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●ほころびひらく花 1 |
近藤に声をかけられたのは、年の瀬も迫る大晦日の夜だった。
日頃、女人の部屋にはよほどの事がないと立ち入るべきではない、との信条の元、近藤は滅多に千鶴の部屋を訪れない。よっぽどの用がある場合には、別の人間が千鶴を呼びに来て、千鶴が近藤を訪ねるという場合がほとんどだ。
襖越しに入って良いかと問われ、無論応、の返事を返すと、悪いが手がふさがっているので開けて欲しいといわれる。何事かと言われるがままに襖を開ければ、確かに両手に桐の箱やら他の小箱やら包みやらを沢山抱えた近藤が立っていた。
「すまないな、こんな時分に」
「いえ、それは構いませんけど。どうなさったんですか?」
近藤に座を勧め、襖を閉める。近藤は抱えていた荷物をぎこちない仕草で畳へと置くと、得意げな笑みで千鶴を見た。
「明日から正月だろう。そこでだ、折角の正月なのだし、その、雪村君もいつも男所帯で気の毒だと思ってな」
千鶴が否定の言葉を紡ぐよりも早く、よほどそれを千鶴に見せたかったのか近藤が桐箱を開けろと急かす。おずおずと手を伸ばし、しかしその形からまさかとは思ってはいたのだが、実際にそれが現れた時には千鶴も言葉を失った。
「どうだ! 綺麗だろう」
「ええとても……でもこれ、どうしたんですか?」
「ちょっとした伝があってな。借り物ですまないが、明日一日これを着て過ごすといい」
「え!?」
予想外の言葉に驚きの声を上げるが、近藤は満面の笑顔でこくりこくりと頷いている。久しぶりの女物の着物、しかも振袖。年頃の娘としては当然嬉しいのだが、今の立場を考えると諸手を挙げて喜ぶことは出来ない。
それに、こんな姿で屯所をうろつこうものなら他の隊員の目に着くだろうし、部屋にこもるならこもるで、振袖は正直楽な格好ではない。
「ああ、明日だが一日外でゆっくりしてくるといい。新年の挨拶で隊の皆が一同に介している隙に、裏門からでも出ればバレやしないだろう」
「でも」
「勿論、誰かしら護衛はつける。だから明日は安心して一日羽を伸ばしてくるといい」
躊躇する千鶴は想定内だったのか、矢継ぎ早に時分の不安を消して行く近藤に千鶴の胸が熱くなる。
いいのだろうか。こんな大変な時に、自分だけこんな良い思いをしても許されるのだろうか。
「ん? どうした、雪村君」
だけど、折角の気持ちを無駄にするほうが申し訳ない。
千鶴はにこりと笑い、深々と頭を下げた。そうでもしないと、うっかり泣いてしまいそうで。
「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」
「そうかそうか。そもそも女子が女子らしい格好でいられないということ自体、君には申し訳なく思っているんだ。罪滅ぼしと言うつもりもないが、せめて明日一日は、楽しんで欲しい」
折角の正月だしな、と、からから笑う近藤は本当になんてあたたかな存在だろう。
有り難く好意を受け取り、目の前の振袖を改めて見る。今までだって袖を通したことがないような立派な仕立てと生地に萎縮するが、華やかな女性らしい色合いに心が躍る。
「1人で着られるだろうか。無理ならば誰か頼むがどうする?」
「多分大丈夫だと思います」
着物を着なくなって数年。だが、長年の経験は身体に染み付いているはずと返事を返す。
無論華やかな帯結びは無理だろうが、着崩れないだけの着付けは出来る自信がある。
「俺たちは君の華やかな姿を見ることは出来んが、せいぜい楽しんできてくれ。では、明朝部屋で待っていてくれれば迎えを寄越す」
「はい! 何から何までありがとうございます」
含みのない笑顔を向けると、近藤が満足げに頷いて同じような笑顔を自分に向けてくれる。
そうして、用は済んだとばかりに足早に立ち去り、千鶴の部屋には晴れ着に必要な一式が残された。
「お着物なんて……久しぶりだわ」
