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●晩夏、落陽 1 |
後悔、とは何だろうと思いながら生きてきた。
後で悔いることが後悔と言うのならば、悔いないように生きればいいだけではないか。何故、その酷く単純な事をせずに、己の心に傷を重ねるのか。重いものを積みあげるのか。総司には全く理解が出来なかった。
よく、お前は勝手すぎるだの、もっと周りのことを考えろだの言われるが、他人の為に我慢した挙句、己の何かを後々悔いるくらいならば、そんなものは絶対に御免だ。
自分はやりたいようにやる。やりたいようにしかやらない。
たったそれだけのことを、何故酷く難しいことのように皆口を揃えて言うのだろうか。
「って僕は思うんだけど、一君はどう思う?」
「何故、それを俺に聞く」
屯所を西本願寺に移して早や半年。季節は夏を過ぎ秋へと移ろい始めており、しかしながら京の暑さはその厳しさを緩めることはない。
朝夕の風は涼しさを纏い始めてはいたが、それも気まぐれによってどうとでも転ぶ。実際、その恩恵に与れた昨日とは違い、今日の夕刻はまるで真夏のそれだ。手扇での風など高が知れているが、それでもしないよりはましとばかりに総司はぱたぱたと己を扇ぐが、傍らの男はまるで暑さなど感じていないように涼しげに佇んでいる。
「一番欲が無さそうで、反面一番強欲なのが一君かなって思ったから」
「あんたの言う事は意味がわからん。人に何かを訊ねるなら、伝わるように話せ」
「そう? 思ったままを言ったまでなんだけどな」
「なら、思考そのものに問題があると言うことだろう」
言うね、と、気分を害した風でもなく総司が笑う。この男の思考が常人のそれと異なる事は今に始まった事ではないが、そうと分かっていても意思の疎通が憚られれば一と言えどおもしろくはない。
多少顰められた眉根は、付き合いが長い者のみ分かる程度のものだが、当然総司はそれを理解し、かつ気にもせずに流す。
「そうだね。じゃあ言い方を変えようか。この新選組の中で、一君が一番やりたいことしかやっていないように見えるからさ」
「……あんたにだけは、言われたくない台詞だな」
「あははは、今更じゃないそんなの」
自由奔放傍若無人。かと思えば要所要所での空気を読む能力には長けており、しかしながら元来の性格で読んだものを利用せずにぶち壊す。
上司の命は絶対であるこの新選組においてすら、副長のそれに逆らうなどは日常茶飯事であり、しかしながら局長の名を出されれば、例えどのように汚い仕事でも顔色一つ変えずにこなす。
そんな男に「新選組の中で一番やりたいことしかやっていない」と言われてしまえば、たとえそれが己の中での事実であったとしても、そう易々と首を縦に振れるものではない。
確かに自分の行いは、全て「やりたいこと」になると一は思う。無論、進んでやりたい事かと問われれば「否」と答えるものもあるが、己の志の礎となる行いであれば、どのような任務であれ「自らが選んだ」ものだ。そこには一切の否はない。
総司はそこを捉えて「やりたいことしかやっていない」と自分を評しているのだろうが、ならば事実なれど微妙に納得の行かない感情が生まれるのは当然だろう。何しろ、自分の隣に居る男はあらゆる意味で「自由」な男だからだ。
厭味もこめてため息をつけど、やはり総司には通じない。だからさ、と言葉を続け、かすかに揺れた庭木の葉に、涼風の訪れを期待した眼差しを向けていた。
「君にも、後悔なんて言葉は似合わないなって思って。だってさ、後悔なんて言い訳じゃない? 後になって、あの時こうすればよかった、だとか、なんでああしなかったんだろう、なんて、馬鹿馬鹿しくてたまらないよね。そんな愚痴零す暇があるんだったら、とっとと挽回すべく動けば言いだけだし、なんて言うの? 弱者の遠吠え?」
