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●廻りゆくもの 1 |
「祝言を挙げるか」
土方の、戦いで負った傷も癒え、季節が春から夏に移り変わろうとする頃にふとまるで独り言のように呟いた男の言葉に、千鶴の動きが止まる。
夕餉も終わり、のんびりと繕い物をしていたのだが流石に針を指に刺すことだけはしないで済んだことに感謝しつつ、千鶴は自分の聞き間違いかと顔を土方に向ける。向けられた土方は、なんという顔をしているのだと内心苦笑したのだが、そうさせてしまっているのが自分だというのも分かっていたのでそれは顔には出さなかった。
「ここでの暮らしにも目処が立って来たしな。これから一緒に暮らすってのに、今のまんまってのもおかしな話だろ」
「それは……そうです、けど」
あまりに意外な言葉だったので頭がついて行かない。これからの時間を共に生きていく。そのことは疑いようもなくお互いの認識としてあったけれど、それに枠と言うか、世間一般から言葉で表すことの出来るようなものが付くことになろうとは全く思わなかったのだ。
千鶴があんまりにきょとん、と、まるで子どものような表情をするので流石に土方が苦い顔をする。なんだその顔は。この俺と夫婦になるというのがそんなに嫌だとでも言うのか。
眉間に深い皺を刻んだ土方を見、千鶴が慌てて音がしそうなほどに頭を左右に振る。そんなことがあるわけないではないか。
「あの、嫌だとかじゃないですから!」
本当はわかっているくせに、と、いじいじ思ってしまうのだが、例え形だけであっても不機嫌そうな顔をされるのは辛い。
必死に言い募りながら、でもだけど、と混乱は収まらなくて。
「とは言っても大っぴらに出来るもんでもねえから、本当に形だけの祝言になるがそれでもいいか?」
新政府軍に自分が存命していることが分かればすぐに何らかの追っ手がかかるだろう。自分はあの、五稜郭の戦いで死んだことになっている。
本当は、本当にそこで果ててもいいと思っていた。近藤との夢が潰えた時点で己の今生の務め――夢は終わったのだと、ならば潔く果てるのが自分らしいと。そしてそれが命を自分に預けて散って行った仲間への証明だと思って。
無言のままこくりと首肯する少女を、土方は手招きで自分の方へ招き寄せる。おずおずと慣れない仕草で身を寄せた千鶴を抱きしめながら、けれどそう出来なかった新しい理由のぬくもりを確かめる。
千鶴と共に生きていきたいと思ってしまったその瞬間から、新たな道が目の前に生まれて。
目的の為に命を賭けることはまだ怖くない。目的を失うことの方がよっぽど恐ろしい。
けれど、どうしたってそこで『終わり』にはしたくないと今は思う。腕の中の存在を、もっと確かなものとして感じていたい。
志の為だけでなく、日々命を紡いでいく中で見つけた片割れと共に生きていきたい。
自分はどうしても不器用で、きっと何かを見つけてしまえばやはり己の命を賭すだろう。逆に言えば、その覚悟が出来ないのならばもう動くつもりはない。
そしてもしそのような事態になれば、千鶴はそんな自分に文句一つ言う事無く認めてくれるだろう。そうして――それでも共に在ると言ってくれるのだ。ただ、守られることを良しとしない強い魂。力ではない強さがどれほどの『つよさ』になるのかを身を以って知らしめた彼女だからこそ片割れと認めざるを得なかった。
ただ、守りたいだけの存在ではなく。隣を歩いていて欲しいと。
「そうと決まれば善は急げだ。おい、酒と杯持って来い」
「え?」
「ここにゃ掛け軸も島台もなけりゃ鶴亀もいねえが、ま、酒があっておまえと俺がいりゃ十分だろ」
あとは、心意気一つだ、と。
にやりと笑った土方の眼差しが、砕けた口調と裏腹の強さで自分を捕らえるから、逆らえるわけがない。
「土方さんて本当に、土方さんですよね」
「ああ? なーに訳のわかんねえこと言ってやがるんだ。いいからさっさと持って来い」
とてもこれから祝言を挙げる男女とは思えない会話を繰り広げ、それでも千鶴が土間から清酒と、杯を二つ用意する。当たり前だが何の気取りもない質素なものだ。
「これでよろしいですか?」
「ああ、十分だ。っておまえ、杯二つ用意してどうする」
「え? え?」
馬鹿か、と痛くない小突きが側頭部に当たり、千鶴が抑えてる間に土方が酒を杯に注ぐ。
そして注いだ酒を一口飲むと、同じ杯を千鶴へと渡した。
「おら、これの半分飲め」
「は、はい」
酒など生まれてこの方、数えるほどしか飲んだことがない。
そういえば土方とこうして酒を飲み交わすのは初めてで、そういった場所に行ったのも一度きりだったなと懐かしい思い出を辿る。
千鶴が返した杯の残りを一気に土方があおる。次いで、再び酒を杯に満たすと今度は口をつけずに千鶴に渡した。
「一口飲んだら返せ」