汚れているはずなどないのに手を袴でぬぐい、そっと生地に触れる。襦袢にはきちんと半衿が縫い付けられており、しかもその色は千鶴の年頃らしい赤色だ。そんな細やかな気使いが嬉しい。もっとも、近藤がこの辺りを得手としているとは考えづらいので、着物を貸してくれたという相手方の気遣いだろう。
上手く着られるかどうか、と、髪結いを着物にふさわしく出来るかどうかだけが不安だったが、いつも以上に早起きをし、奮闘した成果はきちんと現れた。自室にある鏡は小さく、全身を確認するには心もとなかったが恐らくの問題はなかろう。
ただ残念だったのが、結い上げる髪が少なく、用意してもらった簪を使えなかったこと。毛たぼがあればなんとかなったのだろうが、こればっかりはどうしようもない。
新選組の世話になるようになってからはずっと高く結い上げていた髪を、左耳の下で一つに束ねる。結局いつもの髪紐で飾るしかなかったが、何もないよりはましだろう。
そろそろ、だろうか。少し前に大分辺りがざわついていたから、近藤が言っていた新年の集会とやらがもう始まるはずだ。その隙に裏門から出ると良いと言われたのだから、いつ迎えがきてもおかしくはない。
誰が同行してくれるかはわからないが、大丈夫だろうか。常に男の格好をしていた自分の、女人としての格好を見ても、変に思われたりしないだろうか。
(変に思われるくらいならいいけど)
最悪、がっかりされたらどうしよう、などと考えてへこむ。
「おい」
「きゃっ!」
そんな時に声をかけられたものだから、千鶴は悲鳴をあげてしまう。襖の向こうの人物は少し驚いたような気配をしていた。
「あ、ごめんなさい」
慌てて千鶴が襖を開け、聞きなれた声を持つ人物を招き入れる。案の定、そこに居たのは斎藤だった。
千鶴は斎藤に向き直ると膝をそろえ、頭を下げた。
「新年、明けましておめでとうございます」
今年も宜しくお願いしますね、と、顔をあげたが斎藤からの返事はない。何かしてしまったかとも思ったが、今会ったばかりなので何もしようがない。小首を傾げ、表情の動かない斎藤を伺うとようやく斎藤の表情が動いた。
「いや……何でもない。こちらこそよろしく頼む」
行くぞ、と促されるままに千鶴が立ち上がる。そしていつもと変わらない斎藤の背中に、ほんのちょっとだけ、寂しさを覚えた。
そりゃ、斎藤から気の利いた言葉をもらえるとは思っていなかったけれど、それでもなんというか、一言くらいほしかったな、とか。それなりに頑張ったんだけどな、とか。
(その一言が似合わないとかだったら嫌だけど!)
だけどだけど。
「急がないと他の人間に見つかってしまう。屋敷を出るまでは急げ」
「あ、はい。すみません」
知らず遅くなっていた歩みを速めて斎藤に追いつく。千鶴が追いつくまで待っていた斎藤は、千鶴が追い着くと再び前を向いて歩き出す。もしかして。
(似合わないとか)
だから、褒めることは勿論出来ず、かと言ってそれを直接本人にも言えないから黙ってるとか。
斎藤さんならありえそう、と、至った考えに青ざめる。江戸に居たころは勿論男装なんてしなかったし、生まれたままの性別で暮らしていたからわからなかったけれど、実は自分は女として決定的に何か足りなかったのかもしれない。それこそ、男装の方がしっくりする程度には。
それか、こんな時に幾ら近藤さんの好意とは言え振袖を纏い、挙句忙しい幹部を付き合わせてまで羽伸ばしなど、ということだろうか。考えれば考えるほど、どれもあっているようで居たたまれなくなる。
「あ、あの、斎藤さん!」
裏口をくぐったあたりで呼び止める。
「今日はすみません。お忙しいのにつき合わせてしまって」
「おまえが気にすることではない。近藤さんの命だ」
「でも、あの、幹部の斎藤さんが新年の集まりに出ないっていうのも、その」
他の隊士におかしいと思われないだろうか、と別の心配をしてみると、そんなものは不要とばかりに千鶴を一瞥した。
