『流転時空 哀』 「あ、そうだ忍人さん。今日兵の人たちが話しているのを聞いたんですけど、葦原で桜の綺麗な場所があるんですって」 季節はずれの話題に忍人が面食らう。いきなり何を言い出すのだろうか。 「全く……君は呑気だな」 「いいじゃないですか。たまには気を抜かないと」 言いながら立ち上がり、汚れてはいないと思うが着物の裾をはたく。一歩忍人へと近付き、昼間よりも暗くなった瞳を覗き込んだ。 「それでね。春になったら桜、一緒に見に行きませんか? 今は季節でもないし、そんなことをしている余裕もないけど、春になればきっと、私達の国も平和になっていると思いますし」 間近に迫った決戦の日。真の敵の力を思えば、決して楽観できるものでは無いけれど、今更後には引けない。 重ねてきた時間の分だけ、失ってしまった命の分だけ踏み出す足の力を確かなものにして未来へとつなげなければならない。 だけど信じている。皆が、忍人がいてくれるならばきっと、踏み出したその先に開ける未来があるのだと。 千尋は笑い、一度言葉を区切る。そして口元には笑みを残したまま、真摯な光を眼差しに浮かべた。 「桜。忍人さんと、みたいです」 いつかいつか、平和な時間が戻ったら。 常に前線に身を置くこの人が、将軍という肩書きを持ってはいても、戦いに赴く必要の無い時間を取り戻せたら。 未来を願って、口にした約束。 (もどせても――は――――ない) ふいに、つきんと痛みが走る。走ったのは、頭か胸の内か。 「千尋? どうかしたのか?」 表情が一変した千尋をいぶかしみ、忍人が声をかける。なんでもないです、と返そうとした言葉は、けれど声になることなく喉の奥で固まってしまう。 千尋自身が戸惑い、救いを求めるように忍人を見た。見て、視線が合って。 「千尋?」 忍人の背後には漆黒の空。まばらに浮かぶ白い星。 (あなたが、私を呼んでくれる声) 青い眼差しが自分を映している。心配そうに潜められた眉根が、自分を思ってくれているのだと分かる。 肩に伸ばされた手を、それが目的を達する前に取り握り締めた。忍人が驚いているのがわかったが、急激に溢れ始めた不安が取り繕うことを許してはくれなかった。 自身の感情に戸惑いながらも、必死で忍人の手を探る。握り締めた手は、温かい。感触を確かめて、それでもそれだけじゃ足りなくて。 桜を見に行く約束。そう、来年はきっと。 (来年なんて、ない) はっきりと聞こえた言葉に、千尋が瞠目する。 (――今のは、何?) 忍人はそれ以上何も問えず、ただじっと千尋を見つめていた。その蒼の瞳が潤み始めたことに気付き、どうしたのだと再度問おうとして。 「――すまない」 無意識に出た言葉は、謝罪の言葉だった。 自分でもわからない。なぜ彼女に謝ったのだろう。 それでも知っていたのだ。彼女が今、涙を流している理由を。 互いに互いの事を分からず、それどころか自分が何故このような言動を取っているのかもわからず。それでも、魂のどこかが分かっていた。このままの運命を辿れば、どんな未来が待っているのかを。 自分の手を握っていた千尋のそれが細かく震え始め、堪らず忍人は自分のほうへと引き寄せると、解いた手で細い肩を抱いた。 → to be continued |