夫婦の契りなど、勝手がわからない。何故土方は分かるのだろうと思っていたら、どうやらそれは顔に出たらしい。
「勘違いするなよ。言っておくが俺は初めてだ」
「そこは疑ってません」
「語尾に『多分』が付きそうな感じだがまあいい。副長ともなりゃ、部下のこういった場に呼ばれるなんてしょっちゅうなんだよ。顔が違っても何回も何回も同じ儀式見せられりゃあ、嫌でも覚えるだろうが」
ほら、今度はおまえが全部飲み干せ、と、返して返された杯を言われたとおりに飲み干す。
喉がきゅ、っとする。美味い不味いの前に、その慣れない感覚に必死だ。
「三々九度くらい、おまえだって聞いたこたあるだろ」
三度目の酒を注ぎながら、土方が目を細める。
「別に祝言の時だけじゃねえからな。祝い事っつったら大抵やるもんだ」
言いつつ、注いだ酒に口をつけて再び千鶴へ。要領を覚えた千鶴は、与えられた半分を口に含んで土方へと返杯する。
そしてそれを土方が呷り――かたりと杯を置いた。それを合図のようにぴん、と空気が張りつめたのがわかった。
「土方歳三。只今を以ってより雪村千鶴を妻とし、生涯不義不正を行わず、この命の在る限り共に歩むことを誓う」
久方に聞いた、腹底からの土方の声に千鶴の背が自然と伸びる。
行灯の炎が揺れ、土方の顔を照らす。橙の色が影を濃く落とし、土方が怖いほど真剣な顔をしていることがわかった。
「……雪村千鶴。本日より、土方さんの……妻、となり、一生をかけて」
負けず見つめ返したところまでは良かった。けれど徐々に生まれる実感に心が震えて感情が昂ぶる。
「一生を、かけて」
初めて出会った日。京の小路で刀を突きつけられたあの夜。
初めて見たあなたの、その瞳の奥に揺らめいていた光が何よりもあなた自身を表していたのだと気付いたのはいつだったか。
怒られて。怒られて、呆れられて。
世話ばかりかけて何一つ返せず、それでも離れたくなくて。
せりあがるものを堪えるように、ぎゅ、と拳を握る。ただ黙って待っていてくれる最愛の人から、それでも眼差しだけは逸らしたくなかった。
「あなたのお傍に、控えることを誓います」
言い終えたと同時に零れたものは嗚咽と涙。
溢れたものは、想い。
そしてやはり同時に伝えられたものは痛いほどの熱。
引き寄せられ、気付けば抱きしめられていた。そして強引に上向かされた顔に、ぶつけられるような口付。
呼吸を許さぬほどのそれは、初めての接吻と同じだけの強さだった。
「おまえはホントに……良く泣く女だな」
苦しそうに喉を鳴らした千鶴の唇を解放し、土方がくつくつと笑う。駆け引きを知らない初心な娘の流す涙は、計算で流すそれよりも性質が悪い。惚れた女であれば尚更だ。
ようやく酸素を取り入れることが出来、は、と息を付くと同時にそんな自分を恥じたのかその頬が赤く染まる。それがたまらなく艶めいて見え、改めて千鶴に溺れているのだと土方は自覚した。
千鶴の方は千鶴の方で、土方が自分を見る眼差しに乗る色に気付かないわけではなかった。男の人に綺麗だの、色気だの例えるほうがおかしいのかもしれない。けれどじゃあ、目の前のこのひとが持つこれは、一体なんだというのか。
どくどくと脈打つ鼓動は決して酒だけのせいではない。緊張のせいだけでもなく、だからこれはきっとやっぱり、そういうことなのだろう。
何かを察し、がちがちに身体を固めた千鶴に土方は今晩何度目かわからなくなった苦笑を零す。おまえ、死地に赴くような顔すんな馬鹿、と、軽口を叩いても千鶴の緊張は解けない。
そういや、生娘を相手にするのは初めてだったな、と気付き、だが同時にそれ以前の問題に気付く。
自分の下でぎゅ、っと身体を固くし、けれど懸命に知らぬ世界への恐怖と戦う娘。決してもう、少女とは言えなくなった。むしろ娘ですらなく、女、と評しても良いほどの色香を感じる彼女。
生娘云々以前に、こんなにも愛しいと思って女を抱くことなど初めてだろう。
「安心しろ。優しくしてやる」
「はい」
声が震えている。それすら愛しい。
彼女に触れる最初の男が自分で、自分は初めて心の底から愛しさを覚えた女を抱く。
そんな夜ならば、大層愉快だろう。
再び千鶴に接吻をする。今度は、彼女が怯えない程度に軽くだ。
大丈夫だ、の言葉の代わりに触れるだけの口付を何度も落とす。自分らしくないそのまだるっこさに呆れつつ、だがこれが惚れた女を目の前にした時の自分なのだとおかしかった。
土方の、骨ばった指が、厚い手のひらが自分の身体に触れるたびに熱が生まれる。
一番酷いのが、湿った吐息と唇の触れる場所。別にかまれている訳でもないのに、痛いほどぴりりとする。
まだ服の上からだというのに、触れられて、熱を帯びて、うわ、と思っているその時にはもう別の場所にそれが移っている。なにもかもが追いつかず、けれど嫌なのだと勘違いされたくない一心で堪える。固くなった身体は感度だけ増すものの、本来生まれるはずの悦楽を奪う。土方はそれがわかっているからこそ、一度動きを止めた。