「土方さんから隠密の命を受けて席を外すことなどしょっちゅうだ。俺の役割など誰もが知っている。今更気にはしないだろう」
「そう、ですか」
「そんなことより、何処へ行きたい。折角の機会だ、おまえの好きにするといい」
口調から、どうやら本当に怒っていないらしいことがわかる。ほう、と頬が緩み自然と笑みが滲む。
「じゃあ、まずはお参りに行きたいです。それから、斎藤さんさえ宜しければその後市へ」
「わかった」
歩き始めてすぐ、千鶴は巡察や常の護衛と違い、斎藤の歩みが緩やかなことに気付く。千鶴自身、すっかり慣れてしまった袴と久しぶりの着物の裾捌きの違いを実感して戸惑っていたところだったのだが、それにしても歩く速度には不便を感じない。
それで気付いた。斎藤が言葉に出さずとも自分に合わせていてくれたことに。
永倉や平助には悪いが、あの二人が護衛役だったならきっと今頃自分は転んでいたに違いないだろう。ああでも、気付かないだけでものすごく優しいあの二人ならきっと、手など引いてくれるかもしれない。
それはそれでいいな、と、半歩先を行く斎藤の手を盗み見ながら、千鶴は己の考えを真っ赤になって否定した。
浮かれているのだと思う。こんな綺麗な着物なんて久しぶりだから。そして『女子』として目の前に立つのが初めてだから。
斎藤さん。私、女の子なんですよ?
そりゃあいつもは袴をはいて髪を高く結い上げて男の格好してますけど、そもそもの性格だってお淑やかとは言いにくいですけど、それでも女の子なんです。
元日ともあり、混雑している人ごみの中を掻き分けるように境内へと進み、千鶴は鬼気迫った(と、後に斎藤に評された)顔でお参りをする。
どうか、新選組の皆さんが怪我などをしませんように。誰も、命を落としたりしませんように。
そしてどうか、父様が一日も早く見つかりますように。
それから、それから、と、次から次に出てくる頼みごとに集中していると、不意に肩をぐいと引き寄せられた。驚いて顔をあげると、微妙な顔をした斎藤がいる。
「さ、斎藤さん?」
「願いの長さと賽銭の額がつりあっていないように見えるが」
「だってどうせだったらたくさん――」
「それに、後が詰まっている」
う、と息をのみ、そろそろと後ろを伺えば確かに嫌そうな顔をした人たちがわらわらと列を成してる。
多分斎藤もぎりぎりまで見守っていてくれたのだろう。そしてあまりに自分の願いが長すぎるものだから痺れを切らしたのだと千鶴は理解した。
「……ごめんなさい」
しょんぼりと謝る千鶴を見、斎藤の眼差しが柔らかく細められる。気にするな、と、引き寄せた肩にあった手をそのまま下に下ろして千鶴のそれを取った。
「人ごみを抜けるまでだ」
別に、嫌だなんて言ってない。それどころか、逆ですらあるのに。
自らの肩で人ごみを切り、続く千鶴が歩きやすいように道を開いてくれる。
先ほどの笑みと、ごつごつとした手。それから、こういった優しさ。
確かに言葉少なだけれど、言葉以上に仕草や行動で彼の持つ優しさが分かる。それを言えばきっと、与えられた任務を果たしているだけだ、と固い声で返されてしまうと分かっているけれど。
その後幹部の人数分肌守を買い、市に出て甘味屋に入った。そして甘味屋でもやはり幹部の人数分手土産の菓子を買う千鶴に、そんな必要はないと斎藤が言ったが「気持ちですから」と笑顔で返される。
こうしていると本当に、普通の年頃の娘なのだ。少しだけ人が良く、感情が表に出やすいどこにでもいる娘。
自分たちのような人斬り集団と寝食を共にするような運命になった、そういう意味ではとても運の悪い娘。
「? 斎藤さん?」
斎藤が自分を見つめていることに気付き、千鶴が問いかける。すると斎藤はいつもの表情でとんでもないことを口にする。
「いや……おまえも本当に女だったのだな、と思って」
「……思うも何も本当に女ですけど」
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