ。
何かの差で、目の前の妻を失った男が自分となり、逆に妻とつつましくも暮らしている自分が目の前の男となった未来があったはずで。
その差が何か、と問われても答えを斎藤は持たない。あるのはただ結果だけだ。
微妙に暗くなった場を切り開くように山川がはじけるように笑う。ここを責めれば斎藤は黙るのだな、と。
山川殿は人が悪い、と口先では毒付きつつもその思いやりに甘えることにする。正面から何かを言った所で、余計に空気が重くなるだけだ。
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『永遠を君に捧ぐ / 藤堂×千鶴』
ちゃんと笑えてたと思うのに、期待した反応が千鶴からはなかった。むしろさっきよりも悲しそうな、困ったような顔をして考え込むように右手を口元に寄せる。
「千鶴?」
呼びかけに応えるように千鶴の顔が上がる。悔しいことにそれほど身長差のない千鶴の顔は正面よりほんの少しだけ下の位置からオレを見上げ、ようやく探し当てたと言った感で言葉を発した。
「あのね。私きっと原田さんや沖田さんが平助君と同じようになっても、やっぱり同じことすると思う」
だからね、あのね。
「たまたま平助君だったからってだけで……だから、うまくいえないんだけど、あまり気にしないで……?」
言われた言葉に、一瞬固まって。
それが、千鶴がオレに気を使わせないためだってわかってた。こうなったのは結果論で、だからオレが気にすることじゃないって、千鶴が言いたかったのはそれなんだと思う。
わかってるのに、でも、なんか。
「……いやだ」
考えがまとまるより先に、正直な感情が言葉になってぽとんと落っこちた。
「え?」
「ごめん。気を遣ってくれてるってわかってんだけど、やだ」
血を飲んで楽になったはずの胸が重くなる。千鶴は訳がわからないと言ったようにぱちぱちと瞬きを繰り返し、平助君? とオレの名を呼ぶ。対してオレは、「いやだ」の一点張りで益々千鶴を困らせて。
千鶴の頭から戻した手を襟足にやり、苛立たしさをごまかすようにがりがりとかきむしる。だって何かいやだったんだ。そりゃあ千鶴は優しいし、でも強いからさっき言ったみたいに他の仲間が羅刹になって苦しんでいたらその血を差し出すと思う。それが千鶴で、苦しんでいる左之さんや総司なんかを見て見ぬフリするこいつなんて想像もつかないし、だから言っていることは正しいんだけどでも。
「やっぱ……やだ」
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『犬も食わず / 原田×千鶴』
酔いつぶれて寝てしまった永倉を客間に運び、布団に寝かせる。漸く静かになったと苦笑した左之助は、訪れた二人きりの時間を楽しむべく千鶴を抱き寄せようとしたが、何故かするりと交わされてしまった。
「千鶴?」
左之助の戸惑いを他所に、千鶴は一足先に寝室へと入ってしまった。居間に取り残された左之助は、千鶴の不機嫌の理由がわからずにうろたえ、とりあえず囲炉裏の火をしっかりと消してからその後を追う。
「おい、一体どうし――」
部屋に入って更に驚く。いつもはぴったりと隙間なく並べられている二組の布団が、まるで狭い部屋を全力で活用するように隅と隅に分かれて引かれているではないか。
「千鶴……これは一体何の真似だ?」
「知りません」
取り付くしまもない、とはまさにこのことだ。こちらを振り返ることなく、しかしながらきっちりと正座をして障子に向かい合っている様は、その背中で頑なに左之助を拒絶している。
夕食をとっているあたりからどことなく千鶴の元気がないことには気付いていた。自分も久しぶりにあった気の置けない会話が心地よくてつい千鶴の相手が疎かになってしまった自覚はあるのだが、千鶴はそんなことで機嫌を損ねるような女ではないと左之助は思っている。ならば、不機嫌の理由は何だ。
開け放した襖の前で立ち往生し、しかしいつまでもこうしていても埒があかないと左之助は後ろ手で襖を閉めた。重い空気が出口を一つ失って部屋にとどまり、自分の身を取り巻いているような息苦しさがある。
千鶴は何も言わない。が、先に寝床に入らないあたり自分からの「何か」を待っているように思う。女というのは口では言わないくせに態度に出し、かつ見え見えの嘘をつく。なんでもない、というのならその態度は何だというのか、という正論はこの場合、場をややこしくするだけなので決して口には出さないが。
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『願い、覚悟 / 永倉×千鶴』
その子供は良く働いた。無論子供、しかも女、且つ軟禁状態の捕囚がやることである。良く働くと言ってもその成果は限られているのだが、気がつけば目の端々に止まる子供――雪村千鶴はいつも屯所内を駆け回っては掃除や洗濯、炊き出しの手伝いなどをしていたように思う。
今日も巡察から戻って来てみれば、一部の幹部しか立ち入らない敷地に入ったとたんに千鶴が自分の下に駆け寄ってきた。
「よう千鶴ちゃん。今日も元気そうだな」
「はい! 永倉さんもお疲れ様でした。ご無事で何よりです」
差し出された手に羽織を渡すと、反対の手を出された。ん? 土産ならねえぞと永倉が言うと、違います手拭いはないんですか、と赤い顔で否定され、「ああ」とごそごそと胸元からひっぱりだした。
「っていうかさ、べつにいいんだぜ? 君がこんな洗濯なんかやらなくたってよお」
遠慮がちに出した手拭いを千鶴は当然のように受け取り、羽織と共に抱きかかえながらにこりと笑う。
「いえ、何もせずに置いてもらうなんて出来ませんし。少しでも出来ることがあればお役に立ちたいんです」
小さな背をぴんと伸ばして、まっすぐに自分を見つめてくる瞳に嘘はなかった。心の底から自分の立場をわきまえ、且つ出来る範囲でやれることをしようとする姿に好感を持ち、永倉は無骨な手で千鶴の頭を撫でた。
「千鶴ちゃんは偉いなあ。しっかりしたもんだ」
「わ、永倉さんっ」
無遠慮に撫で回される力は思ったよりも強く、まるで頭を掴まれているように前後左右にぐらぐらと揺れる。気付いた永倉が豪快に笑いながらすまんすまんと謝罪するが、ちっとも謝罪になっていない。
「って新八っつぁん! 千鶴が可哀想だって何やってんだよ!」
響き渡る笑い声によって永倉が帰って来たことを知った平助が屋敷の奥から顔を覗かせると、庭で繰り広げられていたやりとりに目をむいて駆け寄ってくる。
→ to be continued
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