「おい、千鶴」
「っは、はい」
「もちっと楽にしろ。大丈夫だから」
「は……はい」
「でもって、悪ぃが脱ぐの手伝え。俺は洋服の女なんざ抱いたことないから勝手がわからん」
続いた言葉に、きょとん、とした後に噴出した。その様子に心内だけで土方は安堵し、表面上は憮然とした表情を作った。
「笑うかそこで」
「すみません」
言いつつ止まらない笑みを残したままで千鶴は言う。基本は多分、男の方と変わりませんよ、と。
「服は釦で留まっているので」
土方の指が伸びて、ぷつりと釦を外す。
「内側の肌着は、被っているだけで……」
言いながら、まるで誘導しているようだと気付いて言葉が止まる。それでも土方の動きは止まらないあたり、やはり先ほどのやりとりは余裕のない自分を慮ってくれたのだろう。
千鶴が気付いたことに気付き、重なった視線で土方の目尻が下がる。のに、奥にたゆたう熱が真摯な想いをただただ伝えてくる。
「……怖えか?」
だよな、やっぱり。誰だって未知の世界は怖い。それが、まさに纏うものなど布一枚も無く、裸の身体を相手に差し出すとなれば尚更だ。
確認の意味で問うた答えは、例え強がりだとしても意外なものだった。
「大丈夫です」
にこりと、微笑みすら浮かべて。
「『鬼の副長』が、誰よりもお優しいことを知っていますから」
この状況でそんだけの強がりが言えるのかと土方が驚くと、満足とばかりに千鶴が微笑むものだから最早苦笑するしかない。
「知った口利きやがって」
ああ、賽を投げてしまった。
けれどもう、後悔はしない。勝手に強張る身体はともかく、自分だって求めているのだ。言葉や向けられる気持ちだけでなく、土方自身を。
むき出しになった肩に土方の顔が埋まる。短くなった髪が襟足をくすぐるが、まだそれが分かるだけ良いのだろうか。
「あの、土方さん」
「なんだ」
「私は、どうしたらいいんでしょうか」
何とも千鶴らしい問いに、土方は短く答える。
「おまえからするやり方はいつか教えてやるから、今日は俺に任せてろ。おまえは何もしなくていい」
返事と共に息が肌にかかる。うわ、どうしよう。
本当は今でも不安だ。ああ、不安、というのとは少し違う気がする。
ただ自分が、言葉に表せぬほどの生き様を貫いてきた男の唯1人の妻となる価値が本当にあるのか。
土方が選んでくれたのは自分だ。おまえがいいのだと、はっきりと言葉にもしてくれた。
だからそこで自分を卑下することは、土方にも失礼なのだと頭ではわかっているのだが、こんな時にもその不安のようなものは持ち上がる。
自分は本当に何も知らない娘で、彼の求めるものに応えることが出来る場など数えるほどしかないだろう。
今だって知識も経験も無ければ、生まれ持っているものもいささか頼りない。もうすこしこう、柔らかい肌や豊かな胸に臀部、締まった腰があれば自信も持てただろうか。
心一つ。それしか、胸を張れるものがない。
「あ……っ」
土方の舌が脇から中央の方へとなぞりあげ、勝手に声があがる。慌てて口元を覆おうとした手は、土方によって捕らえられた。
「いいから出しとけ。堪えると辛ぇぞ」
「は……い、……っ」
良く分からぬうちに気付けばほとんどの肌が出ていた。けれど寒くないのは、土方の肌が自分に触れているから。
土方の手が身体を触り、ああ、自分の身体はそんな輪郭なのだと分かる。
土方の指が千鶴の敏感な箇所を触れば、自分の身体にそんなところがあったのかと理解する。
無意識に土方の名を呼び、土方が律儀に返事を返してくれる。それが泣きたいくらい幸せで、同時に怖かった。
分不相応な幸せすぎて、怖い。こんなに幸せで、後に続くものは何があるのだろう。
千鶴の背に腕を回し、軽く起こす。こっちだ、と、千鶴の両腕を自分の背に回させ、空いている片手で千鶴の身体を継続して撫でる。
自分の体重のほとんどを土方が片腕で支えていることに気付き、大丈夫かと懸念したところで男に触られた箇所に身体が跳ね上がる。その衝撃を殺すよう、必死で土方にしがみついてからその為にこの姿勢になったのだとようやく気付いた。
腿の付け根と臀部の境を、じらしているのかと思うほどの丁寧さで土方の指が行き来する。その間も、土方の舌や唇は千鶴の鎖骨や胸の頂を含み、舐め、時折歯を立てる。そのたびに身体は反応し、少女の名残を残す声に艶が混じって響く。
そんな千鶴の声を聞き、土方の熱も高まる一方だ。痛いほどのそれが一箇所に集中し、今にも解放してしまいたいという衝動を押さえ込む。まだだ、まだ千鶴の身体はそれを受け入れられるほど整ってはいない。
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