心底忌み嫌う色を双眸に浮かべて鼻白む。脳裏に誰ぞ具体的な人物でもいるのかと思ったが、最近顕著である隊士の増加を考えればそれを特定するのも難しい。恐らく、隊士の増加に比例するように粛清の対象も増加していることから、鬼籍に名を連ねることとなった者たちへの侮蔑の念もあるのだろう。
「総司。気持ちは分かるが既に死んだ者まで愚弄することは無かろう」
「別に? 僕が言っているのは一般論だし。まあ、最近切腹して死んだ隊士にも当てはまるってことは否定しないけどさ。大体、介錯とか検分を押し付けられる身にもなってほしいよね」
己の不甲斐なさが原因で死ぬのならば勝手に死ねばよい。他人に迷惑をかけるなというのは至極真っ当な言い分ではあるが、この男が言うと酷く自分勝手に聞こえるのは何故だろうか。
実際、介錯はともかく検分役は幹部職が勤めることが多い。ほんの数刻前までは仲間であり人であったそれが、一瞬の後に「もの」に変わる。その、変わったかどうか、を見定めるのが検分役だ。決して楽しい仕事ではない。
だが総司の不満は、楽しい楽しくない以前の、「面倒か面倒でないか」に端を発している。だからこそ一が眉を顰めるのだが、今更それを改めさせようとしたところで無駄だと分かりきっているし、寧ろこの時世においては総司のような者の方が幸せであるのだろうとも思う。
さわり、と再び庭木の枝葉が揺れた。漸く姿を現し始めた涼風の恵みを感じ、総司の眼差しが細められる。
「僕は、後悔するくらいなら死んだほうがましだ」
そんなみっともない姿をさらすくらいなら。己を、過去を悔いるような道を選び歩いてしまったというのならば。
「かっこわるいよね。ぐちぐち言いながらそれでも生きてくのってさ。ああ、別に切腹を推奨してる訳じゃないよ? でも、問題があれば理由の如何に関係なく腹を詰めろって言っちゃう、あの人の単純さ加減は嫌いじゃないけど」
「総司」
「だからさ」
向けられた非難めいた眼差しをさらりと交わし、吹き始めた風に前髪を揺らしながら総司が空を見上げる。夕刻とは言え、まだまだ青々と透き通る晩夏の空を。
「僕は、僕の生きたいように生きる」
あの人の剣として。ただ、それだけの存在として。
総司の言葉に含みを感じ、一の睫がわずかに揺れる。その揺れがなによりも、一が己の身に巣食う病魔の正体を知っていることを表しており、だからこそ総司は笑った。
「浪士組として京に上がったときも、会津公から新選組の名を貰ったときも言ったよね。僕は近藤さんの為に、刀で在り続けると」
それを今更、己の命惜しさに止め様ものなら、それこそ死んでも死にきれない後悔となるだろう。
そしてそんな後悔をする位ならば、自ら死を選ぶ――つまり、この足を、手を、剣を止めるつもりなどない。
「…………」
笑みを浮かべた、柔和とも評せる顔に浮かぶ眼差しだけが、夏の空よりも深く透明に透き通っていて。
形は違えど同じ志を抱くものとして、一に否の言葉などなかった。だが、何のてらいもなく肯定出来るかといえばそうではない。けれど幾つ言葉を並べたてたところで結局、総司も、自分も選ぶ道は決まっているのだ。
「俺も」
ぽつりと一が零す。総司の眼差しが、庭の新緑を映して揺れた。
「俺も、後悔などは死んでも御免だな」
だからこそ、この答えを、道を選ぶのだろう。
例え心交わした相手を斬れと命じられても、己の矜持を捨てろと言われても、心の内の、一番最奥にある「それ」を守るためならばどのような血泥も喜んで被るだろう。
黒衣に白い布で頸部を覆った男が発した言葉に、総司の口元が緩やかに弧を描く。
「君なら、そういうと思った」
だから、一君に聞いたんだよと。
呟かれた言葉は、唯一総司が見せた心のほころびだったのかも知れない